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☀️🍀積極的平和🍀☀️

2018-05-11 23:21:17 | お話
☀️🍀積極的平和🍀☀️


それは、本当の積極的🌸平和☀️を政策🏤としたからだ。

1980年、当時のカラソ大統領👑は人類に「理解🌟と寛容🌸、平和共存☀️」の精神⚡️を広めようと、

国連🌈平和大学🏫の創立を国連に提案🎵し、設立🍀された。

コスタリカには首都サンホセ郊外の敷地🍀を提供🌸し、

今も日本🇯🇵を含む世界中から学生🏫が来て、

世界が平和☀️になるには、どうしたらいいか🎵を学んでいる。

日本人🇯🇵の教授🌸もいる。

中南米は、中米、南米、カリブ海の3地域に分かれ、

コスタリカは南米ある。

1980年代、中米では3つの国が内戦💥をした。

コスタリカに隣接するニカラグア、そしてエルサルバドルとグアテマラだ。

中米紛争💢と呼ばれる。

このとき米国のレーガン大統領🇺🇸はコスタリカに飛行場✈️の建設援助🌸を申し出た。

米国🇺🇸が支援するニカラグアの右派ゲリラ💀に使わせようとしたのだ。

当時のコスタリカのモンヘ大統領👑はきっぱり⚡️と断った🚫✋。

さらに1983年、「永世、積極的、非武装、中立」を宣言🎤🎵した。

コスタリカが国際紛争💢に巻き込まれないだけでなく、

超大国の米国🇺🇸からも自立した外交を進めることを明確🌟にしたのだ。

さらに1986年の選挙で当選🌟したアリアス大統領👑は、戦争をしているこの3つの国をまわって🔄対話🎵を説き、

内戦💣💢を終わらせる道🍀をつけた。

その功績で彼は1987年、ノーベル平和賞👑受賞した。

彼が進めたのは「平和☀️の輸出🚢」である。

平和憲法☀️を持つ国は、自分の国だけではなく周囲を、

さらに世界🌎を、平和☀️にする責任🍀があるという考え方だ。😊🎵


アリアス氏は大統領👑に就任した直後、国連🌈総会🏢でこう演説🎤した。

「私は、武器🔫を持たない国から来ました。

私たちの国の子供たちは戦車を見たことがありません。😊

武装したヘリコプター🚁や軍艦どころか、銃🔫でさえ見たことがありません」

「私は、小国ながら民主主義🌸の歴史を誇る国からやってきました。😊

私たちの国では、男の子も女の子も、弾圧💢というものを知りません」

と。


私は、彼を日本🇯🇵に招いたことがある。

1995年に朝日新聞📰が主催したシンポジウム🎤のパネリストになってもらったのだ。

そのさい、壇上で彼が語った🎤のは

「私たちにとって、最も良い防衛手段は、防衛手段を持たないことだ😊」

という言葉🍀だ。

名言✨ではないか。

その3年前、日本🇯🇵の自衛隊が初めてカンボジアに海外派遣🌸された。

成田空港に着いたから迎えに行った私は、都内に向かう車🚙の中で彼の意見を聞いた👂。

アリアス氏は、

「日本🇯🇵は国際貢献の美名で、自衛隊を派遣🌸したが、

どんな美辞麗句を用いても、

軍服を着た人が行けば、必ず現地の人から嫌われる。😵

それよりも、もっと日本🇯🇵らしい貢献の仕方があるでしょう。🎵

カンボジアは、これまで内戦💢を続け病人🏥やけが人😵が多い。

ならば、医師🏥を送ればいい、

白衣の医師🏥の方が、軍服を着た軍人よりも、はるかに歓迎💕されます」

と言う。😊

なるほど🌟と思っていると、彼は続けた。

「次に必要なのは、カンボジアの産業🏭の復興🌸です。

カンボジアの産業は農業🌲で、日本🇯🇵と同じ水田🍚耕作です。

日本の農民🍀を派遣して、反当たり収穫世界一👑の日本の農業🍀技術🔧を教えればいい。

そうすればカンボジアのすべての田に稲がたわわに実り🌸、だれもが食べられる🍚ようになる。

飯🍚を食えれば、戦争💢なんかしませんよ。

その次は、カンボジアの将来✨です。

将来を決めるのは教育🌸です。

先生🍀を派遣して、世界に優れた日本🇯🇵の教育を伝えればいい🎵」


私は驚いた。😵

確かにそうすれば感謝🌸されるだろうし、

日本国内でだれも反対✋しないだろう。

間髪⚡️入れずにこうしたアイディア🌟が出せるのは、

日ごろから、相手の立場に立った国際貢献🌸をしてきたからだ。

カンボジア派兵にあたっての議論で、こうした案が日本の市民サイドから出て、世論の支持✊を得ていれば、

派兵よりも民間支援🌸が優先✨されたかもしれない。😊🎵


(「凛とした小国」伊藤千尋さんより)