花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

カミーユ・クローデル 展

2006-08-03 | 美術館

只今 広大な府中の森公園の一廓にある美術館で開催されています。
「世紀末パリに生きた天才女性彫刻家」 として。

【カミーユ・クローデル】


私が彼女を知るキッカケは、1996年 Bunkamura ザ・ミュージアムに於ける
Camille CLAUDEL展で「運命に接吻された女」「ロダンとの愛と葛藤に命を刻んだ女性彫刻家」と紹介されて心惹かれたためでした。
同名の映画も上映され 分厚い本(弟ポールの孫に依る出版)も読んで、わたしの胸に畳まれたのです。

今回62点の ブロンズ・大理石・絵・手紙・写真が展示され、私は2時間も掛けて見ていた事に気付きました。
又もや深い思いを寄せてしまったのでした。
彫刻を見ながら 彼女の心の動きを追ってみることに致しましょう。

【オーギュスト・ロダンの胸像(1888~89):卒業制作】
17歳で私立の美術学校であるアカデミー・コラロッシュに通い、オーギュスト・ロダンのアトリエで働きながら学んでゆきました。多くの人々の中でしたが二人は師弟だけに止まりませんでした。彼女はモデル・愛人・有能な助手となり、二人の作品には共通した要素が多く見られました。


【幼い女城主 霊感を受けた少女 凝視(1893年):自刻像でしょうか】
          

【ワルツ(1895年):楽しい時代】
          

【分別盛り(1898年):ロダンとの決別】
ロダンにはローズと言う内妻と息子がいました。ローズが病に倒れ「ローズかカミーユか」の選択にロダンは決断が出来ませんでした。彼女はロダンの元を去るのです。
この彫刻はローズを老婆にし カミーユの哀願からロダンを引き離しています。
彼女は30歳。すっかり疲れきっていました。


【炉端の夢(1899年):一人で生きてゆく】
ロダンの影響を脱しようと独自の作風を模索し室内彫刻へと向おうとしました。
          

【心からの信頼(1905年):見果てぬ夢 彼女の理想の愛の形】
心に残る虚しさともどかしい愛は、作品への執念となって彼女の魂までも焼き尽くさんばかり。幸福を男女関係や人間関係の中よりも創造のなかに追及しようとするあまり、認められたいと言う欲求は増し、次第に精神のバランスを失ってゆきます。
常に支援してくれた父が亡くなった直後、カミーユは弟ポールの指示により強制的に精神病院に入院。死ぬまでの30年間 退院する事はありませんでした。
・・・チケットの中の男女の彫像 等身大の全身像は圧巻です・・・

【ロダン作 『フランス』(1904年):ロダンのカミーユを見つめる目】
ロダンにとっては永遠に若く生き続けるカミーユのイメージがありました。



ロダン作の6人の群像『カレーの市民』は、その1体はカミーユの制作であり、その貢献への返礼の献辞が展示されています。
『Jean d'Aire(un bourgeois de Calais)』