花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

新春の富士  『浄明寺緑地から光明寺へ』 

2010-01-18 | 鎌倉の四季

                【浄明寺緑地(関東の富士見百景)にて 10倍ズーム】

「新春の招福を願い、寺社を参拝。鎌倉屈指のビューポイントから霊峰富士を仰ぎ新春を寿ぎます」と。
NPO法人鎌倉ガイド協会から『古都鎌倉史跡めぐり』で昨年 上記のお誘いを頂いていたので申し込んでいました。 

 《4年半位前から参加していて、1ヶ月に3コース紹介され、1コースに4日を当てて都合の配慮もされています。 12ヶ月×3×4.5=160回のうち申込んだ後 不都合が起きる事もありその半分くらいに参加して来たかと・・。鎌倉幕府やお寺に拘わる話をこれだけ聞くことで、理解できたことも多々あり又鎌倉の山や谷、路地の奥まで四季折々の表情も見ることが出来ました》

この日の朝の天気予報では、「非常に穏やかな晴天で富士山もスッキリ見えるでしょう」と、いつもは聞かないアナウンスまであり、私の想像は膨らみましたが、雲間から小さく然しクッキリとトップの写真が撮れたので良しとすることにいたしましょう。

【名越切通】
「切通」とは山や丘を切り開いて通した道をいいます。名越は鎌倉から三浦や房総へ抜ける重要な道であり、敵の侵入を防ぐ役目も持っていました。(国史跡に指定)

          

【海前寺】
切通を途中から海側に下りますと、風光明媚な高台に海前寺が小坪漁民の念仏道場として建立され、『時宗』の踊念仏として栄えました。
本堂裏に首塚があり室町時代の「住吉城」攻防合戦で戦死した武将を埋葬した墓だと考えられています。

          

【住吉神社 住吉城】
飯島の鎮守であると同時に住吉城の鎮守でもありました。神社は城の一部であったと考えられています。この城は鎌倉幕府により鎌倉と三浦半島との防衛拠点として築かれ、三浦義同(道寸)は本拠の岡崎城を北条早雲に落とされた後、住吉城に籠りますがここも落とされて更に新井城へと逃れるのです。くさ原に小さな祠があり本地仏聖観音が安置されています。 『討つものも打たれるものもかわらけよ 砕けてのちはもとの土くれ』と 辞世の句にした同寸に万感の思いを寄せてしまいます。

          
【光明寺】
鎌倉幕府第4代執権 北条経時が然阿良忠を迎えて開いた浄土宗の大本山です。江戸時代には徳川家康の定めた浄土宗学問所関東十八壇林の首座でした。
今回 山門を拝観させていただきました。
間口16m、奥行き7m、高さ20mで鎌倉の門では最大の格式を備えています。両端に階段があり急坂で注意を要します。二階には釈迦三尊・四天王・十六羅漢が祀られています。短時間の写真撮影を許されて四天王の内の二天王には迫力があり去り難いものでした。
          
               

二階は廻り廊下で海側には由比ヶ浜・江ノ島・富士山が眺められて彼岸の中日には、西方極楽浄土を見る思いに駆られるそうです。
本堂も廻り廊下をぐるり廻ると大賀蓮池の上方に、800年忌で建造された真新らしい大聖閣が金閣寺と見紛うばかりに立派です。