花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

続 「義経記」   (抄文・抄訳)

2005-07-31 | 鎌倉の四季
     ▲前編▲

 [第一巻]

■{兄弟姉妹} 義平 朝長 頼朝 義門(早世) 稀義 範頼 阿野全成
(今若) 義円(乙若) 義経 八田知家 女子 女子の12人。其の他常盤と
清盛の間に能子 常盤と一条大蔵卿の間に男子 女子の計15人。

■{常盤御前} 久安6年藤原呈子が近衛天皇の皇后となった時雑仕女として
仕えました。

■{義経の生年} 平治2年襁緥の中に有って父の喪に遭いました。

■{義経の出生地} 諸説あり 現在の京都市北区紫竹牛若町。他に紫野付近。
常盤の母の住居楊梅町。

■{鞍馬寺} 鞍馬弘教(くらまこうきょう)の総本山で、7歳で入山し禅林坊
覚日に弟子入りす。武術鍛錬をした僧正ヶ谷は寺の西北1キロ奥の谷で、貴船
神社の近く。(僧正ヶ谷にて 天狗と毎夜兵法を習ったので早足・飛越えの術は
人間の業とも思えないほどだった)とあります。

■{義経が出自を知った経緯} 自分が「清和天皇の末裔八幡太郎義家の四代
の孫、左馬頭義朝の末っ子」と知ったのは11歳の時。家々の系図、日記など
を見て自分の出自を知り、復讐を志したとあります。(愛知県知多郡美浜町の
大御堂寺境内に宝篋印塔の義朝の墓があり家臣によって知らされた。)

■{金売吉次} 毎年陸奥に下る金商人の吉次。「吾を奥州に連れてゆけば、
縁者から金二三十両を貰ってやる」と、遮那王から頼んだとあります。

    上記のように箇条書きで、もう少し詳細に記されています。

             (第二巻以降は後日に續きます)


    写真:金沢文庫からトンネルにて金沢北条氏の菩提寺(称名寺)へ。