🏯薬師寺🏯③
🔹村上、右も左もわからないまま、修行生活を続けていた私にとって1つの人生の転機になったのが、
18歳の時に師匠のお供でインドに行った時でしょうね。
この時は、聖地ブッダガヤに日本仏教の記念碑として仏塔を建立することになり、
奈良からも大勢の僧侶が参加することになったんです。
何しろ私には生まれて初めての海外旅行でしょう。
しかも、お釈迦様が悟りを開かれた地を訪れるというので不安と緊張でいっぱいでした。
落慶法要の当日、一緒に参加していた老夫婦からこのように言われたんです。
「あなたは本当に幸せですね。その若さでお釈迦様の聖地に参拝ができて、
本当によかったですね」。
この言葉には思わずハッといたしました。
考えてみれば、奈良時代や平安時代、大勢の僧がお釈迦様ゆかりの地を訪れたいと熱願しながら、
断念せざるを得ませんでした。
一念発起してインドや中国に向かったとしても、
旅の途中で遭難したり、病気で亡くなったりした僧が数多くおります。
そのことに思いを馳せた時、願いを果たせなかった僧たちへの申し訳なさが込み上げ、
自分が出家したこと、インドに来たことの意味を初めて感じ取ることができたんです。
🔸小川、そうでした。
🔹村上、10年間の修行の苦労が一瞬で消え去り、
師匠やお釈迦様は、すべての方々に心からの感謝の思いが湧いてまいりました。
お釈迦様が亡くなったクシナガラの地では、
お釈迦様の墓塔に五体投地をしながら涙を流したことを、いまでもよく覚えておりますね。
これが宗教家になろうという決心のスタートだったと思います。
🔸小川、私はインドには行ったことがありませんが、
やはり日本とは大きく違う現地の神聖な雰囲気と、村上管主の決心を後押ししたのではありませんか。
🔹村上、それはありますね。まず大らかさが違います。
それにお釈迦様がここで生まれられたんやな、
ここで修行されたんやな、という空気を肌で感じることができました。
仏教の難しい講義を聴いているだけではわからなかった生きたお釈迦様の姿に触れて、
大きな力をいただいた思いでしたね。
そしてその頃から、師匠の大きさというのか、なぜご自身や私たち弟子にそこまで厳しくされているかが少しずつ分かってきたように思います。
師匠は自分が厳しく生きる姿を通して、
私たちを本当の仏教者に育てようと知らず知らずのうちに心がけておられたのですね。
私もいま弟子を育てる立場になって、その気持ちがより分かるようになりました。
(つづく)
(「致知」10月号 小川三夫さん村上太胤さん対談より)
🔹村上、右も左もわからないまま、修行生活を続けていた私にとって1つの人生の転機になったのが、
18歳の時に師匠のお供でインドに行った時でしょうね。
この時は、聖地ブッダガヤに日本仏教の記念碑として仏塔を建立することになり、
奈良からも大勢の僧侶が参加することになったんです。
何しろ私には生まれて初めての海外旅行でしょう。
しかも、お釈迦様が悟りを開かれた地を訪れるというので不安と緊張でいっぱいでした。
落慶法要の当日、一緒に参加していた老夫婦からこのように言われたんです。
「あなたは本当に幸せですね。その若さでお釈迦様の聖地に参拝ができて、
本当によかったですね」。
この言葉には思わずハッといたしました。
考えてみれば、奈良時代や平安時代、大勢の僧がお釈迦様ゆかりの地を訪れたいと熱願しながら、
断念せざるを得ませんでした。
一念発起してインドや中国に向かったとしても、
旅の途中で遭難したり、病気で亡くなったりした僧が数多くおります。
そのことに思いを馳せた時、願いを果たせなかった僧たちへの申し訳なさが込み上げ、
自分が出家したこと、インドに来たことの意味を初めて感じ取ることができたんです。
🔸小川、そうでした。
🔹村上、10年間の修行の苦労が一瞬で消え去り、
師匠やお釈迦様は、すべての方々に心からの感謝の思いが湧いてまいりました。
お釈迦様が亡くなったクシナガラの地では、
お釈迦様の墓塔に五体投地をしながら涙を流したことを、いまでもよく覚えておりますね。
これが宗教家になろうという決心のスタートだったと思います。
🔸小川、私はインドには行ったことがありませんが、
やはり日本とは大きく違う現地の神聖な雰囲気と、村上管主の決心を後押ししたのではありませんか。
🔹村上、それはありますね。まず大らかさが違います。
それにお釈迦様がここで生まれられたんやな、
ここで修行されたんやな、という空気を肌で感じることができました。
仏教の難しい講義を聴いているだけではわからなかった生きたお釈迦様の姿に触れて、
大きな力をいただいた思いでしたね。
そしてその頃から、師匠の大きさというのか、なぜご自身や私たち弟子にそこまで厳しくされているかが少しずつ分かってきたように思います。
師匠は自分が厳しく生きる姿を通して、
私たちを本当の仏教者に育てようと知らず知らずのうちに心がけておられたのですね。
私もいま弟子を育てる立場になって、その気持ちがより分かるようになりました。
(つづく)
(「致知」10月号 小川三夫さん村上太胤さん対談より)