🌸ひとりでも、🍀
新刊書店に勤めていたとき、書店のPR誌の編集係になって、出版社の取材記事を書くことになりました。
取材したい出版社を自分で選ぶように言われ、
真っ先に思いついたのは岩田書院でした。
岩田書院は歴史・民族の専門出版社で、大学生向けのテキストや函(はこ)入りの論文集、史料集や雑誌なども出しています。
ある日、
「ここは岩田博さんが、ひとりでやっている出版社なんだよ」
と上司に教えられて、驚きました。
出版社を、ひとりでやる。
編集も印刷も、営業も配送も、集金も返品も自分で?
それでいて、新刊は年に50点前後も出されています。
いったい、どうやっているのか、全く想像がつきません。
いつかお話をかかってみたいと思っていました。
取材をお願いすると、快く引き受けてくださいました。
後で上司に報告したら、
「あんな忙しい人に時間をとらせるなんて」
と苦い顔されました。
社会人になって2年目の私には、ひとりで仕事をすることの厳しさが分かっていなかったようです。
夏の日の午後、デパートで買ったお菓子を持って事務所を訪ねました。
普通のマンションの1室で、外の廊下まで本や書類が積み上げられています。
岩田さんが、笑顔で迎えてくださいました。
ひとり出版社といっても何でもひとりでやっているわけではない、
というお話から伺ってきました。
文章の校正は別の人に頼むして、印刷・製本は専門の会社に出して、
出庫作業は倉庫会社に任せ、流通や精算は取次を使う。
自分はどこに何を依頼するかを振り分けているだけだと。
聞いてみると、当たり前のことです。
大きな出版社でも、いま挙げたような仕事は、岩田さんと同じように外注しているところがほとんどでしょう。
「でも、本の企画は基本的にご自分でされているわけですよね。
どうして、そんなにアイディアが浮かぶんですか?」
「企画は僕がひとりで考えるより、著者から持ち込まれたり、
誰かから紹介されたりしたものが多いです。
僕はもともと歴史・民俗系の出版社で働いていたので、
研究者の人たちとお付き合いがありましたし、
学会に本を販売しに行くこともありました。
そうして知り合った人たちに、今、岩田書院の目録や新刊案内を送っています。
そうすると、関心のある人は確実に注文くれますし、
自分が本を出そうと思った時も、岩田書院に声をかけてくれるわけです」
読者が著者になる、というのは専門書の世界ではよく起こります。
本というのは有名な人や偉い人や、昔の人や遠い国の人が書くものだと思っていた私には、
このこと自体が驚きでした。
岩田さんは研究者たちの間に入り込んで、
読者に本を売るだけでなく、読者を著者にする仕事をしているのです。
「売れる数は、学会の会員数から計算できるし、
たとえ定価が2万円でも、絶対に買う人が200人いれば出せる」
といった話はとても新鮮に聞こえました。
出す前から読者が決まっていて、その人たちのためにつくる本があるのだと。
「利益が薄くて他社では出せない本も、
岩田書院なら出せます。
大きな出版社なら社員に給料払わなきゃいけないから、
それに見合うだけの売り上げが必要ですが、
何しろ僕はひとりなので。
ひとりだからこそ採算が取れる仕事、出せる本があるんです」
会社が大きければどんな仕事でもできる、ぼんやり思いこんでいた私に、
「ひとりだからこそ」
という言葉は強い印象を残しました。
それから10年くらい経って、自分の本屋を始める時、当然のように「ひとり本屋」になりました。
ひとりならどうにでもなるだろう、というのが1番の理由です。
利益が少なくとも、赤字でも、困るのは自分だけ。
人を巻き込む勇気はありませんでした。
それだけでなく、岩田さんの
「ひとりだからこそ」
という言葉がずっと響いていました。
ひとりだからこそ、店が狭くてもできる。
利益のためでなく扱える本がある。
自分の責任で何でもできる。
ひとりだからこそ、外にいるたくさんの人たちに自分から関わっていける。
「ひとり」はネガティブなことではないと思えました。
ひとりでやっている出版社は、昔からいくつもあったそうです。
ここ数年は特に、ひとりで個性的な出版を手がける若い人が増えてきて、
「ひとり出版社」が注目されるようになりました。
それぞれ詩集や美術書、絵本などを、造本にも気を配って丁寧につくり、流通の方法も工夫しています。
そんな、ひとり出版社の本を、私の店にもいくつか並べさせてもらっています。
本が売れたら、こんな人が買ってくれました、
こんな感想を聞かせてくれましたと、
お客さんの様子をできるだけ出版社の人に伝えます。
大きな本屋で働いていると、1冊の本やひとりのお客さんに向き合うことはなかなかできません。
店で起こった全てを見られるのは、ひとり本屋ならではです。
たくさん売ることはできないかわりに、
つくっている人にお客さんの声を届けるのが私の役割だと、ひそかに思ってます。
メールで注文すると、本人から返事が来て、自ら梱包も発送もしてくれて、
伝票も手書きで。
ひとり対ひとりのやりとりです。
遠くに仲間がいるようで、特に励ましあわなくても、いつも励まされています。
(「本屋になりたい」宇田智子著より)
ひとりでも、顔晴っている人はたくさんいます。
あなたも、そうですよね。(^_^)