Sengan-En, Kagoshima City, Kagoshima Pref.
さてさて、指宿のお宿を出発したワタクシ達は、まずは鹿児島県鹿児島市に向かいました。
まずは城山にある展望台に向かいました。城山は山というよりは、小高い丘なのですが
眼下に鹿児島市が広がり、錦江湾を挟んで桜島を見渡せる絶好の場所なんですよ。
しかししかし、PM2.5の影響でどうしても桜島が霞んでしまい、イメージするような写真を撮れませんでした。
また、ここ城山は西南戦争最後の激戦地であり、西郷隆盛が終焉を迎えた地として知られています。
このあたりは「西郷どん」の中で、細かく語られていくことでしょうね。
ちょっと面白いものを見つけたんです。これは克灰袋(こくはいぶくろ)と言いまして、桜島からの降灰があると
市からこの袋が支給され、各家庭等では降灰を「克灰袋」に入れ、市の指定した宅地降灰指定置場へ出すそうです。
市内には同置場が約6500ヶ所あるとのことでした。桜島は今も絶えず噴煙をあげていますよねぇ。
続いてワタクシ達は仙巌園(せんがんえん)へ行きました。仙巌園は、1658年に19代島津光久によって築かれた別邸です。
錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれた、雄大な景色を楽しむことが出来るんですよ。
幕末の名君、28代島津斉彬がこよなく愛した場所としてもよく知られています。
入口を入るとすぐに、反射炉の跡があり、その傍に復元した反射炉がありました。
反射炉は大量の銑鉄を溶かして鋳型に流しこみ、大砲の砲身を造る施設なのですが、
島津斉彬が日本を守る大砲を鋳造するためにつくらせたものなんですよ。
2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」には、知名度がイマイチであったり、
「これが世界遺産なの?」と首を傾げたくなるようなものが多かったのですが、
ここ仙巌園に残る反射炉跡も世界遺産なんです。これって知らない人の方が多いような気がします。
島津家の家紋は、丸十紋で知られていますが、丸十紋の他に、牡丹紋と桐紋があるんです。
牡丹紋は、島津家の家具や調度品にも数多く描かれ、篤姫が用いた女乗り物にも牡丹が施されていたそうです。
牡丹は島津家にゆかりの花ということで、寒牡丹が育てられていました。
この日は年末とは思えないような穏やかな一日でした。大阪はすごく底冷えしていたそうでしたので、
あらためて南国鹿児島の温暖な気候を実感した一日でした。
ではでは、錫門をくぐって仙巌園をじっくり見ていくとしましょうか。
使用したカメラ:1,4,7,8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
鹿児島に行くと、いたるところで丸十紋の島津家の家紋を見ました。
これほど、かつての藩主の家紋を目にするのは無かったように思います。
それだけ、鹿児島県人の島津家への思いが強いということなのでしょうね。
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写真日記ランキング
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さてさて、指宿のお宿を出発したワタクシ達は、まずは鹿児島県鹿児島市に向かいました。
まずは城山にある展望台に向かいました。城山は山というよりは、小高い丘なのですが
眼下に鹿児島市が広がり、錦江湾を挟んで桜島を見渡せる絶好の場所なんですよ。
しかししかし、PM2.5の影響でどうしても桜島が霞んでしまい、イメージするような写真を撮れませんでした。
また、ここ城山は西南戦争最後の激戦地であり、西郷隆盛が終焉を迎えた地として知られています。
このあたりは「西郷どん」の中で、細かく語られていくことでしょうね。
ちょっと面白いものを見つけたんです。これは克灰袋(こくはいぶくろ)と言いまして、桜島からの降灰があると
市からこの袋が支給され、各家庭等では降灰を「克灰袋」に入れ、市の指定した宅地降灰指定置場へ出すそうです。
市内には同置場が約6500ヶ所あるとのことでした。桜島は今も絶えず噴煙をあげていますよねぇ。
続いてワタクシ達は仙巌園(せんがんえん)へ行きました。仙巌園は、1658年に19代島津光久によって築かれた別邸です。
錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれた、雄大な景色を楽しむことが出来るんですよ。
幕末の名君、28代島津斉彬がこよなく愛した場所としてもよく知られています。
入口を入るとすぐに、反射炉の跡があり、その傍に復元した反射炉がありました。
反射炉は大量の銑鉄を溶かして鋳型に流しこみ、大砲の砲身を造る施設なのですが、
島津斉彬が日本を守る大砲を鋳造するためにつくらせたものなんですよ。
2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」には、知名度がイマイチであったり、
「これが世界遺産なの?」と首を傾げたくなるようなものが多かったのですが、
ここ仙巌園に残る反射炉跡も世界遺産なんです。これって知らない人の方が多いような気がします。
島津家の家紋は、丸十紋で知られていますが、丸十紋の他に、牡丹紋と桐紋があるんです。
牡丹紋は、島津家の家具や調度品にも数多く描かれ、篤姫が用いた女乗り物にも牡丹が施されていたそうです。
牡丹は島津家にゆかりの花ということで、寒牡丹が育てられていました。
この日は年末とは思えないような穏やかな一日でした。大阪はすごく底冷えしていたそうでしたので、
あらためて南国鹿児島の温暖な気候を実感した一日でした。
ではでは、錫門をくぐって仙巌園をじっくり見ていくとしましょうか。
使用したカメラ:1,4,7,8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
鹿児島に行くと、いたるところで丸十紋の島津家の家紋を見ました。
これほど、かつての藩主の家紋を目にするのは無かったように思います。
それだけ、鹿児島県人の島津家への思いが強いということなのでしょうね。
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霞んでみえるんですね。残念です。
あと2ヶ月もすると今度は黄砂がやってきます。
偏西風による東に位置する国の
宿命ですね。
鹿児島市の城山へ行ったのですね。
ここからは、桜島が目の当たりに
見えるでしょう。
私は2泊目に泊まったのは、
城山観光ホテルで、窓から見る
正面の桜島がきれいでした。
東京からだとなかなか実感が無いですが
桜島はずっと噴火を続けているのですね。
こんな袋まであるとはー。
鹿児島ならではですね~
☆
今でも噴煙で苦労されてるのですね
ポチ (^^)/
眺めがいいですね。
P.M2.5で桜島が霞んで残念でしたね。
桜島は今でも噴火を続けているのですね。
そのためこのような袋が配られているのですね。
応援ぽち!
噴煙の影響
住んでいる方も大変ですね。
☆~
鹿児島に行かれましたか
私も一昨日、(親戚の葬式でした)
雲一つない青空の鹿児島に行ってきました
斎場の駐車場に止まってる車に灰がかかってて
「あ~桜島の火山灰」って気づいたわけでした
こういう袋があるのですね~
今の山容は大正噴火後の姿
です。1月から始まった大
河ドラマ西郷どんでも、桜
島は鹿児島の象徴として出
てきますが、田舎のシーン
ではどうやら薩摩半島の開
聞岳(薩摩富士)にすり替
えているようです。それは
ともかく、幕末のドラマで
現在の山容は頂けませんね。
「篤姫」の時(だったと思
いますが)は山頂が平らな
江戸時代の屏風絵のような
CG処理が施されていたよう
な気がいたします。今更で
すが。
大昔、鹿児島にお客様がいらっしゃって、
火山灰でパソコンのHDがすぐ故障すると聞きました。
今でも精密機器は、故障が多いのかな~?
立派な門松ですね、栄華が偲ばれますね
噴煙やPM2.5の影響が大変でしょうね
ぽち!!