昨年、絶景夕日スポットとして紹介した、京島の手前の廃船は、映画やテレビのロケ地や、多くの画家や写真家の被写体として、有名です。
畑爺の素人写真と違い、teruさんやヲアニーさんの写真は圧巻です。
この廃船も、2011年早々には撤去されるそうです。
廃船を間近に見る事が出来る現在の道路も、畑爺が子供の頃は、岩礁の間に種々の魚が住む恵みの海でした。
松江方面から大根島に入り廃船を左に見て、道路を隔てた反対側にある広い瓦屋根の造船所はその軒下まで中海だった様に記憶しています。
松江や安来、本庄、境港を結ぶ定期船の桟橋や、現在も残る3軒の商店で一番海岸よりの酒屋“川店商店”から民家や公民館が建ち並び、一番内陸部の“灘店商店”までは約100m、それらの家々の前まで海が入り込み、赤貝(サルボウ)を捕る、そりこ舟などの小型船が係留されて、深く奥まった良港であった、嘗ての入江港も現在は、道路やバス停留所、住民の為の駐車場になっています。
この奥まった港が、埋め立てられた時、防波堤の外側に係留する事となった船の為に、退役した大型漁船を沈めて新たな防波堤としたのがこの廃船群で、長年この地区の漁船の為の防波堤の役割を果たし、現在に至っています。
中海の漁獲量が、減ると供に漁船の数も減って行き、現在では、当時使っていた小型船の桟橋が、撮影者の為の足場になったり、釣りを楽しむ人の釣り場になっています。
今から50年位前、広大な農地を得る為中海干拓事業がスタートしました。
現在の広大な残水域が、農地になることを前提に護岸工事や各種小規模な埋め立て工事が行われ、その過程において、この廃船の様な、役割を担った者達も、その運命を二転三転され、ついには、役目を終えて撤去される訳です。
3隻の廃船の内、この2隻は、現状のまま残るとの事です。大根島の歴史の1ページとして・・・
畑爺の素人写真と違い、teruさんやヲアニーさんの写真は圧巻です。
この廃船も、2011年早々には撤去されるそうです。
廃船を間近に見る事が出来る現在の道路も、畑爺が子供の頃は、岩礁の間に種々の魚が住む恵みの海でした。
松江方面から大根島に入り廃船を左に見て、道路を隔てた反対側にある広い瓦屋根の造船所はその軒下まで中海だった様に記憶しています。
松江や安来、本庄、境港を結ぶ定期船の桟橋や、現在も残る3軒の商店で一番海岸よりの酒屋“川店商店”から民家や公民館が建ち並び、一番内陸部の“灘店商店”までは約100m、それらの家々の前まで海が入り込み、赤貝(サルボウ)を捕る、そりこ舟などの小型船が係留されて、深く奥まった良港であった、嘗ての入江港も現在は、道路やバス停留所、住民の為の駐車場になっています。
この奥まった港が、埋め立てられた時、防波堤の外側に係留する事となった船の為に、退役した大型漁船を沈めて新たな防波堤としたのがこの廃船群で、長年この地区の漁船の為の防波堤の役割を果たし、現在に至っています。
中海の漁獲量が、減ると供に漁船の数も減って行き、現在では、当時使っていた小型船の桟橋が、撮影者の為の足場になったり、釣りを楽しむ人の釣り場になっています。
今から50年位前、広大な農地を得る為中海干拓事業がスタートしました。
現在の広大な残水域が、農地になることを前提に護岸工事や各種小規模な埋め立て工事が行われ、その過程において、この廃船の様な、役割を担った者達も、その運命を二転三転され、ついには、役目を終えて撤去される訳です。
3隻の廃船の内、この2隻は、現状のまま残るとの事です。大根島の歴史の1ページとして・・・