hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

因果をつくらない

2018-05-22 19:36:50 | ひとりさん
因果をつくらない


何か嫌なことがあるっていうのはね、前世に自分が同じことをやった現れなんだよね。

私だってね、納税日本一になっただけで妬まれることがあります。

それは多分、私が江戸時代に越後屋(江戸で1番といわれた呉服屋)を悪く言ってたんだね(笑)。

越後屋は、朝から顔晴ってたのに(一人さんは「がんばる」をこう書きます)、
よく知らないで、
「あいつは悪いことをやっているに違いない。

悪いことをしなければ、あんなに儲かるわけがない」
とかって言って、人が顔晴っているのを認めなかったのかもしれない(笑)。

逆にね、悪いことをやり続けて、会社が大きくなるなんてことはないんだよね。

悪いことをして、何十年も儲け続けることなんてできるわけがありません。

どの時代にも、法律ってあるんです。

法律を犯しながら成功するなんてことはできないし、
もし一時は成功したとしても、そんなことを何十年もやれるわけがない。

だから、何代も栄え続けている家というのは、悪いことなんてしようもないん
だよね。

そのことすら考えないで悪口を言ったりすると、
それが来世とか、その次に生まれ変わったりしたときとかに出てくるんです。

人の悪口を言う人ってね、悪口を言っても言わなくても、自分の人生に影響がないと思っているんだよ。

で、言ったらスッキリすると思っているわけ。

まさか、そのことが自分に不幸を呼び寄せてるとは思っていないんです。

もし、だれかに嫌なこと言われたとしたら、
それは自分が昔言ったことの因果が出てきてるってことです。

だけど、今こうして理解したことによって、昔の因果は消えていくんだよ。

でね、来世とかその先で嫌な思いをしたくないんだったら、
今世で因果を作らなきゃいいんです。


(「斎藤一人 俺の人生」斎藤一人さんより)

人生は神の道です

2018-05-20 15:59:38 | ひとりさん
人生は神の道です


一人さんってね、商品を開発するための研究やなんかは全然してないんです。

それなのに、ほかの人が莫大な研究費をかけても開発できないような商品を作り出すことができるんです。

じゃぁ、どうやって商品ができるんですかっていえば、
突然
「これとこれを混ぜて、こんな商品を作ってみな」
っていう、神様のアドバイスがいただけるの。

自分で考えただけでは絶対にできないような、すばらしいアイデアがひらめくわけです。

で、そのひらめき通りに作ってみたら、
ものすごい商品ができた…っていうのが、うちの会社の商品です。

すごく不思議な話ですから、
これを信じる・信じないっていうのは皆さんの自由なのですが、
とにかく私にとっては紛れもない事実なんです。

これまで、ずうっとそうやっていろんな商品を作り出してきました。

どうして一人さんにはそんな不思議な出来事が起こるんですかっていえば、
私は子どもの時から、神の道を歩いてきたからです。

神の道を行くって、別に特別なことじゃないんですよ。

神様に好かれるような、味方してもらえるような生き方をすればいい。

だれにもできます。

そうすると、幸せになるようなことがたくさん起きるんだよね。

一人さんの場合だと、商売で成功して納税日本一やっぱり、
素晴らしい仲間に恵まれたり、
何十年にもわたって次から次にアイデアが湧いてきたり。

自分に必要なものは、惜しみなく与えられるんです。

この世には神がいます。

神様ってね、みんなが思っているより楽しい人だし、笑顔も多い、
愛にあふれている人なんです。

そして、神の愛が物質化されたものが、物になります。

だから、すべてのものは、
神の愛でできているんだよ。

その中で、人間だけが自由意志を持っている。

私たちの存在は、自由意志を持った神の愛なんです。

で、自分の神のエネルギーの通り道だとすると、
本来は言葉だろうが表情だろうが、自分の中から神の愛が出なくちゃいけない。

それが出てないときは、おかしいときなんだよね。

苦労したり、嫌なことがあり、人とぶつかったりすることがあります。

それってね、必ず自分から愛が出てないの。

相手が嫌なことを言おうが何をしようが、関係ありません。

自分は愛の通り道だから、
相手がどうであろうと、愛に関することしか言っちゃいけないんだよ。

それができていると、
世間も味方してくれるし、神も味方してくれるようになります。

神が味方してくれるとどうなるんですかっていえば、
神の最高のアイディアから何から全部持ってるから、
それをくれるんだよね。

だから、私たちは神がくれたそのアイデアで勝負すればいいんです。


(「斎藤一人 俺の人生」斎藤一人さんより)

悟りの四つの型

2018-05-19 18:14:09 | 伝統的考え方
悟りの四つの型


臨済禅師の語録である『臨済録』には、「四料揀(しりょうけん)」と呼ばれる独自の考えがある。

師、晩参(ばんさん)、衆に示して曰く、

「ある時は奪人不奪境(だつにんふだっきょう)、

ある時は奪境不奪人(だっきょうふだつにん)、

ある時は人境倶奪(にんきょうぐだつ)、

ある時は人境倶不奪(にんきょうぐふだつ)」。

と原文には簡単に臨済禅師の言葉が記されている。

四つの料揀(りょうけん)だが、
料ははかること、揀は選ぶこと、
四つの悟りの型といっていい。

臨済禅師の教えの1つに、
「随処(ずいしょ)に主となる」
というのがある。

どんな所でも自らの主体性を持てという意である。

主体性を実際にどうはたかせていくか、
そこに四通の型を臨済禅師は説かれたのだと受け止めている。

数学的には難しい問題である。

そもそもこの「四料揀」自体が、臨済禅師が直接解かれたものではなく、
後世につけられたという説もある。

しかしながら、ここでは、あまり難しく詮索するよりも、
お互いの人生を歩んでゆく道において、
そのよすがになるものとして学んでみたい。

あえて人間学的に学んでみようと試みる。

要は、人と境との関わりに四通があるということだ。

人とは主観であり、境とは客観である。

人は自分であり、境は外の世界だ。

お互いの生活は、この人と境との入り組みにすぎない。

自分と外の世界との関わり合いしか、ありはしない。

その自分と外の世界との関係を、臨済禅師は四つに分けられたのだ。

第一の、
「奪人不奪境(だつにんふだっきょう)」は主体を奪い、客体を奪わないという。

自分が無くなって外の世界だけになり切ることだ。

第二の、
「奪境不奪人(だっきょうふだつにん)」とは客体を奪い、主体を奪わない、
外の世界が無くなり自分だけになることだ。

この時、自分だけの天下になる。

第三の、
「人境倶奪(にんきょうぐだつ)」とは主体も客体もともに奪う。

自分も外の世界もともに無くなるのである。

第四の、
「任人境倶不奪(にんきょうぐふだつ)」とは、主体と客体ともに奪わない、
自分も外の世界もそれぞれがおもうがまま自由に振る舞うのである。


我々修行道場では、迷い苦しみ世界から脱しようと日夜修行に励んでいる。

毎年春になれば、大学を出たばかりの青年修行僧が、修行道場の門を叩く。
今も昔ながらの生活を守り、畑を耕し、薪わ割り、薪で煮炊きをして坐禅修行に励んでいる。

この修行の道に、四つの型を当てはめて考察してみよう。

修行道場に入門するには、まず第一の「奪人不奪境(だつにんふだっきょう)」が課せられる。
まず自分を完全に否定される。

今まで積み上げてきたつもりの自分というものを完膚なきまでに叩き壊してしまう。

入門にはに庭詰(にわづめ)といって、
玄関に二日間も頭を下げ続けることを課す。

これは今まで学んだもの、積み上げてきたものをすべて奪い取るのだ。

そして入門すれば、毎日毎日叱られ続けて、自分を完全に奪われ、無くしていく。

これが修行の大事なところで、教育でも同じことかと思われる。

初めから好きにどうぞと言っていたならば、わがままになるだけであろう。

まずは徹底して自分を否定し、修行道場なら道場の規則に、その伝統にはまり込むこと、
それこそ「奪人不奪境」であろう。


しかし、それだけで終わるのであれば、実に主体性の無い人間になってしまう。

規則通りにしか行動できなくなってしまう。

そこで次の、「奪境不奪人(だっきょうふだつにん)」がある。

私自身も道場に入門した頃に、ご指導いただいた老師から言われたことがある。

「今はまだ新入りで、座禅堂の中でも隅っこに座らされ、

毎日毎日先輩から叱られ通しであろうが、

座禅堂の座布団の上に座ったら、

たとえ隅っこで座っていても、

天下の主になったと思って座れ。

隅っこで小さくなって座ったらいけない」

と教えられて、大いに感動したことであった。

たしかに、どんな新人りであろうが、座布団にどんと座ったら、天下の主だ。


居眠りをしたら警策(けいさく)という棒で打たれるが、
しっかり座ってさえいれば、誰も指一本触れられはしない。

外の世界も、煩瑣(はんさ)な規則もない「天地の中に我一人」の世界だ。


しかしながら、そんなところにとどまっていては、
わがままな鼻持ちならぬ禅僧になってしまう。

それでは自由が効かない。

さらに12月に、臘八大摂心(ろうはつおおせつしん)という1週間を通して横にならずに座り抜く修行をする。
そこで自分も、外の世界もともに無くなったところを経験する。

臘八の摂心をやっていると、座禅堂も外の世界もありはしない、
座っている自分すら無くなってしまう、
「人境倶奪(にんきょうぐだつ)」の世界だ。

「我も無く 人もなければ 大虚空 ただ一枚の 姿なりけり」
と古人は詠っている。

この世界があるから、禅は尊い。

この人境ともに奪いきるところは、禅の修行の醍醐味であろう。

この世界があるから、禅は強い。

無に徹した者ほど強いものはない。

そして、それで終わるのではない。


最後には、「任人境倶不奪(にんきょうぐふだつ)」。

人も境ともに奪わずに活かす世界が開かれる。

修行道場で言えば、臘八の大摂心を終えれば、お風呂で背中を流し合う。

時には無礼講となって、お互い語り合って認め合う世界がある。

これがあるから、座禅堂で同じ釜の飯をいただいた者同士は、いつまでたっても、親しい間柄でいることができる。

道場の修行にはこの四料揀がきちんと具(そな)わっている。


実社会でも同じことが言えるのではないだろうか。

初めはやはり、「奪人不奪境」だろう。

自分を否定して、会社なり組織なり、その規則や習慣をひたすら身に付けねばなるまい。

初めから自分を認めて好きにするわけにはいかないであろう。

しかし、自己否定だけではいけない。

次には必ず、「奪境不奪人」であって、
大いにその人を認めて力を出させてあげることだ。


その人ならではの力を認めてあげて、引き出してあげる場を作ることが大事だろう。

否定の次は肯定である。

肯定されて終わっては、いい気になって増上慢(ぞうじょうまん)になってしまいかねない。

それでは、それ以上成長しない。

さらに、「人境倶奪」であって、
何か1つのことに打ち込んで、
自分も外の世界も一切忘れ去る世界を持つことだ。

一人山に登るのもよかろう。

広い道を汗を流して走るのもよかろう。

仕事に関係のない本を読みふけって我を忘れることもよかろう。

会社や組織のことも、自分すらも忘れる世界だ。

これがあると強くなれる。
そして最後が、「人境倶不奪」だ。


自分も生かし、会社や組織も生かしていく世界だ。

自分も心から楽しみながら、会社も栄えてゆくという理想の世界である。

要は、自己否定だけでもダメであり、
肯定するばかりでも行きづまるのだ。

臨済禅師はこの四つの型を説かれた。
四通りを自由に活用すればいい。

たとい自己を否定されて落ち込んだとしても、
今はそういう時なのだ、また肯定される時がくると思えば耐えられよう。

そして、
今は自己否定の時だ、
今は己を活かす時だ、
今は我も世界も忘れよう、
今は自分も社会もともに生かそうと、

それぞれの場に応じて自由に活動できれば、
もっと道を楽しんでゆけるであろう。

四料揀に学ぶものは大きい。


(「致知」六月号 横田南嶺さんより)

☀️☀️平和の概念☀️☀️

2018-05-18 20:08:31 | お話
☀️☀️平和の概念☀️☀️


町の書店🏠で教科書📖を探すと、日本🇯🇵の中学2年🏫にあたる公民🏤の教科書があった。

第二章は「コスタリカ 自由🍀の祖国」と言うタイトル😊だ。

いきなり「テーマについて調べてみよう💕」という項目があり、

「『平和とは、戦争🔫💣がない状態ではない』

と言われるのは何故でしょうか?」

と書いてある。

平和学☀️の概念☁️について、きちんと教える🍀のだ。

そのあとに

「平和☀️とは理想🌸、希求💓する心からなるものであり、

それを実現🌟するためには、

個人がそれぞれの平和☀️を確立✊することが必要です」

と書いてある。😊🎵


平和☀️とは

「すでにある」

状態ではなく

「これから創る🍀」

ものだという平和学☀️に基づく発想🌟が基本🍀にある。

そして平和☀️の出発点🌟は、

国🗾や社会🌇ではなく、

一人ひとりの人間🍀が、平穏💕に暮らせることである✊と説く。🌟


平和教育🍀について、パルガス先生はこう語る。

「平和☀️とは、ただ戦争💣がないだけを指すのではありません。😊

周りの人々と力を合わせ✊平等で健康な環境🍀のもとで、

共に生きていく🌸ことが平和☀️です。

コスタリカの学校🏫では、まず自分自身の平和☀️をどう築くか😊を学び✊ます。

何か葛藤💢を持っていても、

それをポジティブ🌈に使えるようにします。😊

自分が平和☀️でないと、

他人に平和☀️を与えられません。😊

まず、自分を平和☀️にするのです😊」


「次に、他人を平和☀️にすること。

それには、相手の権利🌸を尊重👑することが必要☀️です。

自分の存在✨が、周りにメリット🌟があるようにするのが、

平和☀️の基礎🍀です。

人はだれでも、自分たちが住んでいる世界🌇に対する責任🌸があります。

すべての人々に、善🌸をもたらすことが必要☀️です」


「たとえば、気候変動⛅️↕️です。

私たちの行動の結果🌸が気候⛅️に影響🌚します。

それが自分に跳ね返って↩️きます。

私たちは1人ではなく、つながり合って生きて🍀います。

すべての生き物と調和🌈し、自分の責任🍀を感じ💓ながら、

守るべきことは守らなければなりません。😊✊

共生する地域が広がれば、

より大きな未来✨を創る🌸ことができます。

子供がよくなる🎵ことで、

次世代🌈、未来✨がよくなります」😊🎵


(「凛とした小国」伊藤千尋さんより)


🌸話題の女子高生🌸

2018-05-16 14:32:16 | お話
話題の女子高生


最近、あるメキシコの女子高生がニュースになったのをご存知ですか?
その女子高生の名前は、グアダルーペ・パラシオスさん。

メキシコ南部チアパス州の公立高校に通い、クラスでは、「ドナ・ルピタ(ルピタさん)」という愛称で呼ばれる人気者です。

授業中では熱心にノートを取り、ダンスの授業でも活躍する頑張り屋の生徒なんだとか。

フランスの通信社「AFP」の記事によると、先月4月16日、グアダルーペさんは制服の白いポロシャツと黒のスカートで初登校。

上からピンクのカーディガンを羽織って自分らしさを出したそうです。
これだけ切り取ると、ごくあふれありふれた高校生の入学風景に思います。

でも、実はグアダルーペさん、
御年96歳。

誰よりも年上の女子高生だったのです。

貧しい家庭に育った彼女は、家の畑の手伝いに明け暮れる子供時代を過ごし、学校には通えませんでした。

成人後は市場で商売をし、計算はできるようになりましたが、
読み書きを学ぶ機会はなかったそうです。

そこで92歳の時、一念発起して読み書きの講座を受講。
しかも、そこで歩みを止めません。

さらに小学校の成人向けコースに申し込み、
4年足らずで中学校の過程まで修了してしまいます。

その後、普通の公立高校に入学し、80歳年下のクラスメイトたちから拍手で迎えられたのでした。


「今ならボーイフレンドに手紙も書けるわ」
と笑顔で話す姿が素敵がグアダルーペさん。

「すごいなぁ」と思わず声に出してしまったのは、記事の最後の一文です。

「そんなパラシオさんは、既に高校卒業の先を見据えている。

100歳の誕生日までに卒業し、

いつの日か、幼稚園の先生になることが夢だそうだ」


ちなみに、ブルーブルガリアでも76歳の男性が小学校に入学していたり、

オーストラリアの大学では97歳という史上最高齢で4つ目の修士号を取った男性がいるそうです。

その話を聞くたび
「学ぶことに年齢は関係ないんだ」
とあらめて感じます。

昨年本誌に掲載された脳神経外科・上田孝先生いわく、
人間の脳神経細胞には、ものすごい「可塑性」があるのです。

形を変えられる粘土のように、脳のも刺激を与えるほど、できることが増えていきます。
その上、何歳になってもその勢いは衰えないといいます。

私も今まで勉強してなかった事や「今からじや遅いな」と思っていた事に挑戦してみたくなり、
その一歩になりそうな講座に応募してみました。

ドキドキしながら結果待ちです。


(「みやざき中央新聞」H30.5.14 取材ノート野中さんより)