なぜ今?「親北派」を大統領に選んでしまう韓国人のメンタリティ
元駐韓大使が激動の半島情勢を読む
激動の朝鮮半島。韓国に親北政権が誕生したらどうなるのか、米中は北朝鮮に対してどんな「秘策」を持って臨むのか――。
元駐韓大使の武藤正敏氏と、先日『活中論 巨大化&混迷化する中国と日本のチャンス』を上梓したばかりの中国問題のスペシャリスト・近藤大介(週刊現代編集次長)が緊急対談を行った。
なぜ「親北派」が選ばれてしまうのか
――北朝鮮の挑発、朴槿恵前大統領の逮捕、THAAD配備を巡る米中韓の対立など、朝鮮半島を舞台に問題が次々と噴出しています。国内情勢が混乱を極める中、5月9日に韓国大統領選挙が行われますが、最大野党「共に民主党」の予備選挙の結果、4月3日に前代表の文在寅氏が選ばれました。
「大統領になったら、まず金正恩第一書記に会いに行く」と公言するほどの親北派で、かつアメリカが韓国に配備しようとしているTHAAD(弾道ミサイル迎撃システム)の撤廃を訴えるなど、大胆な人物です。
混乱した状況において、なぜこのような極端な主張を韓国国民の大部分が支持するのか、理解に苦しむところがあるのですが。
武藤 それにはまず、今の韓国社会の空気を知る必要があります。端的に言うと、現在の韓国は「希望が見えづらい社会」になっています。特に、若者が未来に希望を抱けない社会になっている。
韓国の受験競争が日本以上に厳しいことはご存じでしょう。高校生は受験勉強のために、朝、弁当を二つ持って学校に行きます。一つは昼用、もう一つは夜用です。それで、学校に籠って夜10時ぐらいまで勉強し、その後は塾に行って勉強する。それでも、良い大学に合格できるかは分からない。
その厳しい競争を勝ち抜いて一流大学に入っても、就職する際にさらに高い壁に阻まれることになる。サムスンやLGといった、韓国経済を牛耳っている財閥系輸出企業に就職できるのは、全体の1%といったところ。一流企業と中小企業の待遇差は大きいし、日本以上に非正規雇用者は苦しい生活を送らなければなりません。
結婚するにしても、良い企業に入っていないと難しい。就職、恋愛、結婚、出産、マイホーム、夢、人間関係の7つを諦めなければいけない韓国の若者を指す「七放世代」という言葉が、流行語になっているほどです。
近藤 韓国にいる私の知人の娘も、ソウルの割といい大学を出たのに、100社以上就職試験で落とされ、諦めて日本留学を考えていると言っていました。
そんな社会ですから、財閥企業に対する国民の「恨み」は非常に強い。2014年12月に起こった「ナッツリターン事件」が韓国で盛り上がったのも、大韓航空創業者一族の副社長なら、何をやっても許されるのか、という反発が背景にあったからです。
武藤 高齢者の自殺率も、OECDの中で最も高いですからね。
そんな中で、朴槿恵氏は「経済民主化」を謳って大統領になりました。ごく簡単に言うと、財閥・大企業の利益を国民に還元し、中間層を拡大させようということです。
しかしこの改革は遅々として進まず、さらに韓国の国民を失望させることになった。そこに崔順実(チェ・スンシル)女史のスキャンダルが発覚し、朴槿恵おろしが起こったわけです。
その朴槿恵と彼女の政策を痛烈に批判したのが、左派の弁護士で次期大統領最有力候補の文在寅(ムン・ジェイン)氏です。「大統領になったら、まず北朝鮮に行く」と公言していますので、彼が当選すれば韓国は国際社会から孤立してしまうかもしれません。
でも、それぐらいラディカルに路線を変更しなければ、この国は変わらない――そう思っている人が韓国では増えていて、それが文氏の支持につながっているのです。
近藤 北朝鮮を巡る深刻な情勢を考えれば文氏を大統領に選ぶのは、正しい選択とは思えません。
文氏の政策が韓国の経済成長につながるようには見えませんし、THAAD配備を巡ってアメリカと揉めれば、韓国リスクがまた一つ増えて海外からの投資が先細るので、経済はますます悪化するでしょう。私は韓国を代表する月刊誌『月刊中央』に連載を持っていますが、最近は韓国の人々の視野が狭くなっていると感じますね。
武藤 外交・国際情勢の視点から、文大統領が誕生したらどうなるかを考えてみますと、やはり明るい展望は描けません。
まず注目を集めるのが、北朝鮮との関係をどうするか。先述のとおり、文氏はまず北朝鮮を訪問すると公言しています。南北首脳会談が実現したら、経済交流の再開と強化が約束されるでしょう。
現在は停止している開城工業団地(南北の軍事境界付近に設置された、南北和解の象徴だったが、2016年2月に操業停止)での交流を再開する、北朝鮮の石炭やミネラルと韓国のコメを交換するなどと言っています。
これによって北朝鮮には、少なくとも年間数億ドル規模のカネが流れることになります。
韓国がそういう「抜け道」をつくってしまえば、国際社会がどれだけ北朝鮮に経済制裁を課しても、痛みが軽減されてしまう。中国も協力しなくなるでしょう。現在最も有効な対北政策である「経済制裁」という選択肢を失ってしまうことになります。
「バランサー外交」を気取るが
近藤 そうです。そしてそのカネは、核兵器やミサイルの開発に注ぎ込まれるでしょう。国際社会に対する脅威が、今以上に増すのは間違いありません。
ここで指摘しておきたいのが、韓国国内にも、「北朝鮮が核を持って何が悪いんだ」という声が少なからずあることです。「いずれ南北統一を果たしたときに、韓国は核保有国となり、日本や周辺国に対抗できるではないか」という理論です。
武藤 この韓国の国民の「北朝鮮へのシンパシー」というものが、なかなか日本人には理解できないところがある。でも、やはり元を辿れば同胞だという意識は根強くあって、それが文在寅氏を支持するもうひとつの理由となっているわけです。
金正恩は本気で「赤化統一」(北朝鮮主導による南北統一)ができると考えているのではないか。私たちの常識では想像できないことですが、文政権が誕生すれば、それが現実となる可能性がないとは言い切れません。
近藤 平壌の金正恩委員長は、「チャンス到来!」と思うでしょうね。同時に、THAAD配備を巡って、米韓関係に大きなほころびが生じることも懸念されます。
文氏がその見直しを示唆しているため、アメリカは文大統領誕生を見越して、THAADの配備を大統領選挙の5月前後に前倒しすることを決めました。一度配備されれば、撤去は難しくなるでしょうが、文政権が強硬に撤去を主張すれば、米韓関係の悪化は避けられません。
そもそもアメリカは、文在寅新政権が誕生したら、対北朝鮮戦略において米韓で情報共有を行うこと自体、機密情報が韓国側から北朝鮮に流れるのではないかと危惧しています。文氏は2007年11月、国連の北朝鮮に対する人権非難決議の草案を北朝鮮に流した「前科」がスキャンダルになっているからです。
武藤 アメリカは文大統領誕生を見越して様々な準備をしていると思います。ご指摘のTHAAD配備もその一環です。しかし、去る3月17日、ティラーソン国務長官が訪韓した際、文在寅氏と面会して「過度の親北朝鮮路線や、米韓関係を揺るがすようなことは得策ではない」と釘をさすことはしませんでした。せっかくの機会に残念です。
近藤 安煕正(アン・ヒジョン、「共に民主党」の二番手候補。トランプ政権との対話の重要性を訴えていた)氏とは会っているんですが、彼が次期大統領になる確率はゼロに等しい(笑)。米韓が双方に責任をなすりつけ合っていますが、ティラーソン国務長官はその日、尹炳世外相主催の晩餐会もドタキャンしています。
武藤 米韓関係については、朴槿恵大統領の時からコミュニケションが十分でない面がありました。
2015年10月に朴大統領が訪米した際に、オバマ大統領(当時)が、「米国も中国との関係を良くしたいので、韓国が中国と仲良くしたいのは分かる。しかし、中国が南シナ海などで国際法に違反するようなことをやったときには、一緒になって反対の声をあげてほしい」と丁寧に釘を刺しました。
しかし、朴大統領はオバマ大統領発言の前段部分だけ取り上げて、「アメリカは我が国の中国に対する姿勢を完全に理解してくれた」といったのです。外交をやっている人の常識ですが、米国は事前に米中首脳会談の雰囲気について詳しく説明しています。韓国はこうした外交の呼吸を理解していないのです。
近藤 私はそのメンツを潰された時、オバマ大統領は韓国へのTHAAD配備を決断したと見ています。もうこれ以上、中韓接近を看過できないということです。
――しかし、韓国国内のTHAAD配備が決まったことで、中韓関係は1992年の国交正常化以降、最悪レベルに悪化しています。
これまでは日本、アメリカからみた韓国について語ってきましたが、中国は韓国、特に文大統領の誕生について、どう受け止めているのでしょうか。
近藤 誤解を恐れずに言えば、中国は韓国にも北朝鮮にも、たいして興味がないんですよ。
第一はアメリカ、次いでロシアです。これは中国外交部が、優秀な人間をアメリカ担当とロシア担当に配置していくことからも明らかです。朝鮮半島との関係は、「中米関係の一部分」という扱いです。
なぜ習近平主席がTHAAD配備に猛烈に反対しているかと言えば、喉元にアメリカの強力な兵器が配備されることで、中国の東アジア戦略を大きく見直さざるを得なくなるからです。
だから、もしもTHAAD配備が実施されれば、その日から中国全土で強烈な反韓運動が起こるでしょうね。2012年9月に、日本が尖閣諸島を国有化した時の、反日運動を思い出してもらえればいい。
THAAD配備の見直しを示唆している文氏が大統領になることは、中国にとっては好ましいことです。ただ、前任の朴槿恵大統領がアメリカと中国を同等に考える「バランサー外交」を行ってきたのに対し、文在寅新政権はアメリカと北朝鮮を同等に考える「バランサー外交」を行おうとしている。
つまり、中国をどう考えるのかということが、いま一つはっきりしないわけです。
武藤 中国は当然THAAD配備の撤回を求めてくるでしょうから、文氏はいきなり難問に直面することになりますね。アメリカをとるのか、中国をとるのか、という踏み絵を踏まされることになる。
近藤さんが指摘するように、5月に中国で大規模な「反韓運動」が起これば、韓国国民の気持ちも刺激されて、「中国の言いなりになるとは、なんと弱腰だ」という声が高まるかもしれない。
板挟みになる中、この問題を巧くマネージできなければ、さっそく求心力を失うことになりかねません。
駐韓大使が帰任したことの意味
――中国側が韓国へのTHAAD配備を容認する代わりに、文在寅新政権に対して、北朝鮮に接近するようプレッシャーをかける…というのは甘すぎる見方でしょうか?
近藤 甘すぎますね。まず、なぜ習近平政権がTHAAD配備に強硬に反対するのかを理解しなければなりません。習近平主席は、THAADが配備されると人民解放軍を掌握できなくなると思っているのです。
習近平主席は昨年から、人民解放軍の改革を行っています。これは建国以来とも言える大改革で、230万人いる兵士を2年間で200万人に減らすとか、北部に配置された陸軍を中心とした軍隊から、南部と東部に展開する海軍を中心の軍隊に変えるとか、各軍管区のトップが強大な権限を持っていたのを、中央軍事委員会主席、つまり習近平がすべての権限を持てるように変える、とか。
その大改革を遂行している最中に、喉元、つまり韓国にTHAADが配備されるとなれば、そのレーダーが半径2000㎞に及び、北部戦区、中部戦区、北海艦隊、東海艦隊などを網羅してしまうため、軍事改革は変更を余儀なくされます。かつ、それを抑えられなかったことで、習近平の人民解放軍に対する求心力も低下してしまう。習
近平の権力の源泉は、軍のパワーと国有企業の富です。そのため、軍の求心力の低下はどうしても避けなければならない。
つまり、THAAD問題で習近平が折れることはないのです。
武藤 私自身は、文在寅氏は当選しても、THAADを撤廃しないと思っています。「自分が大統領になる前に配備されてしまったのだから、仕方ない」と。北朝鮮との外交に専念するためにも、そういう態度をとるのではないかと思いますね。
もしTHAADを撤廃するとなれば、アメリカは韓国に「だったら、米国はもう知らない、勝手にしろ」と言ってくるでしょう。さすがに、在韓米軍の撤退にまでつながることになれば、国民の不安は最高潮に達するでしょうから、それよりは、THAADを採るのではないでしょうか。
いずれにせよ、朝鮮半島を舞台に、5月以降大きな地政学的変化が起こることは間違いない。日本もその危機意識を持たなければなりません。
近藤 朝鮮半島の緊張が高まる中で、自民党内では「ミサイル発射の兆候があったときには、敵基地を叩くことも検討すべきだ」という議論が起こっていますが、まず議論すべきは、北朝鮮がソウルを攻撃してきたとき、あるいはその兆候があった時に、在韓邦人及び日本人旅行客の救出・退避をどう進めるのか、ということです。これがほとんど議論されていません。
昨年末に釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受けて、安倍政権は対抗措置として長嶺安政駐韓大使を日本に帰還させました。4月4日にようやく韓国に帰任しましたが、韓国に日本の最高責任者がいない状態が3ヵ月も続いていた。危機管理について考えた時、トップが不在、というのは大変な問題です。
武藤 私も駐韓大使時代(2010年~2012年)には、日本大使館の一番重要な仕事の一つは、在韓の日本国民の生命と安全を守るということだと肝に銘じていました。北朝鮮との関係で危機が起こったときに、最高責任者が不在というのは問題です。
また、大使の重要な役割として、緊急の場合には、任国の防衛大臣や外務大臣と直接面会したり、電話して協力することです。それができるのは大使だけです。情報収集だけなら公使以下でも相当カバーできるでしょうが。
思い出されるのは94年に起こった北朝鮮危機(北朝鮮の核開発を巡り、アメリカが北朝鮮への攻撃を検討するほど緊張が高まった)です。あの危機のとき、後藤利雄大使(当時)の夫人が、個人的な用事で日本に一時帰国しました。そのことが韓国の日本人社会に伝わって、「大使の夫人が帰国したということは、本当に危ないんじゃないか」と邦人社会はパニックになりました。
危機下においては、在留邦人は大使館の動きを注意深く見ています。また、韓国人も日本人が退避を始めると、日本に対し反発することも考えられます。緊急時の行動は、日本の外交、邦人保護にとって極めて機微な問題になるわけですし、大使の判断は極めて重要になります。
日本はどうすべきか
――最後に、4月6日と7日に、トランプ大統領と習近平主席との初めての米中首脳会談が開かれますが、それによって朝鮮半島情勢はどう変わるでしょうか。また、日本はその結果をどう踏まえるべきでしょうか?
武藤 トランプ大統領は、中国が北朝鮮問題で果たすべき役割を果たしてこなかったという不満を強く持っています。文在寅政権が誕生すると、韓国政府は北朝鮮問題で米国が採ろうとしている政策を著しく制約する行動に出るでしょう。中国がやらなければ米国だけでやる、という米国の主張は通じなくなります。米国はあらゆる選択肢がテーブルの上にあると言ってはいますが。
米国は、中国がどのような対応をするのか、長い時間を掛けて見守ることはできないと考えているのではないでしょうか。それが中国と協力した制裁の強化なのか、より強い行動なのか、今は予想することはできません。
近藤 私は、アメリカは北朝鮮空爆ではなく、金融制裁に出ると思います。アメリカがこれまで行ってきた数々の対北朝鮮制裁の中で、一番効果があったのが、2005年9月に実施した、マカオのバンコ・デルタ・アジアに対する金融制裁だったからです。金正日総書記の52の隠し口座、計2500万ドルを凍結させただけで、北朝鮮はパニックに陥ったのです。
米中首脳会談を受けて、日本として北朝鮮問題に関して行えることは限定的ですが、トランプ政権の「中国を活用する」というアプローチは真似すべきだと思います。
トランプ政権は、口先では中国を非難しつつも、実際には自国の国益のために中国を最大限「活用」しようとしています。北朝鮮問題も然りです。私はこのほど『活中論』(中国を活用するための論)という本を上梓しましたが、北朝鮮問題も含めて、日本はもっと中国を活用していくことが大事だと思います。
武藤 最後にひとつ警鐘を鳴らしておきたいのが、「テロは警備の薄いところで起きる」ということです。朝鮮半島の混乱に乗じて、日本が北朝鮮のテロの標的になることは、十分に考えられる…それぐらいの危機感は持っておかなければならないでしょう。