花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉の史跡めぐり 『江ノ島』

2007-09-12 | 鎌倉の四季
             【瑞心門を潜り 江島神社御祭神巡りのはじまり】

今回 『小泉八雲が見た明治の江ノ島』 と言う企画に参加してまいりました。 

アメリカでジャーナリストとして活躍していたラフカディオ・ハーンは明治23年4月4日雑誌社の記者として横浜に上陸しました。
横浜から大船まで汽車に乗り人力車を雇い、鎌倉から江ノ島までの紀行文を記して「何もかもが言いようも無く愉快でならない」と書き出しています。鎌倉の寺院(割愛)は長谷寺を最後に海岸に出ます。「樹木に覆われた島」が海上に見えた時あれが「江ノ島だ!」

 『知られざる 日本の面影 江ノ島行脚 小泉八雲』著 昭和30年発刊   みすず書房より

小泉八雲の「江ノ島行脚」に沿って、私たちも歩を進めました。
江島神社の御祭神は、天照大神が須佐男命と誓約して生まれた三人姉妹の女神達なのです。低い所から順番に「辺津宮」「中津宮」「奥津宮」と登ります。

【辺津宮】源実朝の創建で「弁天堂」が併設されていて弁才天が祀られ、鎌倉時代は戦勝祈願を、江戸時代には芸能・音楽の上達信仰の対象になりました。 


【中津宮】商人や歌舞伎界からの信仰熱いものがありました。


【奥津宮】源頼朝よって鳥居が奉納され、山門の天井画「八方睨みの亀」が有名で、何処から見てもこちらを睨んでいるように見えると言われています。原画の作者は酒井抱一。


芸能上達・財宝福徳・良縁成就をはじめ諸々のご利益があるということで、多くの参詣者で賑わいました。
北条時政は参篭して、龍のミツウロコを授けられて家紋としました。
又宇陀天皇は蒙古軍を撃ち退けたお礼として、江島大明神の勅額を奉納しました。
このように朝廷及び武将をはじめ庶民の信仰篤く、江戸時代ともなると江ノ島詣では大変な賑わいを見せました。

奥津宮は岩屋のご本尊のお旅所で夏季の避暑地でもあります。
この岩屋は奥津宮から石段を下って波打ち際に、竜穴がありそこに神様を祀ったことが江島神社の始まりであったとされています。残念なことに先日の台風でこの岩屋は閉鎖されていました。
波荒く弧線橋は壊れていました。



最後に小泉八雲にはお見せできなかった風景を一つ。
対岸は鎌倉です。