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2018年12月03日 | スピリチュアル日誌


“禅”
という文字を分解すると
「単に示す」
と読めます。


禅とはまさにそのもので
目の前にあるモノ
耳に聞こえてくるモノ
食べて味わうモノ
全てをそのままに受け取ります。


“受け取る”という表現だと
受け取る対象が存在しています。
つまり
わたしが受け取ると。。。。。


思考、認識を外していくと
次第にこのわたしという存在が消えていく。
正確にいえば
そもそもわたしなどなかった
という気付きに出会います。



そのまま取りなさい
が転じて
さとり
と言われます。


常に活動している認識を
一旦やめて寛いでみる。
座った状態で認識を捨て切ることを禅では
“死に切る”
あるいは
“決着をつける”
といいます。


言葉では簡単なことですが
いざ座ってみると認識や思考に
取り巻かれてしまってなかなか
“そのもの”
“そのまま”
の状態には至りません。



ただし
死に切るという状態があるということ。
それこそが
唯一わたしたち人間に与えられた
尊厳であるということを知って座るのと
ただなんとなく座ることとでは
大きな違いがあります。



また
その目的地は同じでも
座禅と瞑想は全く異なる手段であることを
参禅で学びました。


禅とは
「単に示す」のみ。


それは
わたしであり
日常であり
いまここである
ということが
よくわかりました。


まだスタートラインにも立っていなかった。
そのことを知った座禅会でした。