花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

深緑の鎌倉古道

2006-07-06 | 鎌倉の四季
                 【大巧寺の牡丹クサギ】

今回は鎌倉の東端に位置する十二所からの探訪でした。

木々に囲まれた静謐な光蝕寺(こうそくじ)の開祖は一遍上人。
ご本尊の阿弥陀三尊は重文で『頬焼阿弥陀縁起』として伝えられています。
堂内は梁が華やかに彩色されていて、金細工の天蓋や幢幡も美しく 釘隠しは金色の菊花。
寺名の額は『後醍醐天皇の直筆』と言う説明でした。(写真は不可)

このお寺には もう一つ『塩嘗地蔵』の話が語り継がれています。

【一遍上人】【塩嘗め地蔵】
     
     

お寺を辞してからは滑川に沿って並ぶ静かな家並みを抜けると、次第に勾配が出てきて山道になっていました。石像が一箇所に集められ草生していましたが、調査途中で放棄したものにも出くわしました。

【梶原太刀洗い水】 東国の豪族々長で、不遜な振る舞いの多い平広常を謀反を口実に、頼朝は梶原景時に命じて誅殺致しました。
景時は広常の屋敷で双六をしながら、隙を見て突然に飛び掛りその首を討ち 血刀をこの水で洗ったと言い伝えられています。今は鎌倉五名水の一つです。
     

【朝夷奈切通】 普通「朝比奈切通」と呼ばれていて、鎌倉と六浦を結ぶ重要な古道です。武州金沢の六浦ノ湊に船荷が揚げられていました。六浦は鎌倉人の遊覧地、或いは貴重な塩の産地であり、海外からの物資収集の港でした。往来も繁く 又 危急の際には房総への脱出路となりました。軍事的・経済的な要路だったのです。そして今では横浜市との境界線上に位置しています。



【熊野神社神域】 切通から下り坂になり鎌倉開府と時を一にして、守護神として熊野三社大明神を勧請、鎌倉の鬼門鎮護と伝えられて鎌倉七つ口の中、最も高く険阻な路を通って高速道路を潜り、横浜市金沢区大道の見慣れた場所が終点でした。