少しだけ、アンバランスな踏み出し方は
誰しもが土台のない道を踏み固めながら自分らしい道を歩いてること、
と無理をすれば言えなくもない。
否定の連続で斜めに見るやりかたも
頭痛を抱えながらも一心不乱に考える細胞死も
言ってみればそれらは全部、
あんばらんすな直進だと言えなくもない。
言葉に頼って、単語のある道ばっかりを通って
粒子加速器のようにぐるぐるぐるぐる回し続けて一気に発射、
ちゅど~ん!、はい、お終い。
そういう言葉の書き出し方もあるんだけど…
でもなんだか、違うような気がする
体調が悪いと、勘が鈍るとか、思考が重くなるとか、
まぁ、そんな感じのことと一緒なのかもしれないけど、、、
けど、なんか違うような。
足が重いと、踏み出し方はノッシノッシと効果音をつけたくなる。
でも、実際に歩くときにノッシノッシと気が晴れるように
心ん中で叫んでるか?頭ん中で考えてるか?
いや、そりゃあ違うだろう。
すごく平凡に、ノッシノッシという擬音に汚されてしまっているだけだ。
つまり、標準に。
ふつーのこと、それが、当たり前のこと。
けど実際は、
毎日がふつうでも、毎日が平凡でも、
ちょっとだけテリトリーの外へ踏み出せば、
それはもう、吐き気がするほど変な世界ばかりである。
どちらかと言えば、平衡感覚が狂うような、
真っ直ぐさを見失うような、
自分に自信がなくなるような、
自信の根拠すらも記憶喪失と繋がってしまうような、
そんな微々たるきっかけから始まる、
非日常から死の世界へと延びる
とてもまっすぐな、克明にレポートすることも分析することも間に合わない、
自由落下のごとき敗北の自然である。
過酷な現実、と言う方が敗北の自然よりはわかりいいかもしれない。
死の方にあるものを現実と呼ぶよりは
超現実とか、自然とか、崩壊する秩序とか、カオスとか、
まぁそんな呼び方の方が、いくらかいくぶんか適しているような気もするのだけど。
情動の通り、すべるようななめらかな勘のコンパスのごとく、
ただ、なにもかもが存在しないのと同じように
完全なマイペースで進んでゆくならば、
道はいつまでも僕にとって真っ直ぐであるはずだ。
けれどもやっぱり、僕は何かにぶつかることで、
その傷みの中から、何かを発見したり構成したり分析したりして
センサーを敏感にアナフィラキシー、あなふぃらきし~。
って感じにアレルギーぎぎぎ。
どうしよう。
どうしても、まっすぐ進めない。
怖い。
すっごく怖い。
人と会うことも恐ろしいけど、
ただ闇雲に真っ直ぐ進み続ける事が、
今は何故かおそろしい。
出口のないトンネルって人はよく言うけど
未来が他者によってもたらされるなら、
出口のないトンネルは孤独死が一番近いわけで
痛みとかストレスとか混乱とか悩みなんてのに振り回されてる間は、
そりゃもうずいぶんと出口の多いトンネルな気がするし
結局のところ僕は誰の死を見ても自分の死とリンクさせてうまく考える事ができず、
そしてまた身近な老化をジッと見つめる醜さにもめんどくささにも耐えてゆけず、
やっぱりひとりでこっそり死ぬしかないのかな、とか
そんな夢心地なことを。
ある日ふと始まった命なら、
ある日ふと、忘れるように死ぬしか道はないのかな。
別に、世界の終わりに人が居なくとも、
人の終わりがあれば、最後の人に手紙を書くことは、
できるような気がするけどさ。
だけどね、宛先の無い手紙、それはやっぱりとても苦しい独り言だと思うよ。
ひとりでも読んでくれる人がいる間は、
まぁなんとか続けられるんだけれども。
さりとてやっぱり、やっぱりぼくは。
怖じ気づいているんだろうな。
土から生まれて土へ還ることが怖いんじゃない。
土へ戻ってなお、バラバラになった僕が生き続ける事が容易に想像できて怖い。
人が一人じゃ生きていけないように、
細胞もまた、一個じゃ生きていけない。
循環して、しきいが出来たり、出来なかったり、
口が開いたり、閉じたり、そんな排泄を繰り返して、
そのたびに、僕らは痛みを。感覚を。呼び覚まそうとする。
そういう行為のいっさいがっさいが、僕にはなんだか怖い。
一人で世界を食べ続けて、何もかもを完全に知り続けて、自分と名付けられた枠を
爆発する風船のように永くながく遠くとおくずっとずっといつまでも
繰り返し繰り返し1ドットずつ大きくしていく行為にも、
ゾッとするほど疲れが来る!
消滅できれば。
本当は、一番それがいいのだけど。
完全な死。
すべてから、忘れられてしまうこと。
僕が死んだとき、誰も泣かなければ
僕が居なくなったとき、誰もが忘れてしまえば
僕が燃えたとき、葬式が行われなければ
あの黒い服の変人たちが、日常の中に、僕の死を埋め込んだりさえしなければ
僕はもっと、安心して死ねたのに。
けれどやっぱり、君たちは、あの黒い服を着て、
僕を君たちの日常の中に、塗り込めて、塗りたくっていくのでしょうね。
いつかは、必ず忘れてしまうくせに。
ひなげしの花、きれいに咲いているでしょうか。
月と土がよせあう大地で
死骸の匂いを吸い取ってきれいに枯れていくでしょうか。
約束も循環も要らない。
ただ、完全な死が欲しい。
誰もが覚えているか、誰もが忘れてしまうような、
そんな完全な死に方が欲しい。
死体のすべてが虫に生まれ変わるような、
種だけが、永遠に氷の中で埋まったままとけていくような、
透明な、そんな死に方が僕は欲しい。
生きたまま、君らに食われていく僕はみじめだ。
はてしなく、いつまでも永遠にみじめだ。
僕は影の記号、それが裏返しであるほどみじめだ。
深い深い、あやめるような眠りについて、
いつまでも、僕が目覚めることが、二度とありませんように。
三月の花と、四月の土の間で。
誰しもが土台のない道を踏み固めながら自分らしい道を歩いてること、
と無理をすれば言えなくもない。
否定の連続で斜めに見るやりかたも
頭痛を抱えながらも一心不乱に考える細胞死も
言ってみればそれらは全部、
あんばらんすな直進だと言えなくもない。
言葉に頼って、単語のある道ばっかりを通って
粒子加速器のようにぐるぐるぐるぐる回し続けて一気に発射、
ちゅど~ん!、はい、お終い。
そういう言葉の書き出し方もあるんだけど…
でもなんだか、違うような気がする
体調が悪いと、勘が鈍るとか、思考が重くなるとか、
まぁ、そんな感じのことと一緒なのかもしれないけど、、、
けど、なんか違うような。
足が重いと、踏み出し方はノッシノッシと効果音をつけたくなる。
でも、実際に歩くときにノッシノッシと気が晴れるように
心ん中で叫んでるか?頭ん中で考えてるか?
いや、そりゃあ違うだろう。
すごく平凡に、ノッシノッシという擬音に汚されてしまっているだけだ。
つまり、標準に。
ふつーのこと、それが、当たり前のこと。
けど実際は、
毎日がふつうでも、毎日が平凡でも、
ちょっとだけテリトリーの外へ踏み出せば、
それはもう、吐き気がするほど変な世界ばかりである。
どちらかと言えば、平衡感覚が狂うような、
真っ直ぐさを見失うような、
自分に自信がなくなるような、
自信の根拠すらも記憶喪失と繋がってしまうような、
そんな微々たるきっかけから始まる、
非日常から死の世界へと延びる
とてもまっすぐな、克明にレポートすることも分析することも間に合わない、
自由落下のごとき敗北の自然である。
過酷な現実、と言う方が敗北の自然よりはわかりいいかもしれない。
死の方にあるものを現実と呼ぶよりは
超現実とか、自然とか、崩壊する秩序とか、カオスとか、
まぁそんな呼び方の方が、いくらかいくぶんか適しているような気もするのだけど。
情動の通り、すべるようななめらかな勘のコンパスのごとく、
ただ、なにもかもが存在しないのと同じように
完全なマイペースで進んでゆくならば、
道はいつまでも僕にとって真っ直ぐであるはずだ。
けれどもやっぱり、僕は何かにぶつかることで、
その傷みの中から、何かを発見したり構成したり分析したりして
センサーを敏感にアナフィラキシー、あなふぃらきし~。
って感じにアレルギーぎぎぎ。
どうしよう。
どうしても、まっすぐ進めない。
怖い。
すっごく怖い。
人と会うことも恐ろしいけど、
ただ闇雲に真っ直ぐ進み続ける事が、
今は何故かおそろしい。
出口のないトンネルって人はよく言うけど
未来が他者によってもたらされるなら、
出口のないトンネルは孤独死が一番近いわけで
痛みとかストレスとか混乱とか悩みなんてのに振り回されてる間は、
そりゃもうずいぶんと出口の多いトンネルな気がするし
結局のところ僕は誰の死を見ても自分の死とリンクさせてうまく考える事ができず、
そしてまた身近な老化をジッと見つめる醜さにもめんどくささにも耐えてゆけず、
やっぱりひとりでこっそり死ぬしかないのかな、とか
そんな夢心地なことを。
ある日ふと始まった命なら、
ある日ふと、忘れるように死ぬしか道はないのかな。
別に、世界の終わりに人が居なくとも、
人の終わりがあれば、最後の人に手紙を書くことは、
できるような気がするけどさ。
だけどね、宛先の無い手紙、それはやっぱりとても苦しい独り言だと思うよ。
ひとりでも読んでくれる人がいる間は、
まぁなんとか続けられるんだけれども。
さりとてやっぱり、やっぱりぼくは。
怖じ気づいているんだろうな。
土から生まれて土へ還ることが怖いんじゃない。
土へ戻ってなお、バラバラになった僕が生き続ける事が容易に想像できて怖い。
人が一人じゃ生きていけないように、
細胞もまた、一個じゃ生きていけない。
循環して、しきいが出来たり、出来なかったり、
口が開いたり、閉じたり、そんな排泄を繰り返して、
そのたびに、僕らは痛みを。感覚を。呼び覚まそうとする。
そういう行為のいっさいがっさいが、僕にはなんだか怖い。
一人で世界を食べ続けて、何もかもを完全に知り続けて、自分と名付けられた枠を
爆発する風船のように永くながく遠くとおくずっとずっといつまでも
繰り返し繰り返し1ドットずつ大きくしていく行為にも、
ゾッとするほど疲れが来る!
消滅できれば。
本当は、一番それがいいのだけど。
完全な死。
すべてから、忘れられてしまうこと。
僕が死んだとき、誰も泣かなければ
僕が居なくなったとき、誰もが忘れてしまえば
僕が燃えたとき、葬式が行われなければ
あの黒い服の変人たちが、日常の中に、僕の死を埋め込んだりさえしなければ
僕はもっと、安心して死ねたのに。
けれどやっぱり、君たちは、あの黒い服を着て、
僕を君たちの日常の中に、塗り込めて、塗りたくっていくのでしょうね。
いつかは、必ず忘れてしまうくせに。
ひなげしの花、きれいに咲いているでしょうか。
月と土がよせあう大地で
死骸の匂いを吸い取ってきれいに枯れていくでしょうか。
約束も循環も要らない。
ただ、完全な死が欲しい。
誰もが覚えているか、誰もが忘れてしまうような、
そんな完全な死に方が欲しい。
死体のすべてが虫に生まれ変わるような、
種だけが、永遠に氷の中で埋まったままとけていくような、
透明な、そんな死に方が僕は欲しい。
生きたまま、君らに食われていく僕はみじめだ。
はてしなく、いつまでも永遠にみじめだ。
僕は影の記号、それが裏返しであるほどみじめだ。
深い深い、あやめるような眠りについて、
いつまでも、僕が目覚めることが、二度とありませんように。
三月の花と、四月の土の間で。