嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

思い出すたびに喪失する記憶とともにあるから、人は「生きる」に閉じ込められる。

2007年07月16日 19時36分29秒 | 駄文(詩とは呼べない)
生と死が完全に身近になって
今と重なることによって
私は私以外の形へ変質する

それはもちろん私の死に他ならないのだが
私にとって死は絶望ではないのだと思う。

というのも、もちろん私が死ななければ
君が生まれてくる事は無いのだし、
それは「生」や「性」や「産」以外の
もっとも【その他】に近い観念であったとしても、
抽象概念であったとしても、
やはり私の死によって、君は新しい世界へ生まれるのだと思う。

そういう意味では、「自分」という大きな袋の中に
「意志」が含まれていないことを、
私たちはそれほど絶望しなくても良いのではないか?
と単純に思ってしまうよ

予感は重要なファクターだ
君がそこに居たとしても、居なかったとしても。
私が今ここにいることと、君が今そこにいることに、
絶望的なほどでっかい隔たりがあったとしても、
その隔たりの事を永遠と呼ぶとしても、
それでも予感は重要なファクターだと思うよ。

宇宙が終わることを、君は悲しいと思うかい?
僕は宇宙が自殺することを悲しい事だと思うけれど、
宇宙から時間が終わることを、悲しいことだとは思わないよ。

五次元への船出、それは幕開けだよね。

君は悲しいかな?僕は記号だよ。
特別な感情はない。
僕にとってそれは記号だよ。

わくわくもしない、
たのしくもない、
かなしくもない、

もしかすると。

生→死への時間性について嘆くことよりも
五次元の事について必死に考える事の方が
遙かに生産的だったのかもしれないね。

しばらく僕たちは、記号と出会い続けて
その事に思い悩むことになると思う。

だけど時間が可逆であることは
過去というマクロとミクロの非対称性の中に閉じこめられている人達にとっては
「歴史」という名の威厳がもたらした悲願だったんだよ。

タイムマシン。
素敵な夢じゃないか。

だけどもう、僕には必要ない.

たぶん独りっきりで読んで欲しいということなのか。

2007年07月16日 17時00分46秒 | 駄文(詩とは呼べない)
考えてみた。


よくわからないけど

僕はここを見つけてくれた人が
どうやってここを見つけてくれて
何を考えて僕の文章を読んで、
そしてその想像力の世界に
どれくらい僕を住まわせてくれるのか、
それが気になるんですょ。

例えば「都会の孤独」という暗示、
あるいは病理、もしくは思い込みがあったとします。

その暗示は田舎に立ち返って
自分が生まれ育った故郷で
なんとなく町の人たちと交流しながら、
汗をかいて日々を過ごしていくことで
解消されていく可能性が高いものだと思うんですよ。

だけど「現代の孤独」とか
「存在の誤解」というものは、
そう簡単にほどけないほど、
強い強い固い結び目だと思うんですよね。
思ってしまう、ということなのかもしれません。
僕だけが、
あるいは僕だけでなく誰もが、
もしくは耐久性の限界、
言葉の接点の粘着力の終わり。

「疑い」というものに、
もしもはっきりした形質があるのならば、
その形がしっかりと組み合った時には、
その逆の凹凸のようなゆがみを持った相手となら、
もしかしたらコミュニケーションがとれるかもしれないわけです。

だけどもし、誰もが自分の世界で真っ直ぐで、
どうにもならないほど、どうしようもなく自分に真っ直ぐで、
正直な人ばかりであったために
その世界で誰も誰かを理解できないのだとしたら、
僕らはいったいどうしたらいいのでしょうね?

自分を欺いて誰かに合わせるのでしょうか?
自分の変質的な病理を見極め、
鍵に併せて鍵穴という世界を組み立てていくのでしょうか?
それが成長?

…違うと思うんですよ。

たとえ誰にも理解できないとしても、
僕は自分が考えた事をどこかに書きとめておかねば、
それはどう頑張っても
誰にも伝わらないままで無くなって
気付かれずに見過ごされていくものだと思うんですょ。

存在を叫ぶというのは難しい行為ですよね。
「存在」という言葉や意味が、誰かから分け与えられた誤解であれば
それはますます自分の世界だけで、
「孤独」という言葉に接近する意味を持ちますよね。

誰もが存在の原点を持ってしまえば、
それは生を証明する事による、完全な孤独、
世界の絶対性だと思うんですよ。

世界しか作れなかった孤独な神様の忘れ物だと思うんですよ。

誰かが僕を発見するためには、
例え死んでいたとしても、生への手紙として
遺書を残さねばならないというのが、
僕の考えに近いです。

へんてこな日本語ばかりですみません。

齟齬が発生しているのは、自覚しているつもりです。
でもなにか、伝わればいいなぁ、とか。

ここで何かを必死に叫ぶのは僕の罪でしょうか?

それでも、もしそうだとしても、
やっぱり
僕は。