もっと悪意について、真剣に考えないといけない。
いや、そういう時期に来ているような気がする。
破壊衝動を、押しつけを、我慢できない思いを、抑圧された願望を、
書き殴ることは、もちろん大事なことで
それをして、初めて気付くこともあるし、
それをやってから反省することもあるし、
とにかく自分を晒け出して脱皮したいって気持ちもあるし、
思ったことをすべて書かないことには気が済まないって思いもあるんだけど
とにもかくにも とにかくとにかく!
もっと自分の悪意について、真剣に考えないとやばいなって思った。
とはいえ、自分の悪意についてずっと一人で黙り込んだまま考えてると
なんか発狂したいような頭皮がむず痒いような
爪を折りたいような最悪な気分とともに吐き気がして
でたらめに目が潰れるほど暴れたいような気分になったりもするけど
なんかそういうことを、無理に押さえ込んで我慢して言語化しようとすると
さらにどうしようもない絶望感が込み上げてくる。
結局は、100%の絶望なんて表現できるわけ無いし
あったとしてもそれを人に伝えることなんてできるはずもなければ、
それをすべきではないってのは一般的なモラルなんだろうし
それを一般性とか普通とか普遍とか
そんなあやしげな観念に照らし合わせて比較する事自体、
矛盾してるし馬鹿げてるしなんの生産性も無いんだろうけど。
だけどやっぱり、僕は自分の奥深くに眠ってる想いを、
腐りかけてる自分の中の真実を、
むき出しの暴力的な想いを、
なんとかしてここに書かなくちゃって思う。
別に、そういうのが共有できなくてもいいけど。
誰かに理解されるとか、伝わるとか、そんなの書く前の発作的な状態には関係のないことだし、
動機があるから書くわけじゃない。
むしろそんなものは無いときの方がほとんどで、
どちらかと言えば暴れ出したい感情が暴発する前に
なんとか書き殴って自分を誤魔化すのが精一杯、ってな感じがいちばんしっくりくるような、
それがとてもとにかく近いような、
まぁ遠いかもしれんけどとにかく書き殴ってやれっていう
むちゃくちゃで衝動的な行為だから、
そこに計画性は要らない。
じっさい、書いたことのすべてがわかってる人なんていないだろうし
それは僕の書いたものに限らず、自分の書いた言葉の意味が理解できてる人なんて
一人もいないんだと思う。きっと。
ただ、それでもそういうひとつひとつの単語とか漢字とか表音文字とかを作った人はやっぱりいて
そこにはなにがしかの歴史的な想いとかいたずら心とか、無関心とか、
へんな考えが色々あったんだと思う。
まぁグレイって言葉と似てるような似てないような。
うん、たぶん似てない。
別にいいけど。誤解されても。消されても。
そういえば、僕の書いた文章って、これまでにかなり削除されてきた。
よっぽどむかつく言葉が多いんだろうなって思ったりはする。
けど、別にそこに後悔は無い。
なんで消すんだよ
アホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
って叫びたい気持ちとかはあるけど。
いや、あったけど(笑)
けど、書いていると不思議と気分が落ち着いてくる事が多い。
呼吸がだんだん整ってくると言うか。
だけど。
不思議なことに。
書く前は冷静だったのに
書いてる最中にだんだん苦しくなって、切なくなって、どうしようもなくなって、
泣き出したこともなんどかある。
いや、何度もある。
べつに、それもいい。
僕がこの白い空間で暴れたり怒ったり楽しんだり泣いたりする
そういうリアルタイム性って、なんだか新鮮な驚きとか大事な興奮とかにつながってるきもするから。
いや、気持ち悪いだけかも、だけどさ。
いいよ、別にそういうのは読まなくて。
むしろ、もっと読んで俺の気持ち悪さを味わって君も気持ち悪くなって欲しいけどね。
書いてる最中の馬鹿さ加減ってのはこれまた不思議なもので
理解とか能力とか感情とかそんなこととは別な法則で作られていて
いわゆるカオス的な状態なんだと思うけど、
とにかくそれってある種のランダマイズな何かだと思うから
僕はそういう無秩序なでたらめさの中で、
泳いでるうちに落ち着いていく行為系って、なんか大事なおもしろさじゃないか?
と思ったりする。
原点に、帰りたくて還れない迷子なのかもしれない。
もっと、原始の言葉と出会って、共鳴が起きるくらいに深く潜れるといいんだけどね。
ま、無理かな。
やってみる価値は、それなりに、あるんだろうけど。
僕はたぶん、そのうちここを閉鎖に追い込まれると思う。
過激さが勝つのか、メタリックな気分になるのか、
それとも飽きるのか、間違えて消すのか、
よくわからんけどさ。
まぁ、いずれにせよ、終わりは近い気がしてる。
だらだら続けて悪いけど、
どんだけ長くても無理してもあと一年ちょいなんだから、
もうちょい読んでくれると嬉しい。
まぁ、そんなことを、今ちょっと思った。
じゃ、またね。
いや、そういう時期に来ているような気がする。
破壊衝動を、押しつけを、我慢できない思いを、抑圧された願望を、
書き殴ることは、もちろん大事なことで
それをして、初めて気付くこともあるし、
それをやってから反省することもあるし、
とにかく自分を晒け出して脱皮したいって気持ちもあるし、
思ったことをすべて書かないことには気が済まないって思いもあるんだけど
とにもかくにも とにかくとにかく!
もっと自分の悪意について、真剣に考えないとやばいなって思った。
とはいえ、自分の悪意についてずっと一人で黙り込んだまま考えてると
なんか発狂したいような頭皮がむず痒いような
爪を折りたいような最悪な気分とともに吐き気がして
でたらめに目が潰れるほど暴れたいような気分になったりもするけど
なんかそういうことを、無理に押さえ込んで我慢して言語化しようとすると
さらにどうしようもない絶望感が込み上げてくる。
結局は、100%の絶望なんて表現できるわけ無いし
あったとしてもそれを人に伝えることなんてできるはずもなければ、
それをすべきではないってのは一般的なモラルなんだろうし
それを一般性とか普通とか普遍とか
そんなあやしげな観念に照らし合わせて比較する事自体、
矛盾してるし馬鹿げてるしなんの生産性も無いんだろうけど。
だけどやっぱり、僕は自分の奥深くに眠ってる想いを、
腐りかけてる自分の中の真実を、
むき出しの暴力的な想いを、
なんとかしてここに書かなくちゃって思う。
別に、そういうのが共有できなくてもいいけど。
誰かに理解されるとか、伝わるとか、そんなの書く前の発作的な状態には関係のないことだし、
動機があるから書くわけじゃない。
むしろそんなものは無いときの方がほとんどで、
どちらかと言えば暴れ出したい感情が暴発する前に
なんとか書き殴って自分を誤魔化すのが精一杯、ってな感じがいちばんしっくりくるような、
それがとてもとにかく近いような、
まぁ遠いかもしれんけどとにかく書き殴ってやれっていう
むちゃくちゃで衝動的な行為だから、
そこに計画性は要らない。
じっさい、書いたことのすべてがわかってる人なんていないだろうし
それは僕の書いたものに限らず、自分の書いた言葉の意味が理解できてる人なんて
一人もいないんだと思う。きっと。
ただ、それでもそういうひとつひとつの単語とか漢字とか表音文字とかを作った人はやっぱりいて
そこにはなにがしかの歴史的な想いとかいたずら心とか、無関心とか、
へんな考えが色々あったんだと思う。
まぁグレイって言葉と似てるような似てないような。
うん、たぶん似てない。
別にいいけど。誤解されても。消されても。
そういえば、僕の書いた文章って、これまでにかなり削除されてきた。
よっぽどむかつく言葉が多いんだろうなって思ったりはする。
けど、別にそこに後悔は無い。
なんで消すんだよ
アホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
って叫びたい気持ちとかはあるけど。
いや、あったけど(笑)
けど、書いていると不思議と気分が落ち着いてくる事が多い。
呼吸がだんだん整ってくると言うか。
だけど。
不思議なことに。
書く前は冷静だったのに
書いてる最中にだんだん苦しくなって、切なくなって、どうしようもなくなって、
泣き出したこともなんどかある。
いや、何度もある。
べつに、それもいい。
僕がこの白い空間で暴れたり怒ったり楽しんだり泣いたりする
そういうリアルタイム性って、なんだか新鮮な驚きとか大事な興奮とかにつながってるきもするから。
いや、気持ち悪いだけかも、だけどさ。
いいよ、別にそういうのは読まなくて。
むしろ、もっと読んで俺の気持ち悪さを味わって君も気持ち悪くなって欲しいけどね。
書いてる最中の馬鹿さ加減ってのはこれまた不思議なもので
理解とか能力とか感情とかそんなこととは別な法則で作られていて
いわゆるカオス的な状態なんだと思うけど、
とにかくそれってある種のランダマイズな何かだと思うから
僕はそういう無秩序なでたらめさの中で、
泳いでるうちに落ち着いていく行為系って、なんか大事なおもしろさじゃないか?
と思ったりする。
原点に、帰りたくて還れない迷子なのかもしれない。
もっと、原始の言葉と出会って、共鳴が起きるくらいに深く潜れるといいんだけどね。
ま、無理かな。
やってみる価値は、それなりに、あるんだろうけど。
僕はたぶん、そのうちここを閉鎖に追い込まれると思う。
過激さが勝つのか、メタリックな気分になるのか、
それとも飽きるのか、間違えて消すのか、
よくわからんけどさ。
まぁ、いずれにせよ、終わりは近い気がしてる。
だらだら続けて悪いけど、
どんだけ長くても無理してもあと一年ちょいなんだから、
もうちょい読んでくれると嬉しい。
まぁ、そんなことを、今ちょっと思った。
じゃ、またね。