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直感力14🌟情熱を持ち続ける🌟

2018-02-08 16:07:24 | お話
14🌟情熱を持ち続ける🌟


情熱を、常に何かを探し続けることをでも保たれる。

今まで自分の中になかった何かを発見すると言うプロセスを大事にするのだ。

たとえば今日一局指して、勝ったはいいが何の収穫もなかったとか、何の進歩もなかったとなると、やはりモチベーションは下がってしまう。

ところがそこに、そういう発見があった、こんな課題が見つかった、研究テーマがあった、となればそこからまた次につながっていく。

そういうものを見つけるプロセスがとても大事な要素になる。

心がけるのは、常に違う何かを見つけていくこと。

それは現場に不満足でいることではなく、さらに違う何かを常に探し求めていく姿勢だ。

その前提として、いろいろな可能性があると信じることが重要だと考えている。

常識に囚われず、先入観を持たずに捉えられるアプローチだ。

ひとつのかたちを手に入れたら今度は違う何かを見つけていく、もうひと工夫することを繰り返していく。

そうして楽しくないときも楽しくする、面白くなくてもそれなりになんとかしていく。

工夫したり順応したりすることを才能と呼べるかどうかは分らないが、しかしそれもひとつの大きな要素だと思う。

当然ながら、何も思いつかない、煮詰まってしまう、打開が困難な場面もある。

そんなときでもなんとかやりくりしながら新たな方法を模索する。

それが、「追いかけ続ける」ということではないかと思う。

自分の願いや希求するものを見つけたら、それをただひたすら追いかける。

追いかけるのは気持ちの上だけのことではない。

本当に追いかけるなら、動かなければならない。

できたらいいなぁと考えているだけだったり、

手に入れることを夢見ているだけの段階では、まだ本当に追いかけているとはいえない。

追いかけるための行動を、具体的にとらなければならないのだ。


たとえば、プロ野球の世界には、1日に3回ゲームをして名をなした選手がいる。

最初のゲームは試合前。

これから臨む試合についてシミュレーションする。

相手チーム打者との勝負を1回から9回まで事細かにイメージし、実践に備えるのだ。

そして2回目が、実際の試合。

さらにその試合後には、反省を兼ねてもう一度最初から最後まで試合を振り返る。

こうして彼は、一試合のたびに予習と復習を含めた3回のゲームを繰り返した。

また、どうしても打率2割5分しか打てなかった時代には、

「3割打者と自分のような2割5分の打者とはどこが違うのだろう」と模索した。

そして、その差は100打席で30本ヒットを打つか、25本しか打てないかの差、つまりたった5本の差だと気づいたという。

あと5本ヒットを1つためにはどうしたらいいかを考え抜いた結果、

「相手投手の配給や癖を研究すること」

すなわちID (インポータント・データ)を駆使することに辿り着く。

やがて、これによって多くのヒットを打てるようになった。

それが、プロ野球日に初めて「ID野球」を持ち込んだ野村克也さんだ。

数多くの選手選択肢の中から配球を決めるプロセスも、天文学的な数字と確率の話なわけで、

これこそ「職人技」といえるのではないか。

それは一朝一夕でできるものではなく、地道な積み重ねの中から初めて完成するものだ。

ただし、追いかけるものは、途中で変わってもいい。

人は、普通に続けられることをしか続けられないものだと思うからだ。

言い換えれば、自分の気持ちに無理を強いるようなことは、続けられないものだということでもある。

追いかけるものとは「絶対やらなければいけない」ことではない。

やらなければならないという強迫観念に囚われて続けなければならないようなものを目指すのは、本末転倒だ。

「絶対」をもつことは、執着につながる。

執着すると苦しい。

「好き」だという以外に余計な感情が入るからだ。

そうならないように適度に力を抜きリラックスして自然体になる。

執着による負のサイクルが起こりやすいものなので、

意図的に修正を続けていく必要があると感じている。

そして、1番いいのは、夢中になって追ううちに

「結果的にそうなった」ということだ。

集中しようと思って集中しているのではなく、

気がつけば、集中していた、

結果的に打ち込んでいた…という状態に持っていけるのが理想だと思う。

人は、楽しい最中に「いまが楽しい」とは思わない。

後で気づいて、楽しかったと思う。

意図して、あるいは努めてそういう方向へともっていることをしなくてもそうなるのが1番良い。

同時に、日常の中で可もなく不可もなく、つつがなく暮らせているのも、

それはそれで充実しているような気がする。

そう感じる精神状態にあるということが充実している証拠ではないだろうか。


(「直感力」羽生善治さんより)