☀️🍀積極的平和🍀☀️
それは、本当の積極的🌸平和☀️を政策🏤としたからだ。
1980年、当時のカラソ大統領👑は人類に「理解🌟と寛容🌸、平和共存☀️」の精神⚡️を広めようと、
国連🌈平和大学🏫の創立を国連に提案🎵し、設立🍀された。
コスタリカには首都サンホセ郊外の敷地🍀を提供🌸し、
今も日本🇯🇵を含む世界中から学生🏫が来て、
世界が平和☀️になるには、どうしたらいいか🎵を学んでいる。
日本人🇯🇵の教授🌸もいる。
中南米は、中米、南米、カリブ海の3地域に分かれ、
コスタリカは南米ある。
1980年代、中米では3つの国が内戦💥をした。
コスタリカに隣接するニカラグア、そしてエルサルバドルとグアテマラだ。
中米紛争💢と呼ばれる。
このとき米国のレーガン大統領🇺🇸はコスタリカに飛行場✈️の建設援助🌸を申し出た。
米国🇺🇸が支援するニカラグアの右派ゲリラ💀に使わせようとしたのだ。
当時のコスタリカのモンヘ大統領👑はきっぱり⚡️と断った🚫✋。
さらに1983年、「永世、積極的、非武装、中立」を宣言🎤🎵した。
コスタリカが国際紛争💢に巻き込まれないだけでなく、
超大国の米国🇺🇸からも自立した外交を進めることを明確🌟にしたのだ。
さらに1986年の選挙で当選🌟したアリアス大統領👑は、戦争をしているこの3つの国をまわって🔄対話🎵を説き、
内戦💣💢を終わらせる道🍀をつけた。
その功績で彼は1987年、ノーベル平和賞👑受賞した。
彼が進めたのは「平和☀️の輸出🚢」である。
平和憲法☀️を持つ国は、自分の国だけではなく周囲を、
さらに世界🌎を、平和☀️にする責任🍀があるという考え方だ。😊🎵
アリアス氏は大統領👑に就任した直後、国連🌈総会🏢でこう演説🎤した。
「私は、武器🔫を持たない国から来ました。
私たちの国の子供たちは戦車を見たことがありません。😊
武装したヘリコプター🚁や軍艦どころか、銃🔫でさえ見たことがありません」
「私は、小国ながら民主主義🌸の歴史を誇る国からやってきました。😊
私たちの国では、男の子も女の子も、弾圧💢というものを知りません」
と。
私は、彼を日本🇯🇵に招いたことがある。
1995年に朝日新聞📰が主催したシンポジウム🎤のパネリストになってもらったのだ。
そのさい、壇上で彼が語った🎤のは
「私たちにとって、最も良い防衛手段は、防衛手段を持たないことだ😊」
という言葉🍀だ。
名言✨ではないか。
その3年前、日本🇯🇵の自衛隊が初めてカンボジアに海外派遣🌸された。
成田空港に着いたから迎えに行った私は、都内に向かう車🚙の中で彼の意見を聞いた👂。
アリアス氏は、
「日本🇯🇵は国際貢献の美名で、自衛隊を派遣🌸したが、
どんな美辞麗句を用いても、
軍服を着た人が行けば、必ず現地の人から嫌われる。😵
それよりも、もっと日本🇯🇵らしい貢献の仕方があるでしょう。🎵
カンボジアは、これまで内戦💢を続け病人🏥やけが人😵が多い。
ならば、医師🏥を送ればいい、
白衣の医師🏥の方が、軍服を着た軍人よりも、はるかに歓迎💕されます」
と言う。😊
なるほど🌟と思っていると、彼は続けた。
「次に必要なのは、カンボジアの産業🏭の復興🌸です。
カンボジアの産業は農業🌲で、日本🇯🇵と同じ水田🍚耕作です。
日本の農民🍀を派遣して、反当たり収穫世界一👑の日本の農業🍀技術🔧を教えればいい。
そうすればカンボジアのすべての田に稲がたわわに実り🌸、だれもが食べられる🍚ようになる。
飯🍚を食えれば、戦争💢なんかしませんよ。
その次は、カンボジアの将来✨です。
将来を決めるのは教育🌸です。
先生🍀を派遣して、世界に優れた日本🇯🇵の教育を伝えればいい🎵」
私は驚いた。😵
確かにそうすれば感謝🌸されるだろうし、
日本国内でだれも反対✋しないだろう。
間髪⚡️入れずにこうしたアイディア🌟が出せるのは、
日ごろから、相手の立場に立った国際貢献🌸をしてきたからだ。
カンボジア派兵にあたっての議論で、こうした案が日本の市民サイドから出て、世論の支持✊を得ていれば、
派兵よりも民間支援🌸が優先✨されたかもしれない。😊🎵
(「凛とした小国」伊藤千尋さんより)
それは、本当の積極的🌸平和☀️を政策🏤としたからだ。
1980年、当時のカラソ大統領👑は人類に「理解🌟と寛容🌸、平和共存☀️」の精神⚡️を広めようと、
国連🌈平和大学🏫の創立を国連に提案🎵し、設立🍀された。
コスタリカには首都サンホセ郊外の敷地🍀を提供🌸し、
今も日本🇯🇵を含む世界中から学生🏫が来て、
世界が平和☀️になるには、どうしたらいいか🎵を学んでいる。
日本人🇯🇵の教授🌸もいる。
中南米は、中米、南米、カリブ海の3地域に分かれ、
コスタリカは南米ある。
1980年代、中米では3つの国が内戦💥をした。
コスタリカに隣接するニカラグア、そしてエルサルバドルとグアテマラだ。
中米紛争💢と呼ばれる。
このとき米国のレーガン大統領🇺🇸はコスタリカに飛行場✈️の建設援助🌸を申し出た。
米国🇺🇸が支援するニカラグアの右派ゲリラ💀に使わせようとしたのだ。
当時のコスタリカのモンヘ大統領👑はきっぱり⚡️と断った🚫✋。
さらに1983年、「永世、積極的、非武装、中立」を宣言🎤🎵した。
コスタリカが国際紛争💢に巻き込まれないだけでなく、
超大国の米国🇺🇸からも自立した外交を進めることを明確🌟にしたのだ。
さらに1986年の選挙で当選🌟したアリアス大統領👑は、戦争をしているこの3つの国をまわって🔄対話🎵を説き、
内戦💣💢を終わらせる道🍀をつけた。
その功績で彼は1987年、ノーベル平和賞👑受賞した。
彼が進めたのは「平和☀️の輸出🚢」である。
平和憲法☀️を持つ国は、自分の国だけではなく周囲を、
さらに世界🌎を、平和☀️にする責任🍀があるという考え方だ。😊🎵
アリアス氏は大統領👑に就任した直後、国連🌈総会🏢でこう演説🎤した。
「私は、武器🔫を持たない国から来ました。
私たちの国の子供たちは戦車を見たことがありません。😊
武装したヘリコプター🚁や軍艦どころか、銃🔫でさえ見たことがありません」
「私は、小国ながら民主主義🌸の歴史を誇る国からやってきました。😊
私たちの国では、男の子も女の子も、弾圧💢というものを知りません」
と。
私は、彼を日本🇯🇵に招いたことがある。
1995年に朝日新聞📰が主催したシンポジウム🎤のパネリストになってもらったのだ。
そのさい、壇上で彼が語った🎤のは
「私たちにとって、最も良い防衛手段は、防衛手段を持たないことだ😊」
という言葉🍀だ。
名言✨ではないか。
その3年前、日本🇯🇵の自衛隊が初めてカンボジアに海外派遣🌸された。
成田空港に着いたから迎えに行った私は、都内に向かう車🚙の中で彼の意見を聞いた👂。
アリアス氏は、
「日本🇯🇵は国際貢献の美名で、自衛隊を派遣🌸したが、
どんな美辞麗句を用いても、
軍服を着た人が行けば、必ず現地の人から嫌われる。😵
それよりも、もっと日本🇯🇵らしい貢献の仕方があるでしょう。🎵
カンボジアは、これまで内戦💢を続け病人🏥やけが人😵が多い。
ならば、医師🏥を送ればいい、
白衣の医師🏥の方が、軍服を着た軍人よりも、はるかに歓迎💕されます」
と言う。😊
なるほど🌟と思っていると、彼は続けた。
「次に必要なのは、カンボジアの産業🏭の復興🌸です。
カンボジアの産業は農業🌲で、日本🇯🇵と同じ水田🍚耕作です。
日本の農民🍀を派遣して、反当たり収穫世界一👑の日本の農業🍀技術🔧を教えればいい。
そうすればカンボジアのすべての田に稲がたわわに実り🌸、だれもが食べられる🍚ようになる。
飯🍚を食えれば、戦争💢なんかしませんよ。
その次は、カンボジアの将来✨です。
将来を決めるのは教育🌸です。
先生🍀を派遣して、世界に優れた日本🇯🇵の教育を伝えればいい🎵」
私は驚いた。😵
確かにそうすれば感謝🌸されるだろうし、
日本国内でだれも反対✋しないだろう。
間髪⚡️入れずにこうしたアイディア🌟が出せるのは、
日ごろから、相手の立場に立った国際貢献🌸をしてきたからだ。
カンボジア派兵にあたっての議論で、こうした案が日本の市民サイドから出て、世論の支持✊を得ていれば、
派兵よりも民間支援🌸が優先✨されたかもしれない。😊🎵
(「凛とした小国」伊藤千尋さんより)