花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

阿修羅 展

2009-05-03 | 美術館
                         【国宝阿修羅展 入場券】

興福寺は平城京遷都にともなって、和銅3年(710)藤原氏の氏寺として建立されました。光明皇后は天平6年(734)母橘三千代の供養のため西金堂を建てます。お堂の本尊をを取り囲んだのが、阿修羅など八部衆像と十大弟子像でした。

【八部衆立像】


凛々しい甲冑に身を包んだ八部衆の中、阿修羅のみ薄衣を纏い合掌し、正面を凝視する真摯な表情で三面六臂の異形相が、拝観する者に様々な思いを抱かせて日毎の押し寄せる波となって現れているのでしょう。

【阿修羅立像】
          

左頬からでは面長で一層の憂いを感じます。奈良時代にこのファッションとは なんと素晴らしい! 首飾り・腕飾り・薄絹にドレープの程よさ、金色の縁飾り・華奢な姿態etc・・・
これだけでは物足りなくて、文学者の表現を拝借してみましょう。

★賢く、而して情熱烈しき王よ。その最も美しき顔には、然し悩みと悲哀を浮かべて居ります。(中略)その眉間は美しく而も邪な企みを隠し、その眼は美しく、而も深い詭計を潜ませ、その唇は柔軟に、而も陰鬱なる欲望を湛えております。(木下杢太郎 医学者 詩人 評論家 「故国」)

★なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう。こういう目ざしをして、
なにをみつめよとわれわれに示しているのだろう。それが何かわれわれ人間の奥ふかくあるもので、その一心な目ざしに自分を集中させていると、自分のうちにおのずから故しれぬ郷愁のようなものが生まれてくる(後略) (堀辰雄 「大和路・信濃路」)

★うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし(岡野弘彦 歌人)

十大弟子立像はその内の六体が残るのみとなっています。いずれも遠山袈裟と裙をまとう剃髪僧形の像で、八部衆と同じく細身の体に頭部を小さく表す長身型のお姿です。
天平9年 疫病が猛威をふるい、光明皇后を支えた四人の異母兄弟がそろって死亡します。聖武天皇との間に生まれた阿倍内親王(のちの孝謙)を立太子させた頃から、光明皇后は興福寺への積極的な関与をやめ、天皇家を中心とする国家体制のいっそうの護持をはかるため、国分寺や東大寺の造営を推進し始めたのです。

地図を眺めると興福寺の東北に隣接して東大寺が聳えている事が解かります。
東大寺は何度か拝観していますが、興福寺はいまだ・・猿沢の池より仰ぎ見てスケッチをしたことがあり、南圓堂を描きながら阿修羅の話をしたことが思い出されます。充分な時間が無く漸く晩年になって しかも50何年ぶりかの東京で初対面が叶いました。
ガラスの障壁もなく前後左右遅々と進まないのも幸いで、隈なく拝顔出来て幸せの極みでした。

【興福寺】


   《青丹よし 奈良の都は咲く花の 薫うがごとく今盛りなり》