花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 田楽辻子界隈を辿って

2006-03-11 | 鎌倉の四季

★金沢街道の南に並行するように【田楽辻子】と呼ばれる路があります。
北条高時の頃、京・鎌倉ともに田楽が盛んで、田楽法師たちが住む地域を田楽辻子(でんがくずし)と呼んだそうです。
今では閑静な住宅地になっています。

★其の一廓に頼朝が建立した三大寺院の一つ【勝長寿院】阿弥陀山と号した 父義朝の寺院跡があります。そして其の傍らに実朝の火葬された遺体も葬られたと伝えられています。

★「吾妻鏡」に、北条泰時が父義時の冥福を祈るための釈迦堂が一周忌に完成したと記されています。
【釈迦堂切通し】はこのお堂に因んだものと思われますが、明確な事は不明です。
ただ 本尊の釈迦如来像は現在、東京都目黒区行人坂の大円寺に所蔵され、国の重文になっている事が判っています。

★梅の美しい寺院として知られている【浄妙寺】に向いましたが白梅が少し遅かったようです。
鎌倉五山 第五位で頼朝・政子の頃は、七堂伽藍のある大寺院でしたが火災などで衰退しました。足利尊氏の父貞氏が開基。其の墓と伝えられる宝篋印塔があります。
現在は後方にある石窯ガーデンテラスも人気です。(http://www.ishigama.info/)

【勝長壽院】


【釈迦堂切通し】


【浄妙寺山門】


★鎌倉最古の寺とされる杉本寺へ。天平6年(734年)行基菩薩の開創と伝えられています。
大蔵観音・杉本観音とも言われ十一面観音像3体が本尊ですが、行基・円仁・源信
宅間法眼・運慶等の作として多数の仏像が所狭しと林立しておられました。
境内の【六地蔵】は触れることの出来た信仰として今に伝わっています。

★最後に報国寺へ。開基は尊氏の祖父足利家時。竹の寺として有名です。
「足利家置文の事」として、先祖の源義家が「七代の子孫に生まれ変わって天下を取る」と書き残した置文があり、七代目に当たる家時は到底達成できないとて「我が命を短めて、三代の内に天下を取らしめ給え」と 八幡大菩薩に願文を残して自殺しました。三代目は尊氏にあたります。
前庭も後庭も実に美しく整えられていますが【奥にやぐらがあり家時と義久の墳墓】と伝えられています。

     【六地蔵】
     

     【報国寺のやぐら】