🌸🌸価値があるから、欲が出る🌸🌸
世界をアレとコレとに分けて捉える「解釈の世界」には、
常に軋轢(あつれき)や競争心がつきまとう。
それは、切り分けた事物の対象それぞれに、
固有の価値を与えてしまうからなんだ。
それぞれに異なった価値があるから、
そこに「優劣」が生まれる。
優れたものと、劣ったものがあるのなら、
より優れたものを選びたくなるのが人情だよね。
だから、世間が頭のいい人ばかりをありがたがれば、
やれ資格だ学歴だと、必死に競争しあう世の中になってしまう。
誰よりも秀でた何かを持った自分になろうと、あくせくしてしまったり、
自分と誰かを比べて「私には何の価値もない」と、自己嫌悪に陥ってしまうこともある。
だからね、
そもそもの「賢い者ばかりをありがたがる」という物差しがなければ、
人は「競う」という世界から自由になれるんだ。
同じように、皆が皆、
希少価値を重んずるから、それらを奪い合い、しまいには「泥棒だ! 強盗だ!」という騒ぎになる。
世の中が、「あいつが偉い」「これは素晴らしい」と、やたらに煽り立てるほど、
余計に心がかき乱されるけど、
本来は「事物そのもの」に価値が内在してるワケじゃない。
人間がその対象に、概念的な価値を後付けしているんでしているだけなんだ。
「欲が出る」ということは、その対象にそれだけの「価値」を与えているからだよ。
だからもし、あるがままを生きる「妙の国」があったなら、
そこの国王は、あらゆるものの価値や優劣を剥ぐだろうね。
民の心を、からっぽにすることで、みんなの腹を満たしてやり、
競争心を弱めることで、丈夫な骨を作るのさ。
価値に振り回されない社会なら、
「よりよい人生」を求めて暗中模索することもないし、
欲に駆られることもない。
もしも、
「王様! さらに国益を向上する新しいプランができました!」
なんて野心家が現れたら、
「ほほう。ところで、その益を得る『国』とは、いったい、どこにその実体があるんだい?」
なんて言って、あえてご退陣願うのさ。
がむしゃらに自己実現を目指さなくても、
あるがままの流れに任せていれば、人は自然と適材適所に収まるんだけどなぁ。
ま、とにかく勝ち組になろうと躍起になっている今の世の中とは、まるっきり真逆の話だね。
(「ラブ、安堵、ピース」黒澤一樹さんより)
自分の自然な状態が一番の価値だと思います。(^_^)