いつもありがとうございます。
ハッピーライフサポーター☆かただ美怜です。
プロ野球は母が好きで見ているので、いつも何となく見ている派でしたが、今回の日本シリーズは、かなり真剣に見てしまいました。
ルーツが東北で、さらに伊達政宗ファンとしてはワクワクする展開で、久しぶりに野球観戦を楽しめましたし、選手やファンの方もですが、仮設住宅や避難されている方たちが喜んでいたのが、こちらまで嬉しくなりました。
これは単に「野球」ということだけではなく、震災以降のそれぞれの方たちの思いがあるから、一層感動するのかもしれないですね。
安岡正篤先生の著書にあった「福」の字についての一節を何となく重ね合わせてしまいました。
「さいわい」にも「幸」と「福()」と二字ある。
(中略)
原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たる「さいわい」を「」という。
(中略)
示偏というのは神さまのことだ。
示というのは上から光が射している。神の光、叡智の光を表す。
旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば、俵を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたものが「」である。
今回は野球の神さまの前に、東北の思いが積み上げられたのかもしれません。
私もまだまだ精進せねばo(^-^)o