食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

BSNHK ~アビニョン

2019-02-13 05:50:35 | 日記

歴史好き歯医者のひとり言~  昨晩、BSNHKをつけると、フランスのアビニョンを特集しておりました。 番組も終盤、ポンデュガール(ローマ帝国時代につくられた上水道橋)が映し出されておりました。 ポンデュガールなんかを見ると、人間の数理的思考が二千年前、偽りなく存在していたことに驚きを隠せません。 さて、アビニョンで思い起こすのは、「アビニョン捕因」 あと、ピカソの「アビニョンの娘たち」でしょうか。 ピカソが伝統的な西洋画風を脱却し、キュビズムに傾向するきっかけとなった「アビニョンの娘たち」 生涯一度、目にしたいと思いながら未だ願い叶わず。  確かニューヨーク近代美術館に展示されているはずです。 「アビニョン補因」のほうも、中世から近世にかけて起きた重要な事件です。 中世のヨーロッパで、ローマ教皇の権威は絶対的、世俗の最高位である神聖ローマ帝国皇帝でさえ、その地位にとどまるには終始ローマ教皇の顔色をうかがっていなくてはなりません。そんなローマ教皇に拷問をかけたとんでもない王様がいました。 フランスのフィリップ4世です。この、フィリップ4世、王権の財政的基盤を強化するために、教会財産に課税しようとします。それに反対した教皇ボニファティウス8世、すったもんだの末に、フィリップ4世を破門しようとします。ところが、フィリップ4世、屈するどころか、イタリアのアナーニという小さな村に特殊部隊を送り込み、教皇を捕まえてフランスのアビニョンに拉致してしまうのです。( このアナーニという村は、我々の祖先である、ホモ・エレクトウスの歯が発見された場所でもあります) さらに、教皇を丸裸にして牢屋にぶち込み、石を抱かせる拷問までするに至ります。 教皇は憤死してしまいました。 これ以降、約70年間、ローマ教皇庁がアビニョンに移され、教皇権がフランス王権の支配下に置かれることになります。  何となくオーバーラップするのが、織田信長。 彼の宗教弾圧と似ているような気がしませんか?  とんでもない独裁者ですが、宗教に取りつかれた中世に風穴を開けて、政治指導の近世へ向かわせた立役者でもあるわけです。  さらに、イギリスでは、ヘンリー8世という規格外の王様が、同じような時期に、同じようなことをしております。 歴史の偶然は必然に起こる。 意識して俯瞰すると面白いです。 ちなみに、フィリップ4世、そうとうなイケメンだったそうです。