ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~

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2012年5月の鹿児島旅行 1日目

2012年06月03日 | 旅行記

今回鹿児島旅行をした理由・目標

先週の昨日は、鹿児島県霧島市・指宿市への旅行の第1日目でした。

鹿児島には今まで屋久島に3回、出水に3回旅行していますが、霧島、
指宿は今回が始めてでした。

こんなに鹿児島へと旅行をするのは、行くたびに鹿児島の魅力の深さ
を知り、行ってみたいところが増えたということがあります。

そこで今回は、霧島には高千穂岳、ミヤマキリシマ、ホタル。
指宿には薩摩富士とも呼ばれ山姿の美しい開聞岳を目標に
鹿児島旅行をすることにしたのです。



第1日目は霧島へ

前日の夜のうちに予め鹿児島市街入りをしていた私は、翌朝、第1日目
の朝7時にホテルを出て霧島へと向かいました。

霧島神宮駅を降りると、駅の前を流れる川に魚が群れています。
それも川に流れ込む、白く濁った水の回りに群れているのです。

その様子を見ていたタクシーの運転手さんにたずねると、豆乳が川に流れ
込んで、それを目当てに魚たちが集まっているのだということでした。
霧島は水が綺麗なので、豆腐作りが盛んなのだそうです。


こうした会話をきっかけに、その運転手さんに霧島を案内してもらうこと
になりました。
自分で調べて計画を立ててはいたのですが、やはり現地の人にはかないま
せん。

お金の問題はあるのですが、遠方の初めて行く旅先ではこのような人に
ガイドをしてもらった方がよいと、経験的にわかっていたからです。


ミヤマキリシマ、魅力的でした!

はじめに高千穂河原にミヤマキリシマを見に行きました。
ミヤマキリシマは国の天然記念物となっているツツジの仲間で、九州に生育
する高山植物です。
同じミヤマキリシマの花だというのに濃いピンク、朱色、紫がかったピンク
・・・と、株によって微妙に色合いがちがうのです。
白色もありましたが、白色の花びらの回りだけピンクがかったものもありま
した。

ツツジは町なかでもよく見られる植物で、ありきたりな植物だと思っていま
した。

しかし株によって様々な色合いの花を咲かせるミヤマキリシマが、人の手に
よって植えられたものでなく、高山に自生しているというところにたいへん
魅力を感じました。


高千穂河原のミヤマキリシマ

新萌岳の噴火の影響で現在高千穂河原の登山道へは侵入禁止となっています。
写真は登山道入り口付近です。


3色並んで咲いているミヤマキリシマ


こんな花色のものもありました。


山肌ほんのりピンク色に染まっているのは、ミヤマキリシマの花の色のためです。



* 高千穂河原は河原のように石がゴロゴロ転がっていることから、この名があります。
  高千穂河原には、昔、霧島神神宮が建っていた跡が残されています。霧島連山は昔
 からたびたび噴火したために神社はそのたびに焼失。そのために山の下の方に移さ
 れたのです。
  高千穂河原には、環境省の施設のビジターセンターもあります。




天孫降臨の霧島神社でいろいろ考えてしまいました


霧島は日本神話のアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトが地上を治める
ためにやってきた最初の地と言われています。
(ただし宮崎県にも同じ伝説がのこされています)

さて・・・、ここまではロマンティックな話ですが、ここからは少しむずかしい
歴史の話になります。

それは昔、日本には大昔から縄文民族と呼ばれる先住民族が住んでいたのですが、
後から弥生民族という強い民族ががやってきたということです。

神話としてでなく日本の歴史としてみてみると、天孫降臨とは弥生民族が中国の
方から日本に渡って来て、縄文人たちの支配・征服を始めたたということなのです。

その弥生民族がなぜ神社に神様としてまつられているのか、想像すると2つに分か
れます。

1つは弥生民族が縄文民族よりも優れた文化を持っていて、その文化を縄文民族に
分け与えたので喜ばれ、縄文民族から神様的にたたえられたということ。
もう1つは弥生民族が縄文民族と日本国土をを支配していく過程で、強制的に神様
としてまつらせたというということ。

もし後者の方が事実だったら酷い話ですが、こちらの方が有力説となっているよう
です。
しかしながら、ゆるやかに混血が進んでいった程度で、侵略とか支配というほど
暴力などはなかったという話もあり、実際にはよくわかりません。

はっきりわかっているのは、現代の私たちは縄文民族と弥生民族との混血である
ということ。
それから、また戦前の学校教育では、天皇家は、これらの神々の子孫であると教
えていたということなどです。

色々と考えこんでしまうのですが、はっきり言えるのは戦争とか侵略とかいった
ものはご免です。この世で一番大切なのは平和ですね。



おとぎの国のような風景でした


霧島神社の後は、明治時代に建てられ築100年以上たつという、古い木造の駅舎の
嘉例川駅に行きました。

私が幼稚園に行くか行かないかの小さなころ、家の最寄りの駅もこんな木造の駅舎
だったことを思い出しました。

線路をはさんだ駅舎の向こう側には、雑草たちが白い花を咲かせ、さらにその向こう
側は小高い緑の山の風景。
チョウ(昆虫のチョウ)もヒラヒラと飛んでいて、のどかな田舎らしい風景をかもし
出しています。

そこに観光特急列車「指宿の玉手箱」が入ってきました。電気で動くのではない、
ディーゼル車両のようです。
嘉例川駅で降りた人々が客室乗務員の若い女性に列車と一緒に記念写真を撮ってもら
っています。

この列車が全席指定で予約もすでにいっぱいだというのは後から知りましたが、運よく
乗ることができました。
この列車に乗ることは今回の目的にはしていませんでしたが、乗ってみると魅力あふれる
列車で感激しました。

内部は近代的なデザインの中にもクラシックなデザインがふんだんに取り入れられ、
電灯も電球色(暖色光)、材質も木となっています。
そして社内には一切、余計な広告など貼られていません。

SLではないのですが、たいへん旅情と郷愁とを感じさせる、とても魅力のある列車でした。

ここでも田舎と都会との差を感じてしまったのですが、都会の電車は本数が多く、たくさん
の人を早く運ぶ代わりに、何か大切なものをなくしてしまっている感じがします。

一言で言うと、それは「味わい」といったことろでしょうか。
さきほど旅情とか郷愁とか言いましたが、人が心で感じる心地よさ、味わいといったものは、
とても大切だと思うんです。
人はただ機械的に生きるのではなく色々なことを感じながら生きるものだからです。
それは列車の乗り降りも同じ。例え、たったそれだけのことでも、そういった「味わい」が
感じられるか感じられないかで、その時を過ごす時間が特別なものにも、つまらない
ものにもなるのです。

都会の電車はそういったものを感じるようには全く造られてはおらず、ひたすら利便性と
合理性を追求し、そして企業、雑誌、商品などのPRを乗る人の目に押し付ける
といった感じになってはいないでしょうか。
そういう意味で都会の電車はあまりいいものとは言えなさそうです。


指宿のたまて箱


指宿のたまて箱車内



ホタルの写真撮影に成功しました


「指宿の玉手箱」に乗って目的の駅で降りると、ホタルが光る時間まで待つことにしました。

ホタルの生息すると聞いた水路沿い約1㎞の間には、神社が何件か建っていたので、これらの
神社に寄り道しながら待つことにしました。

横浜からこんなに遠くまで来て、ホタルが出ていなかったらとても台無しです。待ちながら、
今年になって本当にホタルが光り始めているのか不安になってきました。

道を歩きながら携帯電話で話している人が、何やらホタルの話をしています。電話の会話の
邪魔になるとは思いましたが、「ここはもうホタル出るんですか?」と聞きてみると
「出てます出てます!」と笑顔で答えてくれました。

そして暗くなるとホタルが光りながら飛び始めました。
本格的にホタルの写真を撮るのはこれが初めてです。
設定を変えながら何度もシャッターを切って、モニターで確認しながら感触をつかんでいきました。

匹数が少なかったため、あまり迫力は出ませんでしたが、ホタルの写真を撮ることができました。




ホタルの飛翔の写真が撮れました




丸尾滝


犬飼の滝と高千穂岳

上記以外にも丸尾滝や犬飼の滝を見てきました。