東京、三鷹市にある「山本有三記念館」へ行ってきました。
山本有三というと中学生の頃に「路傍の石」を読んだことがあるくらいで、あらすじもよく覚えていないくらいの読者とも言えないので、今回も建物目当てでございます😉
門からしてユニーク。何風?ちょっとスペインが入っているような?
北側(正面)まず左右非対称なのに驚く!
屋根が急勾配。山小屋風の趣もある。
西側。北側もだが暖炉のための煙突が素晴らしいこと。下部は石積みで上部はレンガ積みになっています。
こちらは庭に面した南側。ほぼ左右対称でまさに洋館の造り。明るくて庭への階段やアプローチ、ベランダや窓の設えなど素敵です。
庭は、小さいけれど竹林や池、桜や木斛、もみじなど有三好みの和風庭園の趣き
いよいよ玄関。こちらもおしゃれ。奥の扉の前にもう1枚扉がある二重構造でした。
1階の食堂だったところの暖炉。
応接間だったところの暖炉。暖炉は全部で3つありどれも違うデザインになっています。
1階の庭に面したお部屋。長女の部屋だったそうです。
階段途中のステンドグラス。
2階への階段上部の梁とステンドグラス。ステンドグラスは、シンプルでモダンで好きなデザインです。
2階は5部屋ほどあるのですがはじめは全て洋室でしたが、有三の希望で1室だけ畳敷きに。書斎として使っていたそうです。
前庭(こちらもかなり広い)越しの正面。
門の内側。
有三は、この洋館に1936年から46年に進駐軍に接収されるまで住んでおり、かなり気に入っていたそうです。その後、土地・建物を都に寄贈し「有三青少年文庫」として運営。1985年に三鷹市に移管後、96年に「三鷹市山本有三記念館」となりました。市の有形文化財です。
教育熱心だった有三は戦時中、自宅で子供たちのための「ミタカ少国民文庫」を開設。
有三の書いた「米百俵」は、遠くホンジュラスで大人気で教育施設を充実させる「米百俵プロジェクト」もでき効果を挙げているそうです。
さて、長くなりましたが、この建物は大正末期に建てられ、関東大震災のすぐ後だったせいか地下と1階部分の一部はコンクリートで作られているとか。
地上2階、地下1階、屋根裏部屋もあるそうです。魅力あふれるこの洋館の設計者はいまだに不明とか。
山本有三というと中学生の頃に「路傍の石」を読んだことがあるくらいで、あらすじもよく覚えていないくらいの読者とも言えないので、今回も建物目当てでございます😉
門からしてユニーク。何風?ちょっとスペインが入っているような?
北側(正面)まず左右非対称なのに驚く!
屋根が急勾配。山小屋風の趣もある。
西側。北側もだが暖炉のための煙突が素晴らしいこと。下部は石積みで上部はレンガ積みになっています。
こちらは庭に面した南側。ほぼ左右対称でまさに洋館の造り。明るくて庭への階段やアプローチ、ベランダや窓の設えなど素敵です。
庭は、小さいけれど竹林や池、桜や木斛、もみじなど有三好みの和風庭園の趣き
いよいよ玄関。こちらもおしゃれ。奥の扉の前にもう1枚扉がある二重構造でした。
1階の食堂だったところの暖炉。
応接間だったところの暖炉。暖炉は全部で3つありどれも違うデザインになっています。
1階の庭に面したお部屋。長女の部屋だったそうです。
階段途中のステンドグラス。
2階への階段上部の梁とステンドグラス。ステンドグラスは、シンプルでモダンで好きなデザインです。
2階は5部屋ほどあるのですがはじめは全て洋室でしたが、有三の希望で1室だけ畳敷きに。書斎として使っていたそうです。
前庭(こちらもかなり広い)越しの正面。
門の内側。
有三は、この洋館に1936年から46年に進駐軍に接収されるまで住んでおり、かなり気に入っていたそうです。その後、土地・建物を都に寄贈し「有三青少年文庫」として運営。1985年に三鷹市に移管後、96年に「三鷹市山本有三記念館」となりました。市の有形文化財です。
教育熱心だった有三は戦時中、自宅で子供たちのための「ミタカ少国民文庫」を開設。
有三の書いた「米百俵」は、遠くホンジュラスで大人気で教育施設を充実させる「米百俵プロジェクト」もでき効果を挙げているそうです。
さて、長くなりましたが、この建物は大正末期に建てられ、関東大震災のすぐ後だったせいか地下と1階部分の一部はコンクリートで作られているとか。
地上2階、地下1階、屋根裏部屋もあるそうです。魅力あふれるこの洋館の設計者はいまだに不明とか。