横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

フォロー・ミー

2010-10-27 16:22:52 | 映画・テレビ
フォロー・ミー 1972年(イギリス/アメリカ) 日本公開年1973年1月13日

午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本の、横浜でのオープニングはフォローミーでした。

この映画には、他の49本と決定的に違う点があります。今まで一度もビデオにもDVDにもなっていないのです。50本の中で、何度も見ることが不可能だった唯一の映画なのです。この映画を再び見られただけで、この企画に感謝です。

典型的な英国人(いい家庭で育ち、まじめで、職業も公認会計士)の夫と、自由を求めて世界を旅していたアメリカ人(ミア・ファロー)の妻の若い夫婦と、移民の探偵(トポル)の3人が主役。夫婦ともう一人の男というシチュエーションだけはカサブランカと同じですが、この物語ではドラマチックな事件は起きません。カサブランカのボギーは常にかっこいいですが、この映画のトポルは常にひょうきんです。

若い頃に見たときは、音楽(ジョン・バリー。この主題曲は掛け値なしの名曲です)とミア・ファローが歩くロンドンの街の雰囲気が、感覚的に心地良く、それが記憶に残っていたのですが、今回見て、3人それぞれの立場や心情が静かに後味良く描かれた、秀逸な映画であることが改めてわかりました。名作映画というのは、どんなテーマであっても、脚本(ピーター・シェーファー。”アマデウス”(1984:50本の1本)同様、自身の舞台劇の映画化)と監督と音楽と俳優と、多くの人の才能と尽力が融合しないとできないものです。この映画はひとつの名作です。

ミア・ファローは、ターザン映画のジェーン女優モーリー・オサリバンの娘。外見的にはか細いが内面に強い個性を持った、独特の魅力を持つ女優さんです。TVドラマ”ペイトンプレイス物語”で一躍人気が出て、29歳年上のフランク・シナトラと結婚。ビートルズと同時期にインド文化に傾倒してインド滞在。後に、ピアニストで作曲家のアンドレ・プレヴィンと結婚。そしてその後にはウディ・アレンと多くの映画をつくりました。貧困地域の子供たちを救う活動、彼女自身が子供のとき苦しんだポリオの根絶に向けた活動なども行い、北京オリンピックに際しては、ダフール紛争における中国の行為を批判し、その批判を受けてか、オリンピック組織委員会顧問だったスピールバーグも辞任しました。最近では、リュック・ベッソンのファンタジー、アーサーとミニモイのアーサーのお祖母さん役で、変わらない姿を見せてくれています。

監督キャロル・リードは、ミュージカル”オリバー”でアカデミー監督賞を取りましたが、誰もが認める代表作は、”第三の男”(1949)(今回の50本にも入っています)でしょう。フォロー・ミーは、キャロル・リード65歳のときの作品ですが、瑞々しい魅力を持った映画です。彼の最後の作品でもあります。

今回の企画がきっかけになり、望む声も多かったのでしょう、来月、公開されてから37年目にして、はじめてのDVDが発売されます。
コメント (5)
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