Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.
さてさて、関宿の散策を続けるワタクシは、かつての宿場町ならではの資料館へとやって来ました。
この建物は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」と言いまして、日本最初の旅籠資料館なんですよ。
玉屋は関宿を代表する大旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と謡われたほどだそうです。現在は修復され、当時使われていた寝具、
食器などの道具や庶民の旅に関する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが見られる資料館になっています。
旅籠(はたご)とは本来、馬で旅をするときに馬の餌を入れる籠(かご)を意味する言葉でした。
それがいつしか「人の食事を入れる器」を示す言葉になり、さらに「宿で出る食事」という意味に変わりました。
江戸時代には「旅籠=食事を出す宿」という意味になり、これが定着したんですね。
旅籠と並んで、庶民が旅で利用した宿に木賃宿というのがありました。
旅籠と木賃宿との違いは、食事が付いているか付いていないかの違いなんです。
旅籠では夕食と朝食を出し、店によっては昼食の弁当を出すところもありました。
一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらったんです。
当然、宿泊代は旅籠の方が木賃宿よりも高いわけですな。
旅籠の宿泊費は、1泊2食付きで200文から300文だったそうです。現在の貨幣価値でいうと5000円強になるようです。
これで2食付きならビジネスホテルよりも格安だなぁと感じます。
もっとも、食事と行っても豪華なものではなく一汁一菜が基本で、ここに焼き魚や煮魚が付くとお得だったようですね。
ただ1泊2食付きの旅籠と言っても、宿代だけで済まされるものではなかったらしいんです。
宿場には飯盛り女(宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、売春も兼ねて行った女)や按摩(あんま)が常駐していることが多かったそうです。
隙を見ては飯盛り女が「給仕はどうか(もちろん給仕だけではありませんな)」、按摩が「腰と脚をもみましょう」とやってきます。
部屋には「土産物はどうか」と饅頭などの売り込みが来ます。
もちろん飯盛り女と夜を過ごすことを楽しみにしている旅人にはありがたいのでしょうが、
朝から夕方まで40kmも歩いてきて、疲れた身体を早く寝て休めたいと思う人には迷惑だったことでしょう。
また「護摩の灰」と呼ばれた盗人もよくいたようで、大部屋では宿泊客の寝ている間にコッソリ枕元に置いてある金品を盗み取る
枕探しという犯罪行為も多発していたようです。これでは安心して眠ることも出来ませんな。
そう思うと、今とは違って「旅をする」という行為は「危険を覚悟」するものだったのでしょうね。
今は安心して旅を出来るのがありがたいです。でも、今の治安の良さはいつまで続くのでしょうね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今の日本で安価に旅を済ませようと思うと、ビジネスホテルに泊まるのが一般的かと思います。
ただ、外国人観光客が高値でもビジネスホテルに泊まってくれるので、東京や京都などでは宿泊料金が相当値上がりしてるんですよ。
このままだと「日本人が日本国内の旅行に行きにくくなる」なんていう事態になりかねないので、
政府には早く手を打ってほしいと願っています。ただ、日本は何をするにも時間がかかりますからねえ。
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さてさて、関宿の散策を続けるワタクシは、かつての宿場町ならではの資料館へとやって来ました。
この建物は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」と言いまして、日本最初の旅籠資料館なんですよ。
玉屋は関宿を代表する大旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と謡われたほどだそうです。現在は修復され、当時使われていた寝具、
食器などの道具や庶民の旅に関する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが見られる資料館になっています。
旅籠(はたご)とは本来、馬で旅をするときに馬の餌を入れる籠(かご)を意味する言葉でした。
それがいつしか「人の食事を入れる器」を示す言葉になり、さらに「宿で出る食事」という意味に変わりました。
江戸時代には「旅籠=食事を出す宿」という意味になり、これが定着したんですね。
旅籠と並んで、庶民が旅で利用した宿に木賃宿というのがありました。
旅籠と木賃宿との違いは、食事が付いているか付いていないかの違いなんです。
旅籠では夕食と朝食を出し、店によっては昼食の弁当を出すところもありました。
一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらったんです。
当然、宿泊代は旅籠の方が木賃宿よりも高いわけですな。
旅籠の宿泊費は、1泊2食付きで200文から300文だったそうです。現在の貨幣価値でいうと5000円強になるようです。
これで2食付きならビジネスホテルよりも格安だなぁと感じます。
もっとも、食事と行っても豪華なものではなく一汁一菜が基本で、ここに焼き魚や煮魚が付くとお得だったようですね。
ただ1泊2食付きの旅籠と言っても、宿代だけで済まされるものではなかったらしいんです。
宿場には飯盛り女(宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、売春も兼ねて行った女)や按摩(あんま)が常駐していることが多かったそうです。
隙を見ては飯盛り女が「給仕はどうか(もちろん給仕だけではありませんな)」、按摩が「腰と脚をもみましょう」とやってきます。
部屋には「土産物はどうか」と饅頭などの売り込みが来ます。
もちろん飯盛り女と夜を過ごすことを楽しみにしている旅人にはありがたいのでしょうが、
朝から夕方まで40kmも歩いてきて、疲れた身体を早く寝て休めたいと思う人には迷惑だったことでしょう。
また「護摩の灰」と呼ばれた盗人もよくいたようで、大部屋では宿泊客の寝ている間にコッソリ枕元に置いてある金品を盗み取る
枕探しという犯罪行為も多発していたようです。これでは安心して眠ることも出来ませんな。
そう思うと、今とは違って「旅をする」という行為は「危険を覚悟」するものだったのでしょうね。
今は安心して旅を出来るのがありがたいです。でも、今の治安の良さはいつまで続くのでしょうね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今の日本で安価に旅を済ませようと思うと、ビジネスホテルに泊まるのが一般的かと思います。
ただ、外国人観光客が高値でもビジネスホテルに泊まってくれるので、東京や京都などでは宿泊料金が相当値上がりしてるんですよ。
このままだと「日本人が日本国内の旅行に行きにくくなる」なんていう事態になりかねないので、
政府には早く手を打ってほしいと願っています。ただ、日本は何をするにも時間がかかりますからねえ。
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関で泊まるなら鶴屋か玉屋と
言われるほど有名なのですね。
お椀がずらりと並んでますが
当時のことですから木をくりぬいた
お椀でしょうね。
今はどうか知りませんが、数十年前、
「雑賀崎では「ざじずぜぞ」を
ざ おめでとうごだいます
じ 人力車・・りんりきしゃ
ず ずうずうしい・・るうずうしい
ぜ ぜんざい・・でんざい
ぞ 雑巾・・どうきん
因みに僕らでも布団を敷くを
布団をひくと言います。
それにしてもこの混みようはやはりこの為替のためですかね。
ドル経由なこともあり、通貨価値の低い国からみても円安になっているのが辛いところです。観光業の皆様も各所で対応する人が足りなくて大変なんですよね・・・。
旅籠って「馬の餌を入れる籠」からそういわれるように、
木賃宿との違いも、勉強させて頂きました
お膳の並べられた部屋を見て
高野山の宿坊での食事を思い出しました
疲れた体を癒す宿なのに
色々訪ねて来られたら迷惑でしたね
旅先でご飯を作るって、避けたい(笑)
飯盛り女は、そうなんですよね。
裏のお仕事がある。
なんか、嫌だわ。
凸
ぽち
昔の旅籠は全国からの旅の人たちで賑やかなことだったでしょうね。目を閉じれば、ここで旅人同志の故郷自慢が聞こえてきそうです。
写真素晴らしいですし丁寧な説明地元の私も知らない事ばかりで勉強になります、
素晴らしい関宿なのに訪れる方が少ないのは寂しいです。
気になったので WEBで再確認しました。
宿探しは 基本じゃらんで
安い順で 散策して決めています。
旅籠と木賃宿の違いよく分かりました
清潔そうなお布団や室内の感じでこれだけでも十分なように思いました