[朴露子の韓国・内と外]韓国、幸せでない先進国
登録:2021-09-16 21:29 修正:2021-09-20 05:45
韓国の自殺現象の背景には、両極化の中の貧困、深刻な高齢者貧困、労働市場の二元化と不安労働の増加、そして労働市場への進入失敗者の増加があるが、普通一人ひとりの場合に重要な原因として浮上するのは、何よりも他者、社会との「関係」だ。
イラストレーション=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社
韓国とロシアの「あいだ」で生きながら、いつも感じるのは、この二つの国は思ったよりも似た弱点が多いということだ。
両国とも20世紀中盤になって本格的に産業社会の段階に入り込んだ後発開発国家で、両国とも国家主導の工業化と権威主義を嫌というほど経験した。
ロシアでも韓国でも、依然として相当数の都市民は農村にルーツを置く1~2世の住民たちだ。
そのためか、両国とも「男どうし」で酒を飲み、風呂で大事な話を交わすという「男性文化」をたびたび目撃する。
軍事的総動員の経験を持つ社会であるだけに、両国は徴兵体制や軍生活の抑圧性も半端でない。
徴兵を負担に感じ、できることなら回避したいと思う両国の若者たちの心情も十分に比較できる。
また、教育を通じて最近まで「自手成家」、つまり自力で身分上昇が可能だった後発開発社会であるだけに、両者の教育熱もとても高い。
韓国でもロシアでも、例えばノルウェーのような国よりは子どもたちがはるかに多くの宿題をしなければならず、はるかに難しい数学を解かなければならず、はるかに多くの読書をする。
どの側面を見ても似た部分が非常に多いが、それが例えば韓国映画がロシアで最近ブームを起こした理由の一つだろう。
その映画の中には、ロシアの歴史や現実が鏡のようにそっくり含まれている。
例えば『南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~』のような映画を観るロシアの観客は、こんにちのロシアの在野の人物らが体験したことを思い浮かべることだろう。
両者が共有しているもう一つの問題は、不幸にもまさに「世界最悪」に近い自殺率だ。
毎日平均38人が自ら命を絶つ韓国の自殺率は、人口10万人当たり26人程度だ。
富裕国クラブと言われる経済協力開発機構(OECD)では断然最悪だ。
韓国と違いロシアはOECDに加入してもいないし、加入する見込みもない。
ところが、信頼しにくいロシア国内の統計ではなく世界保健機関の統計を見ると、ロシアの自殺率もやはり25人程度で、韓国と似た水準だ。
両者の自殺率は世界平均の9人に比べて2.5倍ほど高い。
すなわち、両者は「自殺共和国」の汚名から決して免れることはできない。
ところが両国の自殺率推移の曲線を見ると、有意な差がすぐに目につく。
ロシアの自殺率は1990年代初中盤に最悪(40人以上)になり、その後は着実に減少している。
韓国の場合、2011年に最悪(31人)に到達した後、最近5~6年間は25~26人水準で固着している。
この差を理解するには、両国が「自殺共和国」になった原因を細密に見なければならない。
ロシアでは、ソ連邦の没落(1991年)当時10万人当たり20人前後だった自殺率が、その3~4年後にはほとんど2倍にぐんと跳ね上がった。
共同理念の喪失、脱産業化と貧困化の中でアルコール中毒率がどこまでも急増し、自殺が過去よりはるかに頻繁に起きた。
一方で、2000年代初期から経済事情が良くなり社会が安定すると、アルコール中毒率が減少し、自殺率も概して下降曲線を描いた。
ロシアにおける自殺率は正確に貧困率、そしてアルコール中毒率と正比例する。
最も貧困で最もアルコール消費が多い一部の辺境地の農耕地域の自殺率は40~50人に達するが、相対的に裕福で健全なライフスタイルが好まれるモスクワでは4人程度で、世界的に見ても低い方だ。
もちろん生活苦や就職の失敗に苦しみ、もはや耐えられずに命を絶つケースは、韓国でも容易に見つかる。
自殺衝動を感じたと自ら明らかにする人の約3分の1はその理由として経済的困難を挙げるので、韓国でも明らかに貧困と自殺は直結している。
しかし、ソ連の没落以後、突然生活水準が平均半分以下に下がり、貧困率が35%に達して絶望のるつぼとなった1990年代のロシアとは違い、韓国は概して着実に経済成長してきた。
韓国の貧困層や中下層であっても、小幅ではあるが絶対消費額は長期的に少しずつ増えた。
あえて言うならば、1980年代にも貧困層の経済的苦痛は非常に深刻だったが、その時の自殺率は10万人当たり7~8人に過ぎなかった。
裕福になり、さらに「先進国」のタイトルまで獲得した大韓民国で、最近20年余りの間に自殺が流行病のように広がることになった原因は何だろうか。
韓国の自殺現象の背景には、両極化の中の貧困、深刻な高齢者貧困、労働市場の二元化と不安労働の増加、そして労働市場への進入失敗者の増加があるが、普通一人ひとりの場合に重要な原因として浮上するのは、何よりも他者、社会との「関係」だ。
あらゆる苦痛にもかかわらず、概して人間が生き続ける力を集中する心的要素は、まさに他者の関心と尊重、そして所属感だ。
どんなに貧しくとも、「私」を心配してくれ、自分の尊厳を認めてくれる家族や友人、自分に存在感を付与する何らかの集団に対する所属感さえあるならば、それだけでも自殺を避け、持ちこたえられる人がほとんどだ。
しかし、この三つの要素の欠乏は、裕福で「先進的」な今日の大韓民国を心理的な「砂漠」とし、一人ひとりが概して不幸で憂鬱な社会にした。
他人に関心を示し、誰かのケアをするためには、まず余裕が必要だ。
物理的な時間的余裕と心的余裕だ。
しかし「先進国」である大韓民国には、お金に余裕がある人々であっても時間的余裕や心的余裕はない。
「速く速く」がこの社会で空気のようになったために、忙しくなければ直ちに不安を感じるほどだ。
非正規労働者であれば雇用不安のために常に心理的につらいだが、公務員や大企業の正社員でも高い実績要求に苦しんでいて、概して余裕がない。
すべての社会組織が序列化されていて、下級者や社会的「クラス」がない無職者を冷遇せずに、その尊厳性を傷つけない人はむしろ少い。
そして、かつてのような「家族」は瓦解し、独居世帯の比率が40%に肉迫し、平均勤続期間が6年にしかならず「職場共同体」がすでに崩れた社会では、所属感を感じることも決して容易ではない。
このようにして今日の、裕福だがとても不幸な自殺共和国である大韓民国は作られたのだ。
私たちは今後、お互いを大切にして尊重し、各自が所属感を持ちうる「暖かい社会」に戻ることができるだろうか。
そのためには、まず新自由主義的な過労強要と不安労働の量産をやめるべきであり、職場が民主化されなければならない。
そうでなければ私たちは「不幸な先進国」という絶望から永遠に抜け出すことはできないだろう。
//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ)