『自分の命を安売りするのは小さな命たちに失礼です』
たとえば「今日は忙しいから晩ご飯は98円のインスタントラーメンで」と思ったとします。
夜8時にそれを食べ、翌朝6時まで何も食べないとすると、
その人は10時間をその98円のインスタントラーメンで生きたことになります。
1時間あたりで表現すると「980銭の命」ということです。
私はそれは、とんでもない「安売りの人生」だと思います。
そんな食生活ばかりしていると、「自分はこの程度だ」
と思って、いい出会いはできません。
自分の命を安売りするようなことはしてはいけません。
食べる時の雰囲気も大事です。
たとえば大嫌いな人を前に、裸電球1個の薄暗い、変な匂いのする地下室で、
器もテーブルクロスも汚れ、BGMはレクイエム(鎮魂歌)。
とても快適とはいえないそんな雰囲気では、
どんなに最高のお米や野菜を食べても、おいしさは感じられないでしょう。
逆に、とても景色がよく、素敵な香りやおしゃれなテーブルクロスや器に囲まれ、
憧れの人や愛する人と一緒に食事ができたら、
誰もが最高の幸せを感じることができるでしょう。
「あ~幸せ」
「あ~おいしい」
と感謝しながら食べる。
それが健康にとって、とても大事なのです。
皆さんが赤身のマグロを3切れ食べたとします。
そのマグロは、この世に存在するために、エサであるイワシを1000匹食べます。
そのイワシ1000匹がこの世に存在するために食べるアミエビは5億匹。
その5億匹のアミエビがこの世に存在するために食べるプランクトンは50兆。
さらにそのプランクトンが存在するために、
たくさんの海水や太陽、空気が関わっています。
でもその3切れのマグロを食べることで、皆さんが生きることができる時間は、
栄養学的に言えば、たったの20分です。
言い換えれば、自然界はそれらを通して私たちが生きることを許してくれているのです。
私たちがちゃんと生きられるよう、多くのイワシやアミエビ、プランクトン、
雨さん、風さん、土さん、
みんなが応援して「私」を生かしているのです。
それはなぜかというと、
「私」がこの世に存在しなきゃいけない、
かけがえのない大切な存在だからです。
だから、それぞれが自分たちの命を投げ出し、
「私」を生かしてくれているのです。
それなのに、皆さん自身が
「どうせ自分なんて」
と安売りしてしまうのは、
自然に対して、とても失礼だと思います。
命を投げ出してくれた小さな命に対して
失礼のないように調理し、
失礼のないように食べ、
失礼のないように生きる。
これが、私たちが食べるということ、生きるということだと私は思っているんですね。
(「みやざき中央新聞」H30.2.12 自然食料理人 船越康弘さんより)
たとえば「今日は忙しいから晩ご飯は98円のインスタントラーメンで」と思ったとします。
夜8時にそれを食べ、翌朝6時まで何も食べないとすると、
その人は10時間をその98円のインスタントラーメンで生きたことになります。
1時間あたりで表現すると「980銭の命」ということです。
私はそれは、とんでもない「安売りの人生」だと思います。
そんな食生活ばかりしていると、「自分はこの程度だ」
と思って、いい出会いはできません。
自分の命を安売りするようなことはしてはいけません。
食べる時の雰囲気も大事です。
たとえば大嫌いな人を前に、裸電球1個の薄暗い、変な匂いのする地下室で、
器もテーブルクロスも汚れ、BGMはレクイエム(鎮魂歌)。
とても快適とはいえないそんな雰囲気では、
どんなに最高のお米や野菜を食べても、おいしさは感じられないでしょう。
逆に、とても景色がよく、素敵な香りやおしゃれなテーブルクロスや器に囲まれ、
憧れの人や愛する人と一緒に食事ができたら、
誰もが最高の幸せを感じることができるでしょう。
「あ~幸せ」
「あ~おいしい」
と感謝しながら食べる。
それが健康にとって、とても大事なのです。
皆さんが赤身のマグロを3切れ食べたとします。
そのマグロは、この世に存在するために、エサであるイワシを1000匹食べます。
そのイワシ1000匹がこの世に存在するために食べるアミエビは5億匹。
その5億匹のアミエビがこの世に存在するために食べるプランクトンは50兆。
さらにそのプランクトンが存在するために、
たくさんの海水や太陽、空気が関わっています。
でもその3切れのマグロを食べることで、皆さんが生きることができる時間は、
栄養学的に言えば、たったの20分です。
言い換えれば、自然界はそれらを通して私たちが生きることを許してくれているのです。
私たちがちゃんと生きられるよう、多くのイワシやアミエビ、プランクトン、
雨さん、風さん、土さん、
みんなが応援して「私」を生かしているのです。
それはなぜかというと、
「私」がこの世に存在しなきゃいけない、
かけがえのない大切な存在だからです。
だから、それぞれが自分たちの命を投げ出し、
「私」を生かしてくれているのです。
それなのに、皆さん自身が
「どうせ自分なんて」
と安売りしてしまうのは、
自然に対して、とても失礼だと思います。
命を投げ出してくれた小さな命に対して
失礼のないように調理し、
失礼のないように食べ、
失礼のないように生きる。
これが、私たちが食べるということ、生きるということだと私は思っているんですね。
(「みやざき中央新聞」H30.2.12 自然食料理人 船越康弘さんより)