ずっと考えることから逃げてきた
ずっと思い出すことを恐れてきた
意味なんか無いと決めつけてきた理由の一つは
死んでしまったねえちゃんから何も受け取れなかったことだった
誰かのために泣くことはやめた
誰かのために泣くことのできなかった現実が
誰かのために無く必要は無いと結論づけた
おじいちゃんが死んだ時も泣かなかった
泣いている人を見て、不自然だと感じるほどに
僕の心は疲れきっていた。
自分一人だけで結論づけるなら、
僕が死んでも、僕のために泣く人はいない
それでもたぶん、誰かが泣くんだろう。
ばあちゃんは死にそうな空気を少しずつ作り出している
そしてそれを受け入れる風潮が家族や親族にある。
僕はどうだろう。
僕はわからない。
ただ、誰かが死ぬ前に先に自分が死んでおきたいとは思う。
風景をみつめよう
風景を見ていたいと思う。
少しでも長く、自然なものだけをみていたいと思う。
僕の時代にはまだ空がある
まだ、景色の半分くらいは可能性で満たされている。
それを僕は、幸福と思うだろうか?
恵まれていると思うだろうか?
かけがえのないものだと思うだろうか?
閉じられた手が かすめたものだけをつかもうとする
開かれ手が 手に入らないものだけを捕まえようとする
いつも僕の側にあるのは、終わるために用意された時間だけだ。
なのに僕はいつも、何を迷っているのだろう。
何を守っているのだろう。
誰のために強くなる必要もない、
誰かのために弱くなる必要もない世界で、
僕は逃げ続けることで、弱さを選ばされている。
本当に強い意志だけが夢を実現できると知っているのに
僕は夢をみることさえしないのか。
与えられた世界の中で
戦わない重責を背負わされて生きている。
戦って死ぬ動物には成れない。
生肉を食らって血で目を染める生き方もできない。
現実はただ、拒否するためにだけある
用意された土台でしかない。
誰も本当の現実は見ない。
僕も本物の現実は知らない。
だけどただ、死にそうな時にだけ語りかける謎の言葉があるから、
その死に神を手がかりにして、僕は
死に方を考える。