hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

🌸🌸幸田露伴(こうだ ろはん)🌸🌸

2018-05-31 22:49:23 | お話
🌸🌸幸田露伴(こうだ ろはん)🌸🌸


イギリス🇬🇧の哲学者バートランド・ラッセルは、その著書📖『幸福論』において、

「親になることは、人生最大の幸福💕である」

と説いている。

子供👶が生まれる、その成長🍀の過程で親🌸は様々なことを教えられる。😊

無邪気な表情😊、思いがけない言動🎵、その一挙手✋一投足👟から、気づかされ、

学ばされることは限りない。😊

一人の息子を育てた経験🌸に照らして言うならば、

父と子の関係は、必ずしも親の側から一方的⚡️に教えるだけの関係🌸ではない。

教え、教えられる関係こそが理想的🌈であり、

我が子とそういう関係を築いてこそ、父親としての幸福💕も見出せることを私は実感💓している。

もちろん父と子の向き合い方は様々である。🌟

そこでここでは、人々を感動💓させる偉大👑な業績を残した偉人の生い立ちを通じて、父と子の様々な関係🍀について考えてみたい。


最初に取り上げたいのは、幸田露伴🌸(こうだろはん)と娘の文(あや)である。

この父子👨👧に触れる際に特筆📝すべきは、

物心💓ついた頃から最後に親を看取る😇まで、

子供が父親の生涯🍀を詳細に記録📝していることである。

しかも単なる記録📝ではなく、優れた文学作品📖となっており、

このようなケースは世界中🌎探して👀も見当たらない。😊

親の一番の幸せ💕は、我が子が自分の伝記📖を書いてくれることだという言葉🍀もあるが、

露伴(ろはん)と文(あや)は、いかにしてこうした親子関係🌸を築いたのだろうか。😊☀️


幸田露伴🌸は、いうまでもなく文化勲章👑を受賞した日本🇯🇵の文豪である。

彼の娘に対する願いは、「文」という名を与えたところからも明らか☀️であり、

一貫して、その命名に背かない教育🍀を施した。

例えば、露伴は自ら選んだオリジナル百人一首🎵を、文がまだ6歳の頃から毎日一首🌸ずつ覚えさせた。

朝食の後、露伴がその日の和歌🎵を三度詠み、それを翌朝までに暗記🌀させるのである。

幼い文には随分苦痛😵であったようだが、

それでも露伴から教わった和歌🎵は心💓の中にしっかりと刻み込まれ⚡️、彼女の人生🍀を支え続けた。✊

例えば、

「狭井河(さいがわ)よ 雲立ちわたり
畝火山(うねびやま) 木の葉 騒(さや)ぎぬ 風吹かむとす」

という『古事記』の歌🎵について、文は、

「いい歌だ💕。父の前では声🎵にならなかったこの歌が、

後年、やがて知る自分相応の浪風🌊の折々、幾度くりかえして高く口ずさまれたか、

父もおそらくは知るまい😊」

と、父親への感謝🌸がうかがえる一文を自著📝に記している。

さすがは露伴🌸というべきであろう。


露伴の実践した教育法🌸は
「口移し👄」といい、

まず自分が詠んで🎵みせ、それを真似させるところに特徴🌸がある。

学ぶは、 "真似ぶ" にも通じており、真似ることから入るのは教育🍀の基本🌟である。

たとえその時は理解🌟できなくとも、父の真似をして詠んで🎵いるうちに、

和歌🎵の心地よいリズム🎶が、幼い文の心💓の奥に快感💕を伴って刻み込まれた⚡️のだろう。


露伴が文に施した教育🍀にはもう一つ、家事🌸があった。

これは露伴自身が貧しい家🏠の出で、幼い頃から家事🌸を分担して親を助けて💕いたこと。

それから、露伴が文を授かった後に妻を亡くし😇、迎えた後妻🌸が裕福な家の出で、

家事が一切できなかった😵ことを快く思わなかったことが背景☁️にあった。

露伴は文に対し、

「お前は、赤貧(せきひん)洗うがごときうちへ、嫁にやるつもりだ」

と宣言🌟し、当時の良家の子女の基本的稽古事であった茶の湯🍵や生け花💐などは習わせずに、✋

自ら家事🌸全般を文に仕込んだ✊のである。

家事に精進していた露伴🌸は、文に対して

米🍙のとぎ方から、魚🐟のおろし方、部屋の掃除💨の仕方、雑巾の絞り方、

箒(ほうき)の持ち方、薪(まき)割りまで、伝授🌟した。

何事につけ、きちん✨と教えるのが露伴のやり方で、

はたきは、天井から順番に下に向かって使うこと、🎵

曲がった箒は、お湯♨️に浸けて真っ直ぐに伸ばしてから使うこと、🎵

雑巾を絞る際には、水がこぼれないよう、バケツに入れる水💧は七分目くらいに止めること⚠️🎵など、

細部にわたり具体的🌸であった。

それも単に口👄で教えるのではなく、

まず自らがやって見せ🌟、どうやればよいかを理解🌟させた上で

娘にやらせるのが露伴🌸の流儀✨であった。😊🎵


福沢諭吉は、

「家庭🌸は習慣の学校🏫であり、父母は習慣🍀の教師🌸である。

しかも、この習慣の学校🏫は、教育を行う学校🏫よりも、はるかに力✊があり、極めて大きな効果🌸を与える」

と説いている。😊🎵

露伴は、まさにこの心理を実践☀️して、文を立派✨に育てあげたのである。😊


露伴の教育姿勢🌸で、もう一つ興味深いのは、

自分の言うことに、文がただ盲目的😵に従うのを、よしとしなかった、ことである。☀️

不服に思うようなら、きちんと反論💢し、納得✊した上で従うべきだと🎵いうのが露伴🌸の考えであった。

後年、文は露伴から和歌🎵の指導を受けることを拒絶🚫した時があった。

親としては、癪(しゃく)に障(さわ)るところだが、

露伴は逆にその態度🌸を評価🌟した。

我が子には、理不尽なことに盲目的に従うような人間🍀になってほしくない✊という思いと同時🌟に、

親から子へただ一方的⚡️に命令⚡️するのではなく、

対等🍀に向き合いる親子関係🌸を築きたいという願い🙏があったのだと私は思う。😊🎵

そうした露伴の思いが通じ、先述のとおり文は後年、露伴について記した文学作品📖を多数ものにした。🌟

その文面からは、父親の深い敬愛💓の念💓がうかがえる。

あの世で、文の作品を手にしながら目を細める😊露伴の顔が、浮かぶようである。😊🎵🌟


(「致知」六月号 木原武一さんより)