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菉竹猗猗たり、中江藤樹

2016-12-03 20:51:45 | お話
🌲🌲菉竹猗猗たり、中江藤樹🌲🌲


中国の古典『大学』に、「菉竹猗猗(りょくちくいい)たり」という言葉が出てきます。

緑滴(したた)るような美しい竹が茂っているということで、

それを淇(き)の川の畔に見て君子を連想した、と記されています。

これは中国の五経に数えられる『詩経』の一節を引いたものですが、

その君子とは、「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」、つまり切磋琢磨の修養を積み、

常に身を慎んで麗しき威儀を備えていた。

このような素晴らしい君子は、一度会えば生涯忘れられないものだ、というのです。

何遍会ってもさっぱり印象に残らない人もいれば、

一目見ただけで生涯忘れないような感化を与えてくれる人物もいる。

平生の切磋琢磨によって、人間はそこまで人格を高めることができるのです。


孔子という人は、まさしく「菉竹猗猗(りょくちくいい)たり」という言葉を彷彿させる人物と言えましょう。

不遇の中で努力を重ねるうちに、人がぱっと見た瞬間に

「あぁ、この人は高い学識を備えている」と伝わる。

そういう出会いを果たすと人間というのは、

「この人に学んで成長したい」

と希望が湧いてくるもので、

黙っていても教えを請う人が1人増え、2人増えていくのです。


日本で言えば、近江聖人と謳われた中江藤樹という人もそうでした。

藤樹はもともと武士の修行に打ち込んでいましたが、

徳川の世になり、これからは武よりも文をもって身を修めることが大事だと悟り、

儒学を志しました。

当初は藤樹が廊下を歩いていると

「孔子さんが来た」と揶揄されていましたが、

そんなことなど意に介さず努力を重ねるうちに、

周りの人々と品格的に大きな差がついてきました。

やはりこれを勉強しなければならないと、それまで軽蔑していた藤樹の元に

教えを請いに来る人が、1人増え、2人増えていったのです。

中江藤樹はその後、近江で1人寂しく暮らす母親のために、

28歳の時に武士を廃業して故郷へ帰りました。

そして、生活のために居酒屋を始めたのですが、

そこでも周囲に大きな影響を及ぼしました。

一番先に影響を及ぼしたのは馬子、いまでいうところの運転手でした。

彼らは、せっかく客を取ってお金が入っても、

まっすぐ家に帰らずに酒場に寄り道をして使い果たしてしまい、

「一日貧乏、一日金持ち」

といわれるような生活を繰り返していました。

ところが藤樹は、誰がどれだけ飲めば酔うか、一人ひとりの適量を把握し、

「もう一杯」とせがまれたも決して応じなかったため、

馬子たちは仕方なく懐に金を残したまま帰ってきました。

娘が酒を買いにくると、父親はちゃんと働いているか否かを確認し、

今日は朝から寝ているといえば、所望された量ではなく、

ほんのわずかしか売りませんでした。

藤樹の配慮により、喧嘩の絶えなかった馬子の家は和やかになり、馬子ばかりではなく、その妻子、やがては村全体が藤樹に感化されて平和になっていったのです。

藤樹は先生になるつもりで居酒屋を営んだわけではありませんが、

若い頃から学問を通じて己を磨いたことによって、

周りから「この人に学びたい」と思わせるような人格が養われていたのでしょう。

その噂は天下の大英才・熊沢蕃山の耳にも届き、藤樹のもとに入門を懇願しにやってきました。

藤樹はなかなか入門を許しませんでしたが、

蕃山の意思は固く、軒下に夜を明かしながら、

許可をもらえるまでは動かないというので、

母の取りなしによって、ようやく受け入れられたのでした。

あいにく、蕃山は家の事情でわずか半年で藤樹の元を去らなければなりませんでした。

『論語』に

「徳は孤ならず。必ず鄰(となり)あり」

という言葉がありますが、

藤樹は蕃山に宛てた手紙に、

「徳あらざれども、鄰ありの楽しみあり」

と綴りました。

私には君を引き留めるだけの徳はないけれども、

君を得たことは、誠に喜ばしい限りではあったと、

自分を卑下しつつ、優れた弟子に恵まれた喜びを率直に伝えたのです。

当時、40歳を前にして、こういう言葉を発した藤樹という人の偉大さが伝わってきます。

中江藤樹はそれからほどなく、41歳という若さで亡くなりますが、

その短い生涯で多くの人に影響を及ぼし、

日本の学者にして聖人と称される者の筆頭にあげられるまでになりました。

「菉竹猗猗(りょくちくいい)たり」

とは、まさにこのような人物をいうのです。

私の半分にも満たない年齢で、

中江藤樹が極めて高い境地に達していたことを実感させられますが、

その一方で、私は藤樹よりも長く生きとることによって、

彼が得られなかった様々な体験を享受できたありがとさも感じています。

年齢は問題ではありません。

各々が命ある限り、1日1日、

「菉竹猗猗たり」

という言葉にふさわしい人物に、

少しでも近づくべく、

歩み続けて参りたいものです。


(「致知」1月号 伊與田覺さんより)


竹の緑のように、美しく爽やかに(^_^)