言葉のチカラやミラー細胞のことはわかったし、人それぞれ、考え方や生き方は違うんだ!とわかってはいても、親しい人や友人が変わってしまうのは、ちょっと寂しかったり、自分の理解を超えた言動などに接すると、ついつい愚痴っぽい言葉が出たりしてしまうことがあります。
そんなときに思い出すのが、以前読んだ、星野富弘さんの「くちなし」という詩です
「くちなし」
鏡に映る自分を見ながら思った
悪口を言うのはやめよう
私の口から出た言葉を一番近くで聞くのは
私の耳なのだから
また、別の本では「耳果報」という言葉と出会いました。
「果報」とは、自分が行なったことで受ける報いのことで、原因と結果のことです。
だから良い果報も悪い果報もあるのですが、いつの間にか「良い知らせ」という意味になったようです。
「良い知らせを聞く幸せ」というところから、美しい音楽や自然の音、綺麗な言葉を聞いたりすることも含まれます。
自分のために美しい音楽を選んで聴くのと同じように、綺麗な言葉を聞かせてあげたいですよね。
私も『耳果報』を心がけなくては