💕💕心の御開帳💕💕
清水寺は大衆庶民の信仰の寺でございまして、
いろんな方が来はります。
こういうお寺で1番ありがたいのは何かと言うと、「御開帳」です。
「御開帳」ってご存知ですか。
清水寺はご本尊の観音さんが「秘仏」です。
だから扉が閉まっています。
33年に一編だけ、その扉を開けるんです。
その時は、それはそれは大変な賑わいでございます。
この「御開帳」というのは
神道、即ち神様と非常に関係が深いんです。
何故かと言うと、「秘仏」というようなものはインドにも中国にも朝鮮半島にもないからです。
日本だけなんです。
しかも奈良時代にもまだ「秘仏」はありませんです。
奈良の大仏さんは「秘仏」じゃないでしょう。
ですから広隆寺や薬師寺、それから興福寺には奈良時代以前に仏さんに扉を作って錠をかけた記録がないんです。
奈良時代はまだない。
ところが平安時代になり、天台宗とか真言宗が発達してまいりました時分に「秘仏」ができてくるのです。
これはおそらく神道と深い関わりがあるのではないかと私は思うのです。
神道では神様をこの目で見ません。
頭を下げ、目をつぶって神様をお迎えします。
こういうことから、おそらく平安時代になって「神仏習合」がおこって神仏が1つになり、
仏教に「秘仏」というものができてたと言うように私は思っているのでございます。
ところで「御開帳」とは、どういう意味でしょうか。
今先ほど申しましたように、扉を開けますと、御本尊さんが見えるわけです。
これを私たちの生活の中に、ぐっと引っぱってきますと、
私たちの「心」に当てはまると思うのです。
すなわち、私たちの心には仏さんがいはる。
その仏さんの前に「百八煩悩」というものが塞いでいている。
その「百八煩悩」を取ったら、仏さんが見えてくるということです。
皆さん、一編、ご自身の心を御開帳してみてください。
あんまりええもんは入ってへんはずです。
「あいつ腹立つ。あいつにくたらしい」
「あれも欲しい。これも欲しい」
という怒りやら欲やら、いろんなもんがたくさん入ってますわ。
ただそんなものを取ってしまおうといっても、
そんなに簡単に取ってしまうことはできまへん。
だったら、
煩悩を完全に取り除くということは置いておいて、
先に「仏って一体何やろか」ということを考え、
仏に近づいていったほうが、私は分かりやすいんやないかと思うんですね。
人間ほど、ええことをするものはおりませんし、
人間ほど悪いことをする動物もおりません。
善も悪も、好きも嫌いもみんな心の中に入っておるんです。
だから、清浄で純粋な心も、ちゃんと私たちの中にはあるわけですから、
そこへさっと入ったほうが早いんじゃないかなと思うんです。
(「みやざぎ中央新聞」2017.1.1 清水寺貫主 森清範さんより)
新年は、心の御開帳からどうぞ。(^_^)