花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

走水・観音崎の史跡を巡る

2008-11-07 | 鎌倉の四季
                              【観音崎公園】


地図上では鎌倉市と横浜市のその先に、東京湾と相模湾を分断する位置に三浦半島が靴を踏みしめたような形で太平洋に対峙しています。

古くは相模の国から上総の国への渡航地点として交通・軍事の要衝であり、中世には三浦一族が支配し、後北条・徳川の湾岸防備の関所として繁栄しました。

江戸末期になると外国船の来航を受けて文明開化の主要舞台になりました。
明治から太平洋戦争後までは要塞地帯として立ち入りが禁止だったのです。

現在も我が国防衛の一大拠点です。
そして本日の集合場所は京浜急行『馬堀海岸駅』でした。

【名馬 池月】
上総の国から浦賀水道を泳いで渡った荒馬が、蹄で土手を掘ったところ清水が湧き出してこれを飲んだ馬は美しい駿馬になりました。三浦氏は「池月」と名付けて頼朝に献上します。宇治川の合戦では佐々木高綱を乗せて大活躍を致しました。

          

この古事によって『馬堀』の地名となり、「蹄の井跡」の石碑と「池月」の石像が建立されました。

【水道トンネル と 走水水源地】
明治9年横須賀造船所のフランス人技師ヴェルニーは、走水の豊富な湧水を利用し造船所の用水を確保するため、約7kmの水道管を設置しました。当時のトンネルの面影が彷彿される所を通って現存している水源地を見ることが出来ます。イギリス積の赤レンガが歴史の重みを感じさせています。



【走水】
水が走るように湧き出す・・馬堀にも通じる水。水源地の50m先には東京湾が見えています。海岸が一直線に長く々々延びて走水海岸と呼ばれています。

【走水神社 弟橘媛命】
第12代景行天皇の皇子《日本武尊》と《弟橘媛命》の「古事記・日本書紀」の伝説の地にお二人を祭神にした神社があります。
「大和朝廷の時代 東征のため上総に向かうとき、海が荒れて船が沈没しそうになり妃の弟橘媛は、海神の怒りを鎮めるために海に身を投げ入れます。すると、荒れ狂っていた海は静まり、日本武尊は上総の国に上陸する事ができました。」
          


【観音崎ボードウォーク 】
海岸縁のコースに入り見え隠れしていた海が180度見渡せ、潮風を満身に浴びて
何度来ても横須賀を礼賛してしまうのです。
海辺に巾廣のウッドデッキが何百メートルも続いていて、遠く千葉を眺め 近くシーパラダイスやMM21があり 沢山の大小の船を見つめ これから行く灯台を眺めながら・・至福の一時がありました。


        

【観音崎灯台】
1866年 米・英・仏・蘭との江戸条約で明治元年着工、明治2年点灯。
1868年 ヴェルニーは横須賀製鉄所製のレンガと仏製レンズで我が国初の洋式灯台を完成しました。菜種油・石油・アセチレン使用 光達距離14海里、しかし関東大震災で倒壊します。現在は 3代目で1925年再建。光達距離37kmです。
     

螺旋階段を登って最上階に出ました。360度の眺望は素晴らしい!
千葉の先端は須崎でしょうか・・背後は山々・・灯台眼下の荒磯が美しい。
 


フランス人技師ヴェルニーの指導の下に焼かれた初代観音崎灯台のレンガには全て
「ヨコスカ製鉄所」の刻印がされており、その品質は現在のレンガと比べても少しも劣っていないと言われています。