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「どうせ」は禁句🍀

2017-09-04 12:31:36 | お話
🍀「どうせ」は禁句🍀


北海道の赤平市で「植松電機」という会社を経営している植松努さん。

子供の頃、飛行機やロケットが大好きだった。

紙飛行機の専門書を読んで作ったペーパークラフトが、体育館の端から端まで飛んだことで、

クラスメイトから尊敬の眼指しで見られるようになった。

中学生になっても彼の飛行機熱は冷めなかった。

しかし、高校受験を意識するようになったクラスメートは、

受験には何の関係もない紙飛行機に夢中になっている植松さんを

「まだそんなことやっているの?」

と言うような目で見るようになった。


中学3年の進路相談の時、先生に

「将来は飛行機やロケットをつくる仕事がしたい」

と言うと、

「それなら東大を出ていないといけない。お前には無理だ」

と言われた。

しかし、「最初に飛行機を飛ばしたライト兄弟は東大なんか出ていない」、

そう思った植松さんは独学で勉強することにした。

大好きなことなので、どんどん知識が入ってきた。

困った事は1つだけ、学校の成績は上がらなかった。

高校卒業後は工業系の大学に何とか入れたが、

そこで出会った「流体力学」に衝撃を受けた。

飛行機も紙飛行機も、飛ぶ原理は同じだったのだ。

「『受験に関係ないからやめろ』という周りの言葉を素直に聞かなくてよかった」

と思った。

そして、名古屋にある飛行機をつくる企業に就職した。

毎日、心が躍った。

ある日、残念なことに気がついた。

周囲の社員たちは、それほど飛行機が好きではなかったのだ。

飛行機の専門書を読もうともしないし、言われたことをやるけれど、

創意工夫するほどの情熱はなかった。

「どうせ給料は同じだから」と。

その後、植松さんは北海道に戻り、

家業の「植松電機」で、小型人工衛星や小型ロケットを開発していく。

中小企業がそれをやるのは前代未聞の事だった。

だから「どうせ無理」という言葉を数え切れないほど浴びせられた。

その度に遥か彼方にある夢の現実に燃えた。

「どうせ」という言葉には、自分を卑下する気持ちや、自分への甘えが含まれている。

また、それを言った瞬間、全ての可能性が消えてしまう。

彼が全国各地の講演会で自らの体験を語る1番の目的は、

「どうせ無理」
「どうせ自分なんて」

という言葉をこの世からなくしたいからだそうだ。


「『どうせもう年だし』とか『どうしても長くないんだから』など、

年を取ると『どうせ』という気持ちが強くなる」

と、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さん(93)は著書『知的な老い方』の中で述べている。

外山さんはその昔、中学校の教師をしていた。

初めて担任をした13人の教え子たちが還暦を迎えた年のある日、彼らを食事に招待して祝った。

その時、全員に色紙を贈った。

書いた言葉は、

「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」

という江戸時代の俳人・滝瓢水(ひょうすい)の歌だった。

「海女は、いずれ海に入る。

どうせ濡れるのだから蓑などを着る必要はないのに、

それでも海女は海に着くまで体が濡れないように蓑を着る」

という意味だ。

外山さんはここに海女の「たしなみ」を垣間見た。

「歌に出てくる『浜』とは『死』を意味するのだろう」

と外山さんは思った。

「人は、なにかというと『どうせ』と言って甘える。

みっともない心になる。

そうであってはいけない。

人生、最後の最後まで、わが身をいたわり、美しく明るく生きることに努めるべきだ」、

還暦を迎えた、かつての教え子たちに外山さんは、そんなメッセージを贈ったのだった。

「人間は劣化する」と外山さんは言う。

それは体力や能力だけ能力ではなく、

「考え方」で。

考え方は、まず言葉に表れる。

「どうせ」という言葉は禁句にして、明るく前向きに考えよう。

たとえわずかでも昨日よりいくらかましな人間を目指そう。


(「みやざき中央新聞」H29.8.28 水谷さんより✨✨)