🏯薬師寺🏯②
🔸小川、村上管主が薬師寺にはいられたのは60年前と言う事ですが、まだ小学生ですね。
🔹村上、9歳でございました。
🔸小川、ああ、そんなに幼い頃に。
🔹村上、父が岐阜にある別院の研修道場やっておりましてね。
やはり橋本凝胤師の弟子だったんです。
私は時々岐阜に来る師匠から
「うちに、来んか。おいしい饅頭もあるぞ」
と言われておりまして(笑)、
父にも、
「師匠が元気なうちに修行に出したほうがいい」
と考えていたようですね。
9歳ですから深く考えることはありませんでしたが、それでも
「一晩考えさせてほしい」
と言ったそうですよ(笑)。
師匠は60歳の男盛りで、それはそれは厳しいことで有名な方でした。
ご自身も1300年前の伝統的な僧侶の生活形態をそのまま守り、
肉や魚は食べない、酒も飲まない、奥さんも持たない。
弟子を育てること、薬師寺を復興させることが1番の願いという厳格な人でした。
寺には高田好胤師以下、兄弟子たちが何もおりました。
私は小学生ですから、兄弟子たちに言わせれば私への教育は比較的甘かったそうですが、
もともと皆から鬼みたいに思われている人ですから、
少しくらい甘くても鬼であることには変わりありません(笑)。
🔸小川、そうですか。私も凝胤師には何度もお目にかかっていますが、
鬼と恐れられた西岡棟梁を厳しく叱り飛ばすくらい気性の激しい方でした。
🔹村上、何も知らない子供が問答無用に、いきなりそんなお寺の生活を強いられるのですから、
それはもう大変でした。
寺の生活に馴染むのが1番の修行です。
朝4時半に起きて兄弟子たちとお勤めをしてお掃除をして、6時にはお粥さんをいただくのですが、
これが目玉が映るようなしゃぶしゃぶのお粥でございましてね。
朝食を終えると、学校に行くまでの2時間、毎日師匠の講義があります。
「唯識(ゆいしき)3年、倶舎(ぐしゃ)8年」と申しまして、
法相宗では唯識の勉強するのに3年、その前に倶舎論という書物は8年学ばなくてはいけません。
難しい講義でも千日間聞き続けていれば分かってくるという「千日聞き流し」という言葉もございますが、
小学生の私には宇宙の言葉を聞いているようで、何のことかさっぱりわかりませんでした。
何せ小学生ですから朝、起きるのが辛い時があります。
寝過ごして怒られる、夜眠たくて居眠りをしているとまた怒られる。
まぁ、怒られることが小僧の仕事のようなものですね。
逃げ出だ逃げ出したいと思うことがあっても、私の場合、帰る先もお寺ですから観念して薬師寺にいる以外にありません。
いま考えると、結果的にそれがよかったのだと思います。
🔸小川、兄弟子さんたちも、やはり厳しかったのですか。
🔹村上、ええ。上の兄弟子が怒られると、だんだん下のほうにそのしわ寄せがきます。
私の下にいるのは猫だけでした(笑)。
まだまだ薬師寺も戦後の貧しい頃で、食事は実にお粗末でしたから、中学生になっても体重は29キロしかなかったんです。
小僧さんたちがあまりにも痩せて可哀想だと言うので、
村の人たちが時々おかずを差し入れてくださるのですが、
そういう時も1番上の兄弟子から順に取っていって、
私が取ろうとしても、もうありません。
その時は兄弟子たちを随分羨ましく思ったものですが、
小僧時代にこういうハングリー精神を身につけさせていただいたこともまた、貴重な体験でございました。
(つづく)
(「致知」10月号 小川三夫さん村上太胤さん対談より)
🔸小川、村上管主が薬師寺にはいられたのは60年前と言う事ですが、まだ小学生ですね。
🔹村上、9歳でございました。
🔸小川、ああ、そんなに幼い頃に。
🔹村上、父が岐阜にある別院の研修道場やっておりましてね。
やはり橋本凝胤師の弟子だったんです。
私は時々岐阜に来る師匠から
「うちに、来んか。おいしい饅頭もあるぞ」
と言われておりまして(笑)、
父にも、
「師匠が元気なうちに修行に出したほうがいい」
と考えていたようですね。
9歳ですから深く考えることはありませんでしたが、それでも
「一晩考えさせてほしい」
と言ったそうですよ(笑)。
師匠は60歳の男盛りで、それはそれは厳しいことで有名な方でした。
ご自身も1300年前の伝統的な僧侶の生活形態をそのまま守り、
肉や魚は食べない、酒も飲まない、奥さんも持たない。
弟子を育てること、薬師寺を復興させることが1番の願いという厳格な人でした。
寺には高田好胤師以下、兄弟子たちが何もおりました。
私は小学生ですから、兄弟子たちに言わせれば私への教育は比較的甘かったそうですが、
もともと皆から鬼みたいに思われている人ですから、
少しくらい甘くても鬼であることには変わりありません(笑)。
🔸小川、そうですか。私も凝胤師には何度もお目にかかっていますが、
鬼と恐れられた西岡棟梁を厳しく叱り飛ばすくらい気性の激しい方でした。
🔹村上、何も知らない子供が問答無用に、いきなりそんなお寺の生活を強いられるのですから、
それはもう大変でした。
寺の生活に馴染むのが1番の修行です。
朝4時半に起きて兄弟子たちとお勤めをしてお掃除をして、6時にはお粥さんをいただくのですが、
これが目玉が映るようなしゃぶしゃぶのお粥でございましてね。
朝食を終えると、学校に行くまでの2時間、毎日師匠の講義があります。
「唯識(ゆいしき)3年、倶舎(ぐしゃ)8年」と申しまして、
法相宗では唯識の勉強するのに3年、その前に倶舎論という書物は8年学ばなくてはいけません。
難しい講義でも千日間聞き続けていれば分かってくるという「千日聞き流し」という言葉もございますが、
小学生の私には宇宙の言葉を聞いているようで、何のことかさっぱりわかりませんでした。
何せ小学生ですから朝、起きるのが辛い時があります。
寝過ごして怒られる、夜眠たくて居眠りをしているとまた怒られる。
まぁ、怒られることが小僧の仕事のようなものですね。
逃げ出だ逃げ出したいと思うことがあっても、私の場合、帰る先もお寺ですから観念して薬師寺にいる以外にありません。
いま考えると、結果的にそれがよかったのだと思います。
🔸小川、兄弟子さんたちも、やはり厳しかったのですか。
🔹村上、ええ。上の兄弟子が怒られると、だんだん下のほうにそのしわ寄せがきます。
私の下にいるのは猫だけでした(笑)。
まだまだ薬師寺も戦後の貧しい頃で、食事は実にお粗末でしたから、中学生になっても体重は29キロしかなかったんです。
小僧さんたちがあまりにも痩せて可哀想だと言うので、
村の人たちが時々おかずを差し入れてくださるのですが、
そういう時も1番上の兄弟子から順に取っていって、
私が取ろうとしても、もうありません。
その時は兄弟子たちを随分羨ましく思ったものですが、
小僧時代にこういうハングリー精神を身につけさせていただいたこともまた、貴重な体験でございました。
(つづく)
(「致知」10月号 小川三夫さん村上太胤さん対談より)