カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

こわ~い童謡 桃太郎

2017年11月17日 10時16分48秒 | その他

意味がわからないまま歌っていた童謡。よく考えると、恐ろしい解釈もあるようです。


桃太郎 

桃太郎さん桃太郎さん
お腰につけたきびだんご
ひとつ私に下さいな

あげましょうあげましょう
これから鬼のせいばつ
ついていくならあげましょう

行きましょう行きましょう
あなたについてどこまでも
けらいになって行きましょう

そりゃすすめそりゃすすめ
いちどに攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ鬼ヶ島 


歌詞に「地域差」があることは承知しています。

  • ていねいな「あげましょう」、やや見下した感のある「やりましょう」。
  • 鬼の、征伐(せいばつ)か成敗(せいばい)か。

否定的な解釈

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)で、「鬼」は選択の余地なく悪い人ですから、「せいばつ」しなければならず「つぶしてしまえ」になるのです。

しかし実際の世の中(恐怖の弾圧国以外)では、「良い人」か「悪い人」かを、自分で判断しなければならないのです正しいかどうかは別として、「柔軟」に自分で判断することが求められます。

ただし人によっては「自分の判断」を死守します。それが「世間・上司・他人などの判断」ならば、よりその傾向が「強い」でしょうか。

多くの中国・韓国や、沖縄本島の人たちにも見られ、「揺れ動くことが少ない」判断だけに、やっかいです。

若干の時間差はあるものの

小学生高学年になっても「まだ童謡やおとぎ話にしか興味がわかない」のは、判断力を磨いていない・判断力を身につけさせない環境下にあるのではないかという点で心配なのです。場合によって、それを許す度合いが地域や時代によって異なるものの、「親・上司・先生・世間」の判断にさえ異論をもたねばならないことがあります。

しかし長じて世間の現実にうんざりした人が、「水戸黄門や奉行もの」といった勧善懲悪ドラマを見るのとは、本質的に意味が違うのでしょう。まぁ似ているところがないこともありませんが、こちらは何時何分ころにはこうなるはず、と楽しめるのですから。

北朝鮮では

    • 対米で、為政者の思い通りのことをきつく言う人には「(きびだんごという名の役職を)あげましょうあげましょう」、甘いニンジンで「(あなたについて)行きましょう行きましょう」と言わせます。これらは大人になっているのに何も判断させないという「全体主義」の手口で、もちろん改善など禁止、「為政者の思い通りの人であるかどうか」が大切です。
    • 当然のことですが、期待されたことをしないならば、役職もニンジンもなく、ただ粛正という名の罰が待っているだけです。
    • 北朝鮮に人として生まれた選択肢としては、①指示に従う、②脱北、しかなく、どちらに転んでも最悪の選択でしょう。脱北しても、背後から仲間に射殺される危険があるし、無事中国へ入っても強制送還される可能性が高く、さらに運がよく韓国へ亡命できたとしても一時期のような熱狂的な歓迎はなくそこでの生活にもなじめず良いも悪いも韓国の地下組織と通じるはめに陥るようです。
    • 日本の「左翼」とされる人にはこういった汚点に一切触れない訓練がされているようだし、日本の「右翼」とされる人もまた日本の矛盾点を決して見ようとはしないようです。こういった「左や右の旦那さま」たちが声を荒げて互いにピントはずれの「日本の悪いところやいい所」について言い争いをしているのは見慣れた光景です(笑)。

もし今の北朝鮮というのを例にするならば、このような二者択一の暗黒世界を匂わせている、と受け取れるのがこの童謡なのでした。

肯定的な解釈

鬼退治という分りやすい童謡であり、子どもにぴったりの内容です。

親の言うことをちゃんと聞けば、お菓子がもらえるのですよ。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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