手がかりの無い、考え事とか。
別に、特別書きたいことはなくて。
もう少しいうと、書くネタは腐るほどあるんだけど、
ただ、そうしたことのひとつひとつが、
もうなんだか今の僕にとってはどうでもいいんじゃないかと。
生そのものに対する無関心に、だんだんとシフトしてきているような。
別に、特別つらい事はないです。
もちろん、特別おもしろいこともない。
もうなんというか、どうでもいい無気力に近づいてる。
行動してから飽きることは多かったけど
行動する前に飽きるようになると、
もうますますもってタイムリミットが近づいてるような予感がしますね。
飽和状態ってのが、やっぱりあるのかもね。
水蒸気が、冷やされて水になるような。
超臨界流体みたいな。
行き詰まりってのは
誤った選択肢によって発生したり
心を欺いている場合に表面化したり
見えない壁にぶちあたったり、
まぁそんな感じに知覚されるものだと思うけど
そもそもが、
そもそもの、最初の出発点が、
スタートラインが、
間違いに向けて突っ走る選択肢だった場合、
人はどうなるんだろうね。
例えば近親相姦とかさ
例えば人体実験とか
たとえば、ロボトミー手術とか
たとえば、宇宙人との出会いとか。
神の降臨とか、科学万能主義とか。
別に、例にあげるものは、なんだっていいんだけど。
迫害されることが、つらいと思ったことはある
差別とか、偏見とか、押しつけとか、善意とか、説得とか。
そういうものが迷惑だと感じたことはある。
だけど今は、なんだか懐かしいな。
今の僕は、もうあんまりなんだかそういうことに関わりたいと思わないよ。
ほんとうは、もうずいぶんと前から
どうでもよかったんじゃないかと。
多くのことが、僕にとってどうでもいい位置にあったんじゃないかと。
そんな気さえ、してくるよ。
選択肢を選ばないで生きるというのは
とても文化的な流体則で
流されることを美徳とする文化というのは
自殺を決意する文化とは
相容れないものがあるよね。
たとえば継承とか、たとえば変革を偽った防壁とか、
オカルトで張り詰めた空気の中で作った科学とか、
形式だけの他者除霊とか。
真空が、汚されはじめてるのかな?
それとも、純化した水が、精製されはじめてるのかな?
あるいは、死生観を、諦めはじめたのかな?
誕生日が来る前に、胎児を取り出す行為を、
美徳だとは思わないな。
もちろん、沈黙の産声よりも、奇声を発する方が、人間らしいと。
とても、人間らしいと、思うけどね。
そういえば、精神的な去勢を催眠術で行った場合、
男の性別はどうなるのだろうね?
性に対する差別を克服できますかね?
それとも、自殺しますかね?
境界が、曖昧になりますかね?
無気力を、ロボットにプログラムしたら、
どうなりますかね?
逆に行動的になりますかね?
暴力的になりますかね?
それとも。
鉄のフリをしますかね。
砂鉄を飲み続けますかね。
砂鉄を飲み干しますかね。
酸化した鉄の毒液が、ぐるぐるまわりますかね?
いや、いいけどさ。
べつに、なんもなくても。
長い時間をかけて、わかったことよりも
長いシュミレーションの中で、忘れていったことの方が
遙かに多かったんじゃないかと、
今は思っているだけ。
走馬燈のスイッチを切ることは簡単だ。
たぶん、どんなロボットにでも出来るよ。
真実を知らない人間が、
教育なんか、するなよ。
すこしだけ、そう思った。
そしてまた、僕は嘘吐きの砦へと。
別に、特別書きたいことはなくて。
もう少しいうと、書くネタは腐るほどあるんだけど、
ただ、そうしたことのひとつひとつが、
もうなんだか今の僕にとってはどうでもいいんじゃないかと。
生そのものに対する無関心に、だんだんとシフトしてきているような。
別に、特別つらい事はないです。
もちろん、特別おもしろいこともない。
もうなんというか、どうでもいい無気力に近づいてる。
行動してから飽きることは多かったけど
行動する前に飽きるようになると、
もうますますもってタイムリミットが近づいてるような予感がしますね。
飽和状態ってのが、やっぱりあるのかもね。
水蒸気が、冷やされて水になるような。
超臨界流体みたいな。
行き詰まりってのは
誤った選択肢によって発生したり
心を欺いている場合に表面化したり
見えない壁にぶちあたったり、
まぁそんな感じに知覚されるものだと思うけど
そもそもが、
そもそもの、最初の出発点が、
スタートラインが、
間違いに向けて突っ走る選択肢だった場合、
人はどうなるんだろうね。
例えば近親相姦とかさ
例えば人体実験とか
たとえば、ロボトミー手術とか
たとえば、宇宙人との出会いとか。
神の降臨とか、科学万能主義とか。
別に、例にあげるものは、なんだっていいんだけど。
迫害されることが、つらいと思ったことはある
差別とか、偏見とか、押しつけとか、善意とか、説得とか。
そういうものが迷惑だと感じたことはある。
だけど今は、なんだか懐かしいな。
今の僕は、もうあんまりなんだかそういうことに関わりたいと思わないよ。
ほんとうは、もうずいぶんと前から
どうでもよかったんじゃないかと。
多くのことが、僕にとってどうでもいい位置にあったんじゃないかと。
そんな気さえ、してくるよ。
選択肢を選ばないで生きるというのは
とても文化的な流体則で
流されることを美徳とする文化というのは
自殺を決意する文化とは
相容れないものがあるよね。
たとえば継承とか、たとえば変革を偽った防壁とか、
オカルトで張り詰めた空気の中で作った科学とか、
形式だけの他者除霊とか。
真空が、汚されはじめてるのかな?
それとも、純化した水が、精製されはじめてるのかな?
あるいは、死生観を、諦めはじめたのかな?
誕生日が来る前に、胎児を取り出す行為を、
美徳だとは思わないな。
もちろん、沈黙の産声よりも、奇声を発する方が、人間らしいと。
とても、人間らしいと、思うけどね。
そういえば、精神的な去勢を催眠術で行った場合、
男の性別はどうなるのだろうね?
性に対する差別を克服できますかね?
それとも、自殺しますかね?
境界が、曖昧になりますかね?
無気力を、ロボットにプログラムしたら、
どうなりますかね?
逆に行動的になりますかね?
暴力的になりますかね?
それとも。
鉄のフリをしますかね。
砂鉄を飲み続けますかね。
砂鉄を飲み干しますかね。
酸化した鉄の毒液が、ぐるぐるまわりますかね?
いや、いいけどさ。
べつに、なんもなくても。
長い時間をかけて、わかったことよりも
長いシュミレーションの中で、忘れていったことの方が
遙かに多かったんじゃないかと、
今は思っているだけ。
走馬燈のスイッチを切ることは簡単だ。
たぶん、どんなロボットにでも出来るよ。
真実を知らない人間が、
教育なんか、するなよ。
すこしだけ、そう思った。
そしてまた、僕は嘘吐きの砦へと。