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🍀🍀『「宇宙船地球号」の乗組員として考えて欲しいこと』🍀🍀

2018-02-24 21:02:28 | 新しい考え方
🍀🍀『「宇宙船地球号」の乗組員として考えて欲しいこと』🍀🍀


皆さんの家🏠の冷蔵庫に2本の牛乳🐄があると考えてください。

1本の賞味期限は「今日」、もう1本は「1週間後」です。

皆さんはどちらの牛乳🐄から使いますか。

やっぱり古いほうから先に使ったほうがいいですから「今日」のほうですよね。😊

ではスーパー🏬で買う👜時にはどうでしょう。

牛乳🐄が2本残っていて、どちらも同じメーカー、同量同質、同じ値段で、
賞味期限は「今日」と「1週間後」です。

この時皆さんは、

「やっぱり新しい✨のがいいわ」

ということで「1週間後の牛乳🐄」を買うでしょう。😊

でもこれ、おかしくありませんか。😊🎵

自分の家では古い牛乳🐄から使うのに、
スーパーでは新しいほうを買うなんて…。

スーパーで売れ残った牛乳は、

容器に穴を空けられ、排水溝に捨てら💨れます。

それは川へ、そして海へと流れ込みます。

でも、そのままの濃度だと川の魚🐟は即死😇するので、牛乳を水で薄めます。

200ミリリットルの牛乳の場合だと、
6000リットルの水💦が使われます。

お風呂約30杯分です。😵

ですから地球環境🍀のことを考えれば、私たち一人ひとりが

「スーパーでも古い牛乳から買おう」

と行動することが大事🍀なのです。😊☀️

その小さな実践🌸が未来✨への貢献✊につながります。


バックミンスター・フラーという人は、100年以上前、

「このままだと、地球🌏は立ち行かなくなる😵」

と警告⚠️しました。

その理由🍀を、彼は宇宙🌌を進む船🚢に例えて説明🌸しました。

船というのは港に寄って燃料🔥を補給🌸しながら進みますが、

私たちが乗っているこの「地球号🚢」には燃料🔥を補給🌸できる港はありません。

ですから彼は、

「地球の燃料🔥(資源)を使わずに生活🍀することを考えよう🎵」

「燃料🔥を使わなくても生きるために必要な物は、全て与えられている😊」

と言いました。🎵

それが太陽☀️であり、空気☁️や水💧、土の中のエネルギー♨️⚡️です。


今、地球🌏には72億人が生きていますが、
その半数の人が1日1食🍴を食べていません。😵

さらに6億9000万の人は、明日死ぬ😇かもしれない飢餓状態💀にあります。


その人たちに

「もし生まれ変われる🔄とすればどの国に住みたいですか」

と聞くと、

多くの人が「日本🇯🇵」と答えるそうです。

一日三度の食事🍴はあるし、雨風☔️をしのぐ家🏠もある。

シャワー🚿やお風呂🛀にも入れる。

そんな「夢の国🎠、日本🇯🇵」に住んでいる皆さんは、

今の生活🍀に「ありがとう🙏」と言っているでしょうか。😊

三度の食事や水道から出てくる水に「ありがとう🙏」と言っているでしょうか。


私たちが、幸せ💕になる最初の一歩👟は、

私たちが今✨享受🌸している
この当たり前のことすべてに
心💓の底から

「ありがとう💚」

と言いながら暮らす🍀ことだと、私は考えているのです。😊🎵


(「みやざき中央新聞」H30.2.17 自然食料理人 船越康弘さんより)

💕幸せを感じる人💕

2018-02-24 08:55:27 | お話
💕幸せを感じる人💕


これは福祉用具専門相談員をしていた頃のことですから、もうずいぶん昔の話です。

先輩が担当していた利用者さんのお宅に同行をしました。

利用者さん宅に向かう車の中で聞いた情報は、

利用者さんは女性、(50代前半) 、若年性認知症がかなり進行した状態である、でした。

ご主人がつきっきりで在宅介護をしていて、つい最近引っ越しをした、という話もそこで聞きました。

おうかがいしたお宅は築50〜60年、と思われる古い木造の長屋で、

家の中にある大きな家具は、介護ベッドとテレビだけでした。

お洋服など生活用品は、すべてそのまま床の上に置かれていました。

初めて会った利用者さんは、先輩が話していた通り、認知症がかなり進行していて、まったく会話ができません。

感情がなくなっているため、ずっとテレビを見つめたままでじっとしていました。

声をかけると一応こちらを見るのですが、

その顔は無表情で、すぐにまたテレビの画面に目を移します。

歩行が困難になり寝たきりでしたし、排泄のコントロールもできなくなっていました。

介護サービスを利用し始めた頃は、
まだまだ元気で記憶もしっかりしていたそうです。

先輩が行くと

「〇〇さん、来てくれはったん〜?」

と大喜びしていたらしく、
本当に認知症? と思うくらいしっかりしていたそうです。

私はこの日が初訪問でしたから、先輩とご主人の会話を黙って聞いていました。

「こんなところまで落ちぶれてしもたわ〜。あはは」

「〇〇さん、まだ若いんだから大丈夫ですよ。また仕事を始めたら、もとのようになれますって〜」

事情がさっぱり分からない私でしたが、ご主人は屈託なく笑っていて、先輩のなぐさめは噛み合っていないかも? と思いました。


車に戻ってハンドルを握ると先輩が詳しい話を始めました。

このご夫婦はもとはお金持ちだったのだそうです。

先輩がケアマネジャーと一緒に初めて訪れた家は豪邸で、車庫には外車が停まっていたそうです。

ご主人の腕には超高級腕時計が光っており、

ごっつい指輪(先輩の感想です)もしていて、

ファッションも派手で遊び人風だったと言っていました。

ご主人は会社経営をしていたそうです。

奥さんの介護は自分がする、人任せにしない、とご主人が宣言した時、

ケアマネと先輩は

「こんなお金持ちの、遊び人ぽい人にできるわけないやろ」

「在宅介護がわかってないな」

と思ったそうです。

ご主人の決意を信じていなかったケアマネは、施設に入れる選択肢もありますよ、と話したそうです。


それからは行くたびに、ちょっとずつ生活が変化していったそうです。

まず指輪が指から消え、次に腕時計がなくなり、車庫から外車も消えました。

会社もたたんだそうです。

小さな家に転居して、細々と暮らしていたそうですが、

今回もっと家賃の安い家に引っ越しをした、と言う話でした。

初期の頃のご主人はハツラツとしていて、バリバリ仕事をこなしています! という雰囲気だったのに、

今は背中を丸めてしょんぼりしている、一気に年を取ったみたいだ、と先輩が言っていました。

そうか〜、そういう事情だったのか、と聞いていて在宅介護の厳しさを思いました。

その後、先輩の手がまわらない時に、私が何回か紙おむつの配達に行きました。

行くとご主人はいつも明るくニコニコしています。

それは無理をして作った笑顔ではありませんでした。

ハンコが見つからないと探している時も、

こんなに物が少ないし、探す場所もないのに見つからないのは、おかしいよなぁ?

と素直に笑っていて、ご主人に暗い心の闇はまったくなかったのです。

無表情でじっと座っている奥さんに普通に話しかけ、

返事が返ってこなくても、奥さんが笑わなくても、

ご主人は変わらずニコニコしていました。


一度、配達が夜にはなったことがあって、ご主人は調理をしていました。

玄関を入ったところが台所でしたから、見るつもりがなくても見えてしまいます。

小さなお鍋で具の少ない煮物を作っていました。

そしてこの日も、ハンコがないと明るく大騒ぎをしていました。


紙おむつは対象者であれば自治体から補助金が出るのですが、

ご主人はそれを、ありがたい、ありがたい、といつも感謝していました。

同じ補助を受けているほとんどの人が、

「当然である」という態度で、

配達に行くと、

「そこらへんに置いといて!」

などと面倒くさそうに言っていたので、

ご主人の心根の良さがわかります。

お金がある時は派手にしていて遊び人風だったようですが、

人の真価というのは見た目では判断できず、

困難がきてそこで初めてわかるものなのかもしれません。

そして、ご主人は自分を不幸だとまったく思っていないようでした。

きっとお金持ちだった時に、

「お金があるから自分は幸せ」

と考えていなかったのだと思います。

もし、そう思っていたとしたら、お金がなくなった状態は不幸になるからです。

ご主人の幸せのキーポイントとなっているのは奥さんのようでした。

ご夫婦にはお子さんがいませんでしたから、頼る人もなく、

「自分には妻しかいない」

ということをチラッと言っていたのです。

話ができなくても、笑顔がもらえなくても、

この先ずっとありがとうと言ってもらえなくても、

奥さんがそこにいてくれればそれだけでいい、

と話すご主人は輝いて見えました。

奥さんが自分より先に逝くだろうことも知っているので、

最期のその時までできることはしてあげようと思っていたようです。

人を愛するって、こういうことなのだな〜、

と私はその時しみじみと思いました。


幸せは人によって違います。

人の幸せを基準にしてしまうと、人が持っているものを自分が持っていなかったら不幸になってしまいます。

お金が足りないと不幸、結婚してないと不幸、

子供がいないと不幸、正社員じゃないと不幸、

妻が健康じゃないと不幸、という考えになってしまうわけです。

そうではなく、このご主人のように自分が幸せだと感じていれば、

誰がどう思うと、世間がどう見ようと関係ないのです。

幸せは、他人に認めてもらうわけもらわなければいけない、というものではありません。

"自分が感じる幸せ" それが本当の幸せだと、私はそう思っています。


(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さん、あとがきより)