誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
「怒り」とは、まるで韓族のためにあるようなものでしょうか。
韓国人には、まるでずっと怒り続けているような印象があります。団体を見ていると「複数の人が同時に何かをしゃべっている」ようでして、「はたして発言する意味があるのかどうか」疑問ですね。
というのは
「誰も聞いていないのに、平気で何かをしゃべり続ける」
という能力は、「尋常ではない経験」をしていないと、できないだろうと思うからです。
相手の話を聞かないで、自分が何かをしゃべる、ということは
相手の話には「聞く価値がない」とする確信があるはずです。
そういう場合、「相手にとって聞く価値がないかも知れない」とは自覚しながらも自分が「しゃべり続ける」ことによって「聞かされ続ける」苦痛から逃れようとします。
こういった自己防衛本能が負の連鎖を生み、同時に複数の人が何かをしゃべるという「騒がしいだけの光景」が生まれます。これは「自然な光景」ではなく「異様な光景」なんです(笑)。
一般論で言えば
「怒り」の根底には「ねたみ」があるのかも知れません。
「自分が一番正しく、相手は常に間違っている」という韓国節が堂々と通じる地域では、もし何らかの争いで負けた場合に、冷静にその敗因を分析するのではなく、相手が「不正な手段を使って勝ったのだろう」と決めつけたがります。
この根拠なき「不正」の信念が「ねたみ」となり、容易に「怒り」へ転嫁します。
どのように「もがいても何もできない階級社会・身分社会」だからこそ、敗因分析などしているヒマはなく、「怒ら」ねばならないのでしょう。「怒る」ことで不満があると表明できるのですから、いくら底辺で「ねたみ」があろうとも、「怒り」という仮面をかぶると、途端に強力になるのですね。
崔問題では「不正な手段を使って」国政をゆがめたので大統領の朴槿恵は辞任すべきだ、として大規模なデモがソウルで見られましたが、これまたその延長でしょうか。
この場合、「不正」の証明など必要がありません。元が「ねたみ」である人も集まって、とにかく「怒り」を発揮しさえすればいいのです。よく見ていると、こういう「感情」に左右される言動が韓国・中国では日常茶飯の如くみられます。
一方で、これまた一般論ですが
この怒りは、相手方にとっても理不尽ですから、反発を生みます。ここに相手の話を聞かないという処世術が加わると、反発への反発という負の連鎖が延々と続くことになり、場合によって暴力沙汰に発展しかねません。
こういった場合、法律は何の役にも立たないでしょう。
そもそも法律でもって「トラブルを裁く」という発想をもてない地域であり、あくまでも「思いつき」で裁く人治主義(非法治主義)なんですから、「大岡裁き」物語のように「うまくいく」とは限らず、腐敗や不正や利権が忍び寄ります。どんなに「美しい」ことを言っても、だめなんです(笑)。
韓国社会のひずみがそこにあります。
このひずみを解消する方法は、ないのでしょうか。
国政介入:韓国巫教学会会長「崔容疑者は日本に劣らぬ逆賊」
「崔順実=巫女説」に祈とう師ら怒り心頭
「希代の詐欺師を『巫女』と呼ぶな」800人が署名:韓国朝鮮日報 2016/11/04
崔問題でゆれている韓国
韓国巫女教学会なるものが「怒り」を述べているとは残念な引用ですが、やむを得ません(笑)。
怪しげな「韓国巫女教学会」が、チェ・スンシル(崔順実)を「巫女と呼ぶな」と主張しているとのこと。まるでヤクザ業界の大物が「希有の詐欺師(チンピラ)をヤクザと呼ぶな」と言っているように聞こえてしまいます。
この「韓国巫女教学会」は日本のことを「逆賊」と決めつけていますが、根拠など、どうでもよく、情緒的に断定しなければ韓国では生きていけないのです。
「日本に劣らぬ逆賊」とすることで「日本が逆賊」であることを前提としてものを言っているとするのが、いつものでっち上げの兆候です。崔は、それよりもひどい、ということを強調しております。
韓国では
為政者からして「みんなが言っていることなので証明する必要などない」とし、元慰安婦と自称する人が「私が証人だからほかの証拠など必要ない」としており、証拠に基づく法治主義を否定しています。
つまり全員が洗脳されている場合を想定しておらず、ここに冤罪を生む土壌があり、でっちあげの風潮を増長させる仕組みがあります。
きっと韓国では、まだ「冤罪(えんざい)・ねつ造(でっちあげ)」による深刻な問題を経験していないと思われます。または、あっても気づいていないのでしょうか(笑)。
適当な数の反対者がいない「全会一致の賛成」には、「どこかおかしい」という警戒感が必要なんです。
よって庶民の場合も同様で、根拠はなくてもいいので、自分自身が「逆賊」とされる前に「大声で打って」出ている間は「逆賊」と言われないはず、という信念がみられます。
しかし、正当な「筋道」ではなくて、「声が大きいこと」、「執拗に何かを叫ぶこと」が唯一であるという社会風潮は、考えたらこわいことですね。
いくら混乱があったとしても、私は多様性・客観性のほうを重んじたいと思うのです。
このように自らの「賤しさ」を相手に投影すれば、「賤しさ」が相手に乗り移るはずだとする姿こそ、正調韓国節と言えます。自分自身を疑うことができない「かわいそうな集団」なのでしょうか。
この韓国人にとってさえ不可解な韓国巫女教学会なる集団もまた「反日」であるがゆえに、宗教を尊重したいと考えている人たちは、たとえその活動に賛同できなくても「反日」では一致しているため、宗教を否定しない「健全さ?」を巧みに演出したいのでしょう。
この団体もまた、どこかの新聞社支社長を起訴したときのように
「チェ・スンシル(崔順実)を巫女(みこ)と呼ぶことが、我が民族の文化遺産に対する名誉毀損だ」と息巻いておりますが、中国にならって文化遺産のほとんどを破壊してきた国に対する不満など見せず、ひたすら社会風潮に合わせて怒りを発揮し、時代の潮流に乗っかろうとしています。
本来、怒りをぶつけるべきは、歴代の韓国為政者なのではあ~りませんか(笑)。
[ルポ] 訪韓したベトナム戦争虐殺生存者と過ごした一週間
ベトナムには憎悪碑、韓国には記念碑
:韓国ハンギョレ紙 2015.04.12
同じベトナム戦争のことで
- 韓国には記念碑・・・・・・・・よくやった、という意味
- ベトナムには憎悪碑・・・・ひどい韓国軍人、という意味
おなじ歴史的事実ですが、見る側の立場が違えば、正反対になるという好見本です。
記事では
ベトナム各地に韓国軍を憎む60余りの憎悪碑が建てられているのとは対照的に、韓国の領土では100余りの参戦記念碑がある
とも述べております。また韓国の退役韓国軍人が
彼らがこの事実を認めようとしないことに心が痛む
とも述べており、納得できることです。
しかし自らの姿を鏡に映すなんて芸当は、韓国人には永遠にできないのでしょう。
「韓日の慰安婦問題を有利に展開したい」という下心から「自国軍人によるベトナム人虐殺に心を痛めている」としているだけなのではないか、とこの記事を受け取る人も出て来るでしょう。
自分が一番正しいのだから、絶対に異論を許さない
このためには、ベトナムに深く関心があると見せなければならず、この観点から、韓国は中国にそっくり
なんです。
ただし少しは勇気をもった韓国紙もありそうで
ベトナム被害者の言い分に耳を傾けようとしています。まるで自分の姿をベトナムに投影しているようで、これだけ一生懸命に言っているのに日本政府は耳を貸さないけれども、我々はベトナムの被害者にこれだけ耳を貸しているのだ、と主張したいのかもしれませんね。
しかし異論を許さないとする韓国社会の壁を崩すことは、残念ながらできそうにありません。いくらベトナム人たちが「でっち上げではなく事実を述べている」のだとしても、自分たちの法律無視・条約軽視を顧みることは、まずないでしょう。
よってベトナム人の叫び声でさえ、自分たちの日本に対する歪んだ姿勢を強化する目的で利用するだけ、に終わりそうです。
ただしこういった取材を通じて、もしも可能ならば、自分自身を映す鏡を発見してもらいたいものです。この記事で、少しは人の話を聞く韓国人もいるのだ、と理解しました(笑)。
【タイ】韓国人観光客、重複予約でホテルも警戒―約束守らず自分本位
レストラン経営者は「韓国のお客様は、都合が悪くなってもキャンセルの電話をしてこないんです。そうしたことが多いので、電話番号や宿泊先のホテル名、部屋番号を聞き、連絡が取れるかどうか事前に確認するようにしています。中には、怒り出す人もいますが、そうした理不尽な客は来店してもらっても、トラブルになることが予想されるのでお断りしています。中国人よりもひどいと感じることが増えました。:global News Asia 2015年12月29日
ホテルの予約でも、約束を守れない韓国・中国には明日がなさそうです。なぜ自分中心が外国で通用すると思っているのでしょうね。
「迷惑を考える能力などない」と判断せざるを得ません。自分が一番正しいという自惚れでしょうか。
そうそう、こういうのもありましたね。
「韓国ではハニーバターチップというお菓子が人気だそうだが、エアアジアでは、機内サービスとして提供したい。ハニーバターチップは袋ごと提供されるので、皿に盛ることはないだろう」
大韓航空機の前副社長が、機内サービスに出すナッツを皿に盛らずにファーストクラスの乗客に提供したと、責任者を怒鳴り付け、搭乗機を引き返させた上、責任者を降ろさせた、いわゆる「ナッツ・リターン」事件を痛烈に皮肉ったのだ。:iza 2015.1.14
「怒り」は韓国人にふさわしい
という好見本のような「ナッツ・リターン」事件をこのように揶揄する次第です。
日本のカルビー社が
韓国社との合弁会社で製造販売しているハニーバターチップが韓国で爆発的に売れているようです。
こういったブームが少しでも日本に関連している場合、当然のように侮日がわき起こってきます。
これは、独島(トクト=竹島の韓国名)を日本に売り渡す行為だ、などなどの不可解な反日発言が溢れることからも分りますね。
何かで日本ブームになれば、必ず「日本悪し」というのが出てくる、これが正調韓国節でした。
日本では、こういう伝統があると思います。
まだ幼いうち、判断力がないうちには、分りやすい勧善懲悪タイプの昔話がふさわしい。
しかし物心が付き、判断力を養わなければならない年齢に達したのに、まだ昔話を聞かせる、あるいは本人がそういう話を望んでいる、のは危ないと。
何が危ないかと言えば
悪人と善人がはっきりしているおとぎ話では、安心して悪を懲らしめる痛快さを味わえばいいだけなのですが・・・・・・
実際の世の中では、誰が悪人で誰が善人かが分らず、この善悪を自分で判断しなければならない、のです。
実際には、悪人にも善人の顔があり、その逆もあるのです。
幼い頃を過ぎて判断力を磨かねばならないのにまだおとぎ話に興味をもっているということは、自分で判断できず、誰かに『善悪』を判断してもらいたい。
これが危ないのでした。
私は
韓国の多くの人が、自分で判断できないまま、大人になった
と見ています。
このため
- 人の話を聞けない ←客観性なるものを知らない。
- 自分で判断できない ←「そうだそうだ」だけ。
- 一色に染まりたがる ←事大主義。
ということになるのです。
さてさて、皆様はどう思われましたか。