奇なるかな、奇なるかな。一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず。
先日12月8日は
お釈迦様が悟りを開かれた事を記念する日
「成道会」(じょうどうえ)
でした。
“悟り”
などと言うと
手の届かない場所にあって
しかも高貴なお方がだけが到達しうる場所
というイメージがありませんか。
たとえれば
“髯を蓄えた70歳前後の
痩せこけた上半身裸の老人”
って感じでしょうか?
言い換えると
修行という名の下で
「自分探し」をしている
チョット悩ましいオジサン。
しかし「悟り」とは
到達できる人とできない人とを
分け隔てる
"終着点"
の事ではないようです。
思いがけず素晴らしい事だ。生きとし生けるものは皆な、生き方というものを知っている。ただ人間は自分の心に取り付かれ、この世からの借り物を自分のものだと思い込んでしまうから生き方が分からなくなってしまうのだ
上記は冒頭の
お釈迦様悟後の口語訳です。
人は本来の素晴らしさを知らずに
その心で真実を見えなくしている。
悟りとは
高い、深いなどの位置ではなく
早い、遅いの時間でもなく
その気になれば
今ここ
目の前にあるということのようです。
その意味するものは
いわゆる宗教というよりは
人類の進むべき道
と呼ぶほうがしっくりきます。
誰の前にも既にある
そのことを知るまで
結構な時間がかかりました。