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久しぶりのセントレア

2014-01-26 06:09:49 | インポート

今日は、久しぶりにセントレア(中部国際空港)へ妻と出かける予定。

目的は、セントレアの開港当時の社長のフルートの演奏を聴くためである。

私は今回が3度目。妻は初めてである。これまでにも一緒に行く予定をしていたが、色々と有って行けなかった。

社長とは随分前からの仕事(同じ会社に所属していた)を通じての知り合い。セントレア開港に向けて、私は約10年間関わっていた。

社長は60台半ば頃からフルートを学び始め、かなり進歩が目覚ましい。本当に驚くほどである。

元々クラシックが好きで、国内でもイギリスに赴任されている時にもよくコンサートに行かれていたようで有り、その辺のベースがフルートの上達にも好影響が出ているのかもしれない。

毎回、名古屋フィルハーモニーとの共演であるが、独奏もあり、中々のものである。

舞台で演奏すると、緊張はするが後の解放感がたままらず、またその緊張感を求める、という心理がよく分かるが、それにしても毎年継続されているのは凄い。

セントレアに演奏会を開く会場があるのもこうした活動が継続出来る理由だとも思う。

今日は音楽を楽しんでこようと思う。


二七日、三七日の法要終了

2014-01-25 05:17:37 | インポート

父の葬儀後、四十九日の法要までは毎週「七日のお参り」が有る。母の時は間に合うように帰宅することに何かストレスを感じたが、今回は全く無い。

今の立場がそうさせるのか、歳を取ったのかは分からないが、素直な気持ちで帰宅し、法要を行っている。

毎朝仏壇を拝む事は何十年も行っているが、今は仏壇の横の祭壇に向かって拝み、一日が始まっている。これも四十九日の法要までで、その後はまた仏壇に向かって拝むことになる。

歳と共に仏壇を拝むことへの特別感は無くなる一方、自然に日々無事に過ごせていることに対しての感謝の気持ちが湧いてきた。

私は別に仏様を信じている訳ではないが、人知を超越する「神」の存在は信じているし、自らが神により生かされているとは以前から感じている。

日本人の普通の生き方のように思う。

生かされている間は精一杯生きようと思う。別に仕事だけではなく、遊びも含めてのことである。

日々、後悔しないよう、これからも人生を楽しみたい。

昨日早く床に着いたので、4時半に起床。明るくなったらジョギングに出かけ、その後出社の予定である。


四十九日の案内状作成

2014-01-19 12:28:19 | インポート

父の逝去の後の手続きも終わり、今度は四十九日の準備。

案内状を作成したが、これが往復はがき。通常はほとんど行っていないため、筆まめソフトのマニュアルを読みながらの作業だったが、今一分からない。

結局、一部はマニュアル通りでは無かったが、一応完了。

慣れない事にはチョットしたことでも時間がかかる。但し、昔のように外注しなくても良いことだけは助かるし、手軽で良い。

打ちっぱなしの近くの特養に入っていた父親を毎週見舞っていたので、今朝も打ちっぱなしに行った時、「あの建物にはもう行かないのだなあ」という、なんとなくの感懐を覚えた。

人知れず産まれ、人知れず去っていく。それが人生。改めて人の一生のはかなさ、というか 何とも言えない思いを感じている。

とはいうものの、生きている時は自分の出来る事をそれなりに行っていくしかない。

シンミリトシタ気分に浸る余裕は無いし、また浸っていてはいけないと思う。

明日の今年の初打ちに向けて、今日一日を楽しみたいと思う。


とりあえず手続き終了

2014-01-12 21:48:10 | インポート

父が亡くなり、それなりに手続きが必要。

今回、まず行ったのは電話連絡。電気・電話・ガス・水道・の名義変更。それと父の年金口座の相続。

口座は直接金融機関に行って説明を受けたが、後はとりあえず電話で連絡。その後、書類が送られてきたものに記入。

当然、事前に役所に行き、印鑑証明等必要な書類を入手。

今日、一応、全ての書類に記入し、必要書類を添付し、ポストに投函。これでとりあえず一段落。

こうしたた役所関係の書類手続きは、内容は大したことはないのだけれど、初めてのことであり、終えるまでは何と無くストレスが溜まるような気がする。

まだ若干の手続きは必要のようだけれども、メインは終えてホッとした感じである。

普通の日常に戻りつつある感じである。


1月3日 父 他界

2014-01-07 07:12:28 | インポート

1月3日の夕方5時頃、入所していた特別養護老人施設アルクウォーレから、電話。血中の酸素濃度が低くなったので、念のために救急車で近くの市民病院に運びたいので、着て下さい、という内容。

電話を受けた場所はいつものパチンコ店の中。3時半頃までは、姉夫婦と家で話しており、その後妻とパチに行った。店に入ってから30分強程度。

施設からの電話を妻の携帯で3時頃にも受けていたが、別室に携帯を置いていたので気付かなかった。

施設もパチンコ店も病院も近くなので、病院には救急車よりも先に私たちが到着。

救急車で父が救急処置室に運ばれ、治療。1時間半以上待合室で待った後、処置室に呼ばれ、状況について説明を受けた。

酸素吸入を受けている父が薄目を明けているようなので「分かる?」と聞くくと頷いた。「苦しいか?」と聞いたら、首を横に振った。

施設の人からも、前j日まで苦しい、ということは一度も言われていない、と聞いた。

8時半頃、肺炎治療での入院が決まり、その旨を施設に連絡。私は着替えを施設に受け取りに行き、病院に着いた時に、妻から電話。病室が決まったので、その部屋の前で待っている、とのこと。7Fの部屋の前で妻と会い、父の処置が終わるのを少し待ち、その後、酸素吸入器をつけている父に「明日また来るから」と言った。この時は、いつも通り反応は無く、眠っているんだろう、と思い、9時頃に帰宅。

さてと、と思いつつ、お酒を飲み始めた所、9時半頃に病院から「症状が変ったのですぐに来て下さい」と言われた。「エッツ。少し前に帰ってきたばかりじゃないか」とは思ったが、姉に電話をかけ、私たちもタクシーで病院へ。

9時50分頃には部屋に到着。つながれていた機械の脈拍の値を見てビックリ。「ゼロ」 「もう亡くなっているよ」と後ろの妻に即言った。

救急外来で処置してくれた女医が慌てて部屋に到着し、確認。そして「9時59分死亡」ということになった。

葬儀会場の確保~僧侶の手配~火葬場の手配まで(葬祭センターで代行してくれた)バタバタだったが、無事、一昨日葬儀終了。

昨日はまず、香典等の資料をPCにI/Pし、金額の確認。その後、百貨店に行き菓子を購入し、特養へお礼。更に、葬儀と同日に予定されていた隣の親戚(母の実家)の33回忌法要を欠席したため、仏壇にお参り。

会社は昨日まで休みだったが、今日は休みを取った。出来る範囲の事後処理を今日行うと同時に、休養する積り。

父は、16年前に亡くなった母と同じ1月3日に亡くなった。仲の良い夫婦だったことのめぐりあわせなのかな、と不思議に思う。母 72歳、父 83歳の生涯。

最後まで苦しまずに天寿を全う出来たことに感謝している。

改めて 合掌!