Jizouin Temple, Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.
さてさて、関宿の旧東海道を西に向かって歩いて行くと、街道沿いに立派なお寺が見えてきます。
このお寺は地蔵院というのですが、正式な名前は宝蔵寺地蔵院。地元の人や昔の旅人からは親しみを込めて、
「関の地蔵さん」「関の地蔵院」と呼ばれてきたそうです。
お寺の歴史は非常に古いものでして、創建は詳らかではないのですが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、
諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。
お地蔵様というのは、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩だと言われています。
地蔵院の本尊である地蔵菩薩は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々の信仰も集め、多くの人々に敬愛されてきました。
旅人たちは旅の安全を願い、お地蔵様に手を合わせたのでしょうね。
この地蔵院は行基によって創建されたと伝えられているのですが、関西ではあちらこちらに「行基ゆかり」という場所があるんです。
行基とはどんな人物だったかというと、これがなかなか興味深い人物なんですよ。
当時の仏教界においては、「僧侶は寺院の中にこもって、仏が国を護ってくれるように祈る」というスタイルが一般的でした。
これに対して行基は、寺院から外へ出て、民衆に対する布教を積極的に行っていきました。
また、貧しい人々に宿泊と食糧を提供するための布施屋を建設したり、橋や道路、新田開発などの土木工事にも携わりました。
こうした行基のやり方は異端であるとして、朝廷は弾圧に乗り出すんです。
やがて時を経て罰を解かれると弟子を率いて諸国を巡り、橋を架ける、道を作り池を掘る、寺を建てる等、社会事業に力を注ぎます。
その後、東大寺大仏造立に際し、弟子をと共に協力し、その功績が認められて745年にわが国最初の大僧正に任命されました。
聖武天皇にも深く尊敬されたということです。
いつの時代においても皆と違う行動をとると異端児と称されます。「出る杭は打たれる」というのは世の常です。
悲しいくらいに同調圧力が強いのが日本人の欠点ですが、もうそういう因習は断ち切ってほしいものです。
久々に訪れた関宿。子どもの頃に大好きだった『東海道中膝栗毛』の弥次さん、喜多さんが歩いているかのような気がしました。
ワタクシはこれからも旅人でいたい。出来るだけ自分の足で歩く旅人でありたいと思うのでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
『東海道中膝栗毛』は私にとって愛読書以上の存在でした。もちろん子ども向けに書かれたものですので、
全八篇もある原本からは内容も精選されており、子どもにふさわしくないような箇所は割愛されていたことでしょう。
表紙がボロボロになるまで何度も何度も読み返した『東海道中膝栗毛』。旅好きな私の原点は、この本にあるのかもしれません。
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さてさて、関宿の旧東海道を西に向かって歩いて行くと、街道沿いに立派なお寺が見えてきます。
このお寺は地蔵院というのですが、正式な名前は宝蔵寺地蔵院。地元の人や昔の旅人からは親しみを込めて、
「関の地蔵さん」「関の地蔵院」と呼ばれてきたそうです。
お寺の歴史は非常に古いものでして、創建は詳らかではないのですが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、
諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。
お地蔵様というのは、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩だと言われています。
地蔵院の本尊である地蔵菩薩は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々の信仰も集め、多くの人々に敬愛されてきました。
旅人たちは旅の安全を願い、お地蔵様に手を合わせたのでしょうね。
この地蔵院は行基によって創建されたと伝えられているのですが、関西ではあちらこちらに「行基ゆかり」という場所があるんです。
行基とはどんな人物だったかというと、これがなかなか興味深い人物なんですよ。
当時の仏教界においては、「僧侶は寺院の中にこもって、仏が国を護ってくれるように祈る」というスタイルが一般的でした。
これに対して行基は、寺院から外へ出て、民衆に対する布教を積極的に行っていきました。
また、貧しい人々に宿泊と食糧を提供するための布施屋を建設したり、橋や道路、新田開発などの土木工事にも携わりました。
こうした行基のやり方は異端であるとして、朝廷は弾圧に乗り出すんです。
やがて時を経て罰を解かれると弟子を率いて諸国を巡り、橋を架ける、道を作り池を掘る、寺を建てる等、社会事業に力を注ぎます。
その後、東大寺大仏造立に際し、弟子をと共に協力し、その功績が認められて745年にわが国最初の大僧正に任命されました。
聖武天皇にも深く尊敬されたということです。
いつの時代においても皆と違う行動をとると異端児と称されます。「出る杭は打たれる」というのは世の常です。
悲しいくらいに同調圧力が強いのが日本人の欠点ですが、もうそういう因習は断ち切ってほしいものです。
久々に訪れた関宿。子どもの頃に大好きだった『東海道中膝栗毛』の弥次さん、喜多さんが歩いているかのような気がしました。
ワタクシはこれからも旅人でいたい。出来るだけ自分の足で歩く旅人でありたいと思うのでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
『東海道中膝栗毛』は私にとって愛読書以上の存在でした。もちろん子ども向けに書かれたものですので、
全八篇もある原本からは内容も精選されており、子どもにふさわしくないような箇所は割愛されていたことでしょう。
表紙がボロボロになるまで何度も何度も読み返した『東海道中膝栗毛』。旅好きな私の原点は、この本にあるのかもしれません。
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関の地蔵さんという言葉はよく聞きます。
マンホールまで関の地蔵さんですね。
応援ポチり
るんですね~。
この頃は、天然痘も流行してたんですね。
本来、政府がやるべき仕事を、行基が
やってたにも関わらず、弾圧。
後に、認められて良かったです。
世を救う異端児、今の世にも出てきて
欲しいです。
ご当地マンホール、大好き♪
凸
しかし凄い人だったのですね
それを弾圧するなんてなんという事でしょう
のちに認められて良かったです
そんなことをおみながらの関宿の歩き良かったですね
ありませんが WEBでみると
全国にありそうですね。
ここは規模が大きそう
地蔵院、風格のある立派な建物ですね
ヤジさん喜多さんが歩いてそうな
関宿の街並みですもいいですね
マンホールの蓋、他所に行くたびに撮ります地蔵さんもいいですね
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これから健康でいろいろなところへ行けるといいですね♪
ぽち