ハタハタの1歩~側わん症とともに~

ハタハタのきまぐれな日記です!
側わん症とともにに生きてます!

少しずつ・・・part9術後1日目

2007-03-30 20:54:03 | 側わん症関連
今日は下宿先の引越し。
一人暮らしって荷物ないようで結構ためてる
やっぱ引越し業者は手際がいい
すげーと思った
狭い範囲で暮らしていてはいけないなと感じた。
でも、今日は晴れていてよかったわ


で、今回は術後1日目。
この日思ったことは・・・
術前に想像していたよりも動けない
手術って簡単に考えてたけど、
おれがばかやったなって。

酸素マスクは朝飯前には外れた。
ただやっぱり熱があって・・
朝飯とか食べる気になれないし。
ベッドを60度までおこしていいって言われたけど・・
正直無理。
最初は少しあげるだけでも痛みが伴う
結局30度も上げない状態で飯。
母がおかゆを食べさせてくれる。
ただ、あんまり食べられないし。
まぁ、おかゆだけは食べようとがんばる。

昼飯。
60度までベッドを上げる。
めっちゃ痛い。
もうそれやるだけで疲れたって感じで。
とりあえずおかゆだけは食べさせてもらった。

そして、母は帰った。
向きをかえるにしろ、一苦労。
痛みは伴うし、
常に「痛い」ばっかり
泣きそうやし。
おれの体ではないだろうなんて思ったり・・・

夕飯。
親は帰ったし、一人で食べられない。
正直何にもできないし。
やってられへんわ。
もう、嫌って思った。
結構時間がたったと思う。
仕方なしにナースコール。
来てくれたのは看護師Fさん。
おれは不満をぶつけてしまった。
「こんなんじゃ飯食べられないやん
どうやって食べるんやって。」
涙してしまった
看護師Fさんは答えた。
「ハタハタは健康や。
この病院の中には2歳とかハタハタよりも
小さい子が入院して手術したりしてる。
それを考えれば、ハタハタは健康や。
だから、自分がやれることは自分でやろうや
おれは反抗していた。
おれのどこが健康なんだよ
めっちゃ苦しんでいるのに
ただ、おれの性格をよく読んでいたと思う。
おれはそう言われたら確かに「むかっ」ってくる
でもなんか負けてたまるかって気持ちもでてくる。

おれは泣きながらおかゆを食べた。
Fさんの指導どおりに。

その夜考えた。
この言葉っておれのためなんだ。
おれが早く回復するための。
そう思うとうれしかった。
自分のことを考えてくれている
それがうれしかった。
がんばろうと思った

そんな術後1日目でした。
うぁ、また長い

見えない努力

2007-03-29 21:30:17 | 側わん症関連
今日は病院でお世話になったSさんから電話があった。
今日はSさんの外来の日だったらしく、
病棟の看護師さんたちにもあってきたそうだ。
そこで、看護師さんの見えない努力を目の当たりにしたそうで、
それをストレートに伝えてきた。
決して患者の前では弱音をはかないし、しっかりしている。
でも、その裏にはものすごい努力が隠れているんだと知った

それと同時に自分が情けなくなった
なんで、おれってこんなにへらへら生きているのかな。
他の人だってなにかしら見えない努力はしている。
なのに自分は、努力もせず甘えてばっかり
無理したらだめなのはわかっているけれど、
できることまで親に頼んだりしたり・・・
一人暮らしは何々ができないからまだ無理やとか・・・
そんな自分が情けなくなった。
くやしかったな。
おれも、できることはしないといけない
しかも口だけではなくちゃんと行動しないと
前も書いた気がするけど、やっぱ有言実行できていないから
こんなん書いているとほんま看護師さんに申し訳ないと思う。
自分のだめさに気付く。

ただ、これも手術していないとおれには気付かなかった点
そういう意味でよかったと思う
弱い自分だから涙してしまったけど、
これを機におれもがんばるぞ

生きるってすばらしい!

2007-03-28 21:46:56 | 側わん症関連
今たまたま世界仰天ニュースを見ていた。
そこで白血病と戦う少女が放送されていた。
これを見て思ったことをどうしても書きたかったのでここで書こうと思う!

これを見て
生きるってすごいことだって思った
なんなのかな。
手術してから生きることについて考え直したというか
生命力がすごいと思ったというか。
とにかくさぁ、簡単に命は無駄にできない
いや、無駄にしてはいけないと思った
8歳という若さで命を絶たなければいけなかった少女。
でも決して白血病から現実逃避しようとはしていない。
生きようとしている

生きているって幸せ
そう思ってこれから先生活していかないといけないなって感じた。
これからいろいろな困難に立ち向かわなければいけない。
でも、それで苦しんでいるとき
この少女のこと、自分の手術のことを
思い出そうと思う

こういうの見るとほんまに考えさせられるわ。
でも、これも手術しないとこんな思いまでは到達していないと思う。
生きるってすばらしい
本当にそう思えたのも、手術したからだと思う。
この経験を大事にしたいな

少しずつ・・・part8手術当日

2007-03-28 10:16:02 | 側わん症関連
昨日はけっこう歩いたせいかしらないけど
起床が8時半(汗
睡眠時間9時間だし。
それでも眠いっていう・・・そろそろやばいな。


で、今回は手術当日。
この日は起床6時すぎ。
前の夜はいびきのオンパレードで眠れない・・・
確かに次の日手術っていうこともあったかもしれないが
それでもやっぱりいびきが眠れない一番の理由だったと思うけど。
睡眠薬ももらわなかったし。
そして前の日飲んだ下剤は効果あり。
朝すっきりだった。
そして、いつもどおりラジオ体操。
休憩室から見る景色もラジオ体操も最後かななんて思うと
寂しくなってくる。
まだ、どこかで手術=死 と考えていたんだろう。
動かせる体を存分に動かして部屋に戻る。
点滴が始まるから。

点滴をしていると親が来た。
親と話しながら、親はおれの気持ちを落ち着かせるために
たわいのない話をしてくれているんだなと思った。
ありがたいなって思った。

そして、いよいよ手術の時間がせまってくる。
覚悟は決めてある。
先生たちに任せるしかない。
おれは生きるっていう意志を持ち続けるだけだ。
主治医の先生が来て、
ベッドに横になったまま手術室へと向かう。
親も手術室の手前まで付き添ってくれた。
心配しなくていいから数独でもしておいてと伝えた。
手術室に入る前に親に力をもらった。
手を握ってもらった。
おれは絶対成功させて帰ってくるから!!そう誓った。

そして手術室に入る。
もう嫌な気持ちもふっとんだ。
おれは生きる!!そう思っていた。
手術室に入って思ったこと。
うぁ~本物やん(笑)
あのでかでかとしたライト。
手術担当の看護師さんにそういうと笑っていた。
とりあえずよろしくお願いしますといい、
看護師さんと談笑。
で、おれの担当の看護研修生の子もいた。
握手かなんかした覚えがあるけど、
そっからはすっと眠ってしまって記憶がない・・・

実は、その間父の姉とその夫が心配して祈ってくれていたらしい。
おれって幸せ者やな。
後で思った。

で、10時間近くの手術が終わって戻ってきた。
しかし、おれの記憶にあるのはだいぶ後から。
麻酔が切れて酸素マスクがあるし、管ばっかりやし・・・
体が熱いし、少しでも動かそうとすると痛い・・・
母が心配して一泊してくれるらしくて母がいた。
でも、おれって生きてる
やったーって感じやった。
なんかそれだけで幸せやった。
これから苦労が待っていることも知らずに
ただ、”生きている”それだけでほんま幸せやった。

そんな手術当日だった。

術後初の外来

2007-03-27 22:43:38 | 側わん症関連
今日は術後初の外来だった。
経過は順調なようでよかった。
ただ、矯正率50%ちょっとだったらしく、
だからまだ右側が隆起するんだなと思った。
ただ、術前よりは肩の高さのアンバランスもとれてよかった!

その後ひさしぶりに病棟へ
お世話になった看護師さんがいた
元気になった姿を見てもらえてよかった。
ただ、担当の看護師だったSさんがいなかったのは残念だったわ
でも、いっぱいしゃべりすぎて仕事の邪魔になったのではないかと
後で反省した。
看護師さんの忙しさはよくわかったはずだ。
なのに、また自分の自己中でしゃべりっぱなし
そりゃ、看護師さんもわかっているからうまくかわして仕事に戻るけど。
自分はまだまだだなと思った。
でも、スーツ系の服着ても肩が下がらないので堂々と着れるとか
そういう明るい話題を伝えられてよかった
なんか病棟いって、
看護師さんたちの笑顔見て元気もらった気分
というより、一人暮らしできるように療養しないといけないなと思った。
確かに、体は疲れやすいし、無理できない。
それはわかってる。
親も無理させないように気を使ってくれている。
ただ、やっぱりやらないといけないことはちょこちょこやらないと
下宿先に戻って苦労するのは自分やしな。
これから少しずつできることを増やしていこう!!

今日は病棟いって看護師さんたちに元気をもらってほんま幸せでした

少しずつ・・・part7手術前日

2007-03-27 11:45:41 | 側わん症関連
ちょっとテンプレートのデザインを明るくしてみた。
なんかブログの編集画面が明るくなったから、
ブログも明るくしてみようかなんて。

で、今回は手術直前。
この日は何にもなかった。
手術をやるしかないって気持ちが7~8割を占め、
午前中に同意書にサインした。
親が見ていると書きにくいし、
自分の体を判断するのは自分なんだ。
意思決定は自分にある。
正直、親に甘えていたけど、これは自分が決断するしかない
たぶんこれが絶好のタイミングだと思うし。
これも神様がうまく導いてくれたのではないかと思うくらいだ。

午後は親が来て、最終の親の署名。
もうやるしかないって気持ちになった。
で、今日の夜の担当の夜勤はおれの担当看護師Sさんだと思っていた。
しかし、看護師Sさんは他のところの担当になってしまって
結局は看護師Kさんになった。
正直ショックだった。
夜勤の人が手術室まで送ってくれるらしいのだが、
看護師Sさんに送ってもらうイメージしかできていなかった。
そのため、担当が違うと看護師Sさんに言われたときは顔に出ちゃったわ。
おれはポーカーフェイスじゃないから。
で、看護師Kさんはとっても笑顔が素敵でめがねがお似合いな看護師さんだった!
この看護師Kさんもあとあとめっちゃお世話になる看護師さんで。

夜は下剤を飲んで寝ることに。
正直下剤はいらないと言われていたが、おれはほしかった。
術後の様子はまったく想像できなかったけど、
トイレはしばらくいけないだろうな
それなら術前に行きたいなと思ったからだ!

そしていつもどおりの時間に寝ることに・・・
このときはなんか最後の夜だとは思わなかったな。
ただ、明日の夜命があるとも思えなかったし。
そのわりには普通の夜だと思った。
手術だってこともあんまり思わなかったし。
心のそこではそんな気持ちがあったのかもしれないけれど。
おれにとっては新鮮な夜でもなかったわ。
ただ周りの景色を記憶に残そうとは思っていたから、
やっぱ特別な夜だったのかな。
どうなんだろう・・・
おれにもよくわからん。
小学校のとき次の日遠足だからなかなか寝られなかった。というのとは
また違うし。
うまく説明できない。
矛盾が生じそうな文章やけどそんな気持ちだったわ。

そんなこんなで手術前日の様子でした。


少しずつ・・・part6入院生活4日目

2007-03-26 10:20:46 | 側わん症関連
もうpart6かぁ・・・
そのわりには、まだ手術日にはたどり着かないという
まぁ、気にしないで
ゆっくりじっくり行くわ。


で、今日は入院生活4日目。
Sさんは痛いといっているが、
酸素マスクも外れて・・・
実際カーテンに隠れてわからないし、
おれも自分のことで精一杯だからあんまり覚えていない。

本当は今日外泊許可が出ていた。
しかし、調子がよくない。
おそらく、おれが病院から1度出てしまえば
戻れないって事を暗示していたのではないかと思う。
結局外泊はせず病院で休んでいた。
だいぶ、手術説明の文面を見ても
嫌だなぁという気持ちはなくなった。
やるしかないっていう気持ちが5割を超えたと思う。
たしかに手術にデメリットは多い。
化膿、下半身麻痺、血栓ができたら死に至る、別名エコノミー症候群
ただ、今の状態を放置しておいてもえらいだけやしな。
そんな気持ちになった。

ちなみにこの日2月24日は土曜日のため病院は休み。
手術予定日まであと2日。
あとで考えれば考える余裕がかなりあったのでよかった
入院日は早かったけど、その分じっくり自分の病気について考えられるし。
自分の病気と向き合えた気が少ししたわ。
そんな日でした。

少しずつ・・・part5入院生活3日目

2007-03-25 22:40:51 | 側わん症関連
今日は引越しの荷物まとめに下宿先まで親といった。
車で片道2時間の距離
行くだけでも大変やのに
何もできない自分を助けてくれる親がいる
おれってほんま幸せ物やな
親に感謝しないといけないとほんまに思った
ありがとう
この一言が言いたいけど照れくさくて言えないんだよな


今日は入院生活3日目。
今日は同じ部屋のSさんが腰の手術のため8時30分に部屋を出た。
あんまり気分はよくない。
次は自分かぁ・・
いややなぁ
正直生活に支障ないやん
おれやらなくていいのでは・・
現実逃避に駆られる。
手術説明を読み返しても
どうも同意する気になれない。
レントゲンの画像を見せられれば
やらないといけないかなと思う。
ただ、体にメスを入れるなんて考えられない。
ほんまいややもん。
そんな気分で1日過ごす。
暇やから友達にメールしたり
大学戻りたいって思ったり
本読んだり
担当の研修の学生と話したり・・

そして19時ぐらいかな。
同じ部屋のSさんが戻ってきた。
痛そうだった。
酸素マスクが苦しそうだった。
意識がもうろうとしているみたい・・・
おれもあんな状態になるのかと思うと
ほんまいややった。
麻酔がきれると「痛い」って声が聞こえてくる・・・
おれほんま耐えれるんやろうか。
その前におれの命ってあるのか!?
遺書書かないといけないかなと思った。
ただ、おれは親を泣かせたくなかった。
しかも、逃げたいけど逃げたくはない
という意味のわからない心境。
とにかく恐かった。
あんまり心に余裕がなかったな。
そんな入院生活3日目だった。

少しずつ・・・part4入院生活2日目

2007-03-24 10:20:49 | 側わん症関連
今日はもういかにも雨が降り出しそうな天気・・・
まぁたまには雨も必要か。
そんなこんなで、part3の続きでも書いていこうかな


で、入院生活2日目。
この日はおれの担当看護師Sさんが来てくれた
めっちゃ明るくて元気がよくてかわいい看護師さん
それでいて若い
大学では絶対こんな女性いたら話しかけられないだろうな・・・
今のおれでは到底無理だって気持ちがあった。
おれからすれば、しっかりしてるし、やることはやるし
かっこええわ~と思った

そしてその日はhappyで終わると思った。
しかし、待っていたのは手術説明。
17時からだと聞いていたのに始まったのは19時
2時間近くも待たされた。
おれはいいけど、親が心配だった。
わざわざ2時間近くかけて病院に来てもらっているのに
帰る時間が遅くなる・・・
そんな思いだった。
そして、自分の心の余裕もなくなってくる。
あせるし、顔色悪くなるし・・・・

19時。手術説明が始まった。
この手術で恐い点は主に4つ。
傷口の化膿が一点
もしこれがおこれば再び傷口をあけて洗浄しないといけないらしい
2点目は下半身麻痺
背骨をまっすぐにしすぎると脊髄が伸びてしまって
下半身が動かなくなる、とのこと。
あとの2点はなんだっけ
とにかくおれの頭の中では4つとも恐かったが
その2点が一番恐かった。
それで、背中ほぼメス入れるから・・とのこと。
ショックだった。
そもそも、おれの背骨はS字カーブを描いていた。
だからけっこう厄介
右のほうに曲がっているだけかと思いきや
実は違った・・・
それもショックだった。
手術時間は全部でだいたい10時間くらい・・・
やりたくないなと思った。
ただ今のままでいても呼吸機能が低下するだけだし。

親と話し合った。
親の顔はけっこうやばそうだった。
先生に任せるしかないのではないか。
本当はやらしたくないけど。そんな発言が飛んだ。
おれもやばかった。
心の余裕がない。
本当はシャワーの予約があったが
入れるほど気分がよくなかった。
現実を受け止められなかった
とりあえずその日はベッドに横になった。
それ以外おれは何もできんかった

そんな入院2日目だった。
またまた長々とした文章だな

少しずつ・・・part3

2007-03-23 20:08:11 | 側わん症関連
今日は家で弾き語りを練習していた
エレキなのにやっぱ弾き語りしたいと思ってさ
とりあえずスピッツの「空も飛べるはず」を
まだまだ手は動かないけど、
自分なりの「空も飛べるはず」を伝えられたらなぁなんて
この曲練習していて、
病院でであった看護師さんも一期一会なんだなと思った!
この曲弾き語りできたらいいなって思うけど、
看護師さんも忙しいからなぁ。
そんな余裕はなかなかないはず・・
まぁ、いいか。
おれの心の中で聴いてもらえれば

で、本題
いよいよ入院当日。
仕方ないなぁって気持ちで入院した。
おれの担当看護師Sさんは今日は休みだから
変わりに男のイケメン看護師Fさんが担当してくれた!
その人は、対応の仕方とか上手だし、癒し系だし、
生き方がめっちゃカッコええと思った
この看護士Fさんはこの後おれにとって
大きな存在であったんだけど、それはのちのち。

で、普段、かかわることのない病院の病棟だが、
おれにはめっちゃ新鮮だった
ただ、やっぱり入院の説明となると気持ちは重くなる
できれば、やりたくないなって気持ちのほうが大きいし。
そのときに、同時に看護実習の人もおれの担当になった。
いい勉強してもらいたいと思った(この立場から言っていいのかはわからないが)
説明は、今後オペした後にどんな対応をするか
その上で自分の性格を知ったりなどすることで計画しようということだ。
まったく予想外やったね。
そんなことするんだ~
でも性格とかわかっておくと多少は対応しやすくなるよね
でも、個人情報やから別に知らせる必要もなく
まぁおれは素直に言ったけど。
心配性だと(笑

その後、エコー!?の検査をして病室に戻る。
病室はおれの思ってたよりも明るく、きれい
まぁ、新しい病院だから当然だけど。
4人部屋だった。

1人はおじAとでも名づけておこうか。
ざこばの話し方に似ているが、この人は本当にうっとおしかった。
親に頼りっぱなしの子やわ~とか言いやがって
あんな子はだめやと否定された感じがしてほんま嫌やった。
ただ、会う人は手本になったり、だめな見本だったりするわけで
うまく利用させてもらったよ
自分の今を見直すきっかけにもなったし
もう1人はおじB。
この人は意外とおとなしくて
あんまり会話もしなかった。
とりあえず挨拶だけは交わす関係。
そして最後の1人はもうすぐ30代だというのに若さありありのSさん
この人は最初はそんなかかわりなかったけど
前紹介したとおり、おれの信頼できる人になっていった。
どっからお互いはなすようになったかは覚えてないわ。
でも、病院生活で大きな存在だった
最初はあんまりしゃべらなかったな。

そんな感じで入院初日は終わった。
続きはまた今度で。
今回も長々な文章読んでもらってありがとう