嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

陳腐なイデオロギーと基礎粘着力

2007年07月08日 12時24分12秒 | 駄文(詩とは呼べない)
孤独主義と協調主義という二つのイデオロギーがもしもあったのなら、
僕は生まれつき協調主義の環境の中で育った孤独主義者なんだろうと思う。
まわりにある柔らかい景色は、僕の側に近寄るだけで硬質化して、
僕を激しく傷つける。
もともと僕を包んでいるのは、たぶんとてもやわらかい材質で
永い時間をかけて出来ているはずなのに、
僕の側では短い時間で硬質化する。
そしてその硬質化したものが、僕を傷つける。
僕の重力から離れれば離れるほど世界は柔らかい。
けれど僕に近づけば近づくほど、世界は固くなっていく。

何故か。

それは僕が死んでいるからだ。

死に神は【生の祈り】を、神によって織られたかもしれない無限の景色を、
有限性の中に閉じこめて物質化する。
あらゆる妄想で作られたあらゆる幻想を、死の力で物質化する。
もっとも強いエネルギーを持つ固い物質は、
もっとも死に近い【90%の力を持つ存在】に近い。
100%の完全性が無ければ存在とは言えないのだけど、
90%という曖昧な説明ラインをひいている。
簡単に言えば重力とは錬金術である。
すなわちもって嘘である。
重力など存在していない。
重力の存在は死によって証明される。
すなわち、人間の死の尺度においてのみ、
その微々たるいい加減な狭さにおいてのみ、
万有引力の法則は成り立っている。

もしも人の寿命が一世紀程度ではなく、
1億年や20億年であったのなら。
僕らはもっともっと重力の存在も法則も疑っているだろう。

「神は死んだ、だが科学ももうすぐ死ぬ。」

これは僕の中にある完成された結論です。
おそらく、僕はこれを証明する前に死ぬでしょう。
僕もまた、アナタの硬さに眠る一つの小さな石で。
僕はあなたにとっての柔らかい景色に過ぎないのだから。

だけど、あなたにとって死は壁とはならない。
死は忌まわしい生者によって紡がれた嘘の奇跡だからです。

僕は死に神の力であなたの記号に僕を埋め込みます。
僕の生と死は証明されません。
ですが僕の意志がそこにあったかどうかは、
僕の自殺によって、そこになにがしかの運命的な間違いによって
僕の信じる読者によって、
きっと証明されたと祈られるでしょう。

君がもし、世界に開かれているのなら。
君の世界がもし、終極を超えてなお、開かれているのなら。
その開かれた完全な真っ直ぐさで、
閉じられた僕の終わりから、何かを読み取る事ができるでしょう。

だけどもし、君が僕と同じように閉じられた世界で生きる
孤独主義者なら、君はきっと僕のテキストから、
間違った感動しか引き出すことはできない。
丸いものと丸いものは、超越によってしか混じわらない。
超越はもはや丸さではありません。
それは丸さの崩壊です。
だから円周率は平面展開では終わらない。
このままの計算式では終わることができないからです。

だからもし、君が僕の閉じられた丸さから、
直線率を導くことができるなら、
どうか時を超えて、
僕の記憶を書き換えて下さい。

この世界は完璧です。
そして絶望的に美しさがたりない。

もしかして、たりないのは美しさでも正しさでもなくて
僕の努力なのかな。
僕の意志なのかな。
僕の決意なのかな。
僕の汚れなのかな。
僕の中心が、僕の思っている場所にはまだ無いのかな。

はやく死にたい。
人の笑顔をみるといつも思う。
はやく死にたい。

おかしな話だ。
既に死んでいる人間が、なんで今更死に拘ってるんだろう。
執着しているのは、あちら側なのか、、こちら側なのか…

ずいぶんと君に汚された気がする。
それでもなお、君に憧れる時は死を願う。

「たぶん、君が僕か、どちらかあるいは両方が、間違ってるんだよ。」

何も証明できない。
だからもう死んでしまいたいよ。
これと同じ弱さが、僕の中にいくつあるんだろう。

気が変になっても、
呼吸が止まりそうになっても考えることがやめられない。
痛がる事がやみそうにそうにない。
いつまで苦痛は続くんだ。

リアリティが僕の中にしか無い。
これが僕の絶望なのか!