宗教都市から、石川の水運、千早街道、東高野街道が交差する陸運で
大きな商業都市へと発展した寺内町。
中でも杉山家は町創設以来の旧家で造り酒屋を営み
町割の一画を占めるほどの広大な屋敷だった。
現存する主屋は17世紀のもので国の重要文化財に指定されている。
杉山家住宅
屋根裏部屋の明かりとりと風通しのための虫籠窓(むしごまど)
屋根の上にはかまどの煙を出す煙出し
塀の上には先のとがった木を並べて防犯用にした忍返し
もちろんかなり古いお雛様が飾られていた。
この杉山家に明治15年、長女として生まれたのが
石上露子(いそのかみつゆこ)本名杉山タカ。
「明星」などで活躍した女流歌人。
儚い恋もあったようだが、結局は婿養子をむかえ家業を守ることに。
文筆活動も一旦は止めることになるが晩年再開している。
激動の大正、昭和の時代に家業を守るのはどれだけ大変だったろう。
本町公園にある歌碑
みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみに
髪ふく風の行方見まもる
明治37年の「明星」7月号に
露子がこの歌を発表して、二か月後に
与謝野晶子が「君死にたまふこと勿れ」を発表したそうだ。
昭和34年、77歳で亡くなる。
大きな商業都市へと発展した寺内町。
中でも杉山家は町創設以来の旧家で造り酒屋を営み
町割の一画を占めるほどの広大な屋敷だった。
現存する主屋は17世紀のもので国の重要文化財に指定されている。
杉山家住宅
屋根裏部屋の明かりとりと風通しのための虫籠窓(むしごまど)
屋根の上にはかまどの煙を出す煙出し
塀の上には先のとがった木を並べて防犯用にした忍返し
もちろんかなり古いお雛様が飾られていた。
この杉山家に明治15年、長女として生まれたのが
石上露子(いそのかみつゆこ)本名杉山タカ。
「明星」などで活躍した女流歌人。
儚い恋もあったようだが、結局は婿養子をむかえ家業を守ることに。
文筆活動も一旦は止めることになるが晩年再開している。
激動の大正、昭和の時代に家業を守るのはどれだけ大変だったろう。
本町公園にある歌碑
みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみに
髪ふく風の行方見まもる
明治37年の「明星」7月号に
露子がこの歌を発表して、二か月後に
与謝野晶子が「君死にたまふこと勿れ」を発表したそうだ。
昭和34年、77歳で亡くなる。
気持ちよく晴れ渡った今日、またまた雛まつりにお出かけ~~
13,14日の2日間富田林のじないまちで行われた雛めぐり。
近鉄富田林駅の南に位置する歴史ある町並みを背景に
さまざまなお雛様を楽しませてもらってきた。
桜の花に迎えられさあ、出発。
公園にも春の陽ざしを受けて飾られている。
じないまちの中核である興正寺別院にも…
立派な段飾り以外にも、
それぞれの家庭に大事にされてきたお人形たち。
お母様手作りの着物の思い出を語っておられる。
石畳の道の横にも趣向の凝らしたお雛様。
今回、一番のお気に入り。
お布団の中から顔を覗かせたお雛様。
1枚目のポスターの写真のモデル?の享保雛。
東西400m、南北350mのじないまち。
国の重要文化財の杉山家を始め、たくさんの旧家が並ぶ。
中世には興正寺別院を中心とした町づくりから始まり
江戸時代には商業の町として大いに発展し、
それと共に文化も栄えたようだ。
雛めぐりだけではなく、じっくり歩いてみたい町並みだ。
13,14日の2日間富田林のじないまちで行われた雛めぐり。
近鉄富田林駅の南に位置する歴史ある町並みを背景に
さまざまなお雛様を楽しませてもらってきた。
桜の花に迎えられさあ、出発。
公園にも春の陽ざしを受けて飾られている。
じないまちの中核である興正寺別院にも…
立派な段飾り以外にも、
それぞれの家庭に大事にされてきたお人形たち。
お母様手作りの着物の思い出を語っておられる。
石畳の道の横にも趣向の凝らしたお雛様。
今回、一番のお気に入り。
お布団の中から顔を覗かせたお雛様。
1枚目のポスターの写真のモデル?の享保雛。
東西400m、南北350mのじないまち。
国の重要文化財の杉山家を始め、たくさんの旧家が並ぶ。
中世には興正寺別院を中心とした町づくりから始まり
江戸時代には商業の町として大いに発展し、
それと共に文化も栄えたようだ。
雛めぐりだけではなく、じっくり歩いてみたい町並みだ。