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文政権、国民を「臣民」扱い 統一日報

2021-01-17 12:03:31 | 日記

文政権、国民を「臣民」扱い

執権勢力の前近代的な方策
日付: 2021年01月14日 00時00分
 

 昨今の韓国は正常な状態とは言い難い。行政、立法、司法からメディアに至るまでを親与党派(親与派)が掌握し、権力監視機能はもはや風前の灯火ともいえる状況に陥り、批判が高まっている。

本業をおざなりにし、不動産・株式投資で一攫千金を狙う人々も急増している有様だ。

こうした異常ともいえる状況を生み出した原因として指摘されるのが執権勢力だ。文在寅政権は国民を臣民であるかの如く認識しているようだ。

(ソウル=李民晧)


国民を臣民扱いする政府


親与派の最近の言動を振り返ると、今が本当に2021年なのかという錯覚すら覚える。

彼らは大統領を、まるで朝鮮時代の王であるかの如く認識しているようにみえるのだ。

尹錫悦検察総長の懲戒問題は執権の司法府掌握問題へと飛び火している
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ソウル行政裁判所は昨年12月24日、大統領の裁可に基づいて決定された尹錫悦検察総長に対する法務部の懲戒処分(停職2カ月)に「無効」を言い渡した。
 
 
懲戒処分に対する本案訴訟結果にはさらなる時間を要するが、「執行停止」を申請した尹総長と手を携えた格好だ。
 
青瓦台は当初、「面目ない」などの控え目なコメントに留まっていたが、その翌日、与党・民主党からは一斉に司法府への批判が噴出した。

「国民が選出した大統領の権力を停止させた司法クーデターだ」(金斗官)。

「検察の態度と裁判所の解釈、あまりにも適当な選民意識とあまりにも分かりやすい既得権のにおいがする」(任鍾晳・前青瓦台秘書室長)。

「検察と司法がタッグを組んで法的クーデターを起こした」(キム・オジュン・放送キャスター)。

「韓国では三権分立が正常に機能しているか」といったことを考える間もなく、裁判所の決定を「反逆行為」と切り捨てたのだ。
 
前兆はあった。
 
民主党は昨年12月18日、尹検察総長に対し「国民を代表する最高統治権者に抗い、超えてはいけない一線を越えた」と批判。
党内議員の集まりである民主平和国民連帯も「任命権者である大統領に抗うというのは前例がないほど非常識な反発」と述べ、尹総長の退任を促した。
 
姜琪正・前青瓦台政務首席はこの時、「今後は尹総長が任命権者である大統領と争うことになる。
 
今後も大統領との争いを続けるのか」と圧力をかけた。民主党の安敏錫議員は「文大統領は実は非常に恐ろしい方。一度腹を決めたら怖い」と述べた。
要するに「王への反逆などもってのほか。大統領が懲戒を裁可したら膝をついて受け入れろ」という話だ。

 公務員による違憲行為の数々

帝王的大統領制という表現は、米国の「Imperial presidency」に由来する。
 
歴代韓国大統領の不幸な末路に対し、多くの学者や政治家がここに原因を見い出している。
 
それにも関わらず、韓国の大統領制では「法治主義」が機能し、それを尊重する風土があった。
 
即ち、法の前では大統領ですら上に立つことができないという、いわば「全ての国民は法の下では平等である」ことが憲法的価値だ。
 
しかし、法治のトップである法務部長官の行いはそれと逆行している。
 
20年11月、尹総長が「国民のための検察であるべきだ」と述べると、前法務部長官である曺国氏は「検察総長は選挙で国民に選ばれたわけではない。
 
検察総長は大統領が任命した人物」だと反発した。曺氏はまた「(検察総長は)国民への責任を果たす前に、大統領と法務部長官にまず責任を果たすべきだ」とまで主張した。
秋美愛法務部長官は、尹総長の弾劾を主張した民主党議員のコメントを自身のSNSで共有し、間接的に批判に同調した。
 
「抗う」「大逆罪」といった前近代的表現も複数飛び出した。
 
大韓民国憲法第7条1項では「公務員は国民全体に対する奉仕者であり、国民に対する責任がある」と規定している。
大統領は公務員の中の最高職位に過ぎず、奉仕の対象は国民だ。憲法通りの解釈であれば大統領の部下、または人事権を持つ公務員も自分の上官以前に国民に奉仕するのが基本だ。
もし上官に不当な指示を出された場合、その指示を拒否しなければならない。しかし、公務員となった親与派をはじめ、法務部長官に起用された人々は、国民に対して大統領への服従と忠誠を求めているのだ。

王のような「私の国民」

18年11月、大統領制の本家・米国で興味深い事案が発生した。
ジョン・タイガー・サンフランシスコ連邦裁判所判事が、トランプ大統領が署名した反移民行政命令の停止を言い渡したのだ。
 
この時トランプ大統領は、ジョン判事を「オバマ前大統領が指名した人物である」と批判した。
その後、連邦最高裁判所長のジョン・ロバートは「我々にオバマ判事、トランプ判事という同僚はいない。
 
ただ法の下に控訴する人へ公正かつ同等な権利を付与するため最善を尽くす判事がいるだけだ」と語った。
大統領によって「司法府の独立性」が脅かされるのを看過できないという意思表示だ。
しかし、「ロウソク民主主義政権」を自負する現政権では、独立を担保されているはずの憲法機関が政権の下請けであるかのような姿を見せている。
 
キム・ミョンス最高裁判所長とユ・ナムソク憲法裁判所長に対しては、「司法府の独立と権威を失墜させる文在寅の下請け人」との批判も起きている。
 
まるで王朝時代の主従関係と捉えているようなケースもみられる。
文政権誕生から4年目を迎え、世間では文大統領の就任辞(17年・5・10)に改めて注目する動きが起きている。

なかでも話題となっているのが「一度も経験したことのない国をつくる」という言葉だ。
さらには「私(文在寅)を支持しない国民1人1人も私の国民です」も注目されている。
国民は言うまでもなく「大韓民国」の国民であり、なぜ「私」という特定人物の国民なのかという指摘だ。
「特定人物の国民」という表現は憲法の精神に反している。
君主国の臣下と民主共和国の市民・国民の違いを認識できないのではないか、または意図的な発言なのではないかとの声が上がっている。
親与派の人々が口癖のように主張する決まり文句がある。

「大韓民国は民主共和国だ。大韓民国の主権は国民にあり、全ての権力は国民から生まれる」
憲法第1章第1条の条文だ。この条文を現政権は「守っているのか」として疑問を呈す人は多い。
 
国民の奉仕者であるべき大統領が、朝鮮時代の「王」であると錯覚しているのではないか。
そのような認識を持つ人物が韓国のトップなら、それは明らかに「憲法違反」を犯しているといえるだろう。