熊本市野田に大梁山大慈寺という曹洞宗のお寺がある。
曹洞宗の開祖である道元の高弟で順徳天皇の皇子である寒厳義尹禅師によって開山された曹洞宗の名刹。
寒巌義尹(かんがんぎいん、建保5年(1217年) - 正安2年8月21日(1300年10月4日))は、鎌倉時代中期の曹洞宗の僧。父は後鳥羽天皇とも順徳天皇とも言われている。
干拓事業を初めとして地元に多くのお布施を施してきた大慈寺、地元では大慈禅(善)寺 、あるいは大禅(善)寺(だいぜんじ)さんと呼んで親しまれている。
創建以来幾度かの火災にあい、そのたびに再建された。江戸時代明和8年にも焼失したが再興され、その後荒廃甚しく、ようやく昭和60年にかけて再建された。寺域は河川改修その他で狭められたが、鎌倉期からの寺地をとどめている。
いつも素通りしてしまうが、久しぶりに寺内へ足を運んだ。ずいぶん整備されて綺麗になっている。(昔のイメージが、どんどん薄れていく。喜んで良いのか悪いのか?.)
大梁山大慈寺の歴史
- 弘安元年(1278年) 河尻泰明が寒巌義尹を招聘して創建
- 亀山法皇の勅願寺となる
- 正安2年(1300年) 本堂が完成
- 正平年間(1346年 - 1370年) 焼失、大雲化縁が再興
- 大永元年(1521年) 戦乱に巻き込まれて焼失、再興
- 天文9年(1540年) 戦乱に巻き込まれて焼失、
- 天文15年(1545年) 再興
- この頃、焼失
- 享禄2年(1629年) 再興
- 明和8年(1771年)焼失、再興
- 明治時代 廃仏毀釈で荒廃
- 昭和9年 河川工事により、境内が減少
- この頃、澤木興道が滞在し、坐禅を指導
- 昭和60年 再興 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
大梁山大慈寺と民話
釣鐘島
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