めぐろ歴史資料館で目黒新富士、富士塚、富士講などの資料をみて新富士のあった所まで歩きました
めぐろ歴史資料館には、新富士の中に構築されていた胎内洞窟が再現されています
『新富士』
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まり、各地に講がつくられ、富士山をかたどった富士塚が築かれた
この場所の北側、別所坂をのぼりきった右手の高台に、新富士とよばれた富士塚があり、江戸名所の一つになっていた。この新富士は文政2(1819)年、幕府の役人であり、蝦夷地での探検調査で知られた近藤重蔵が自分の別邸内に築いたもので、高台にあるため見晴らしが良く、江戸時代の地誌に「是武州第一の新富士と称すべし」と書かれるほどであった。
新富士は昭和34年に取り壊され、山腹にあったとされる「南無妙法蓮華経」「文政二巳卯年六月建之」とある。「小御嶽」「吉日戌辰」などの銘のある3つの石碑が、現在この公園に移されている 平成18年10月 目黒区教育委員会
別所坂児童公園へ長い階段をのぼって振り返ったら
夕日が・・・・・・見えませんでした()
目黒新富士が構築されてから今年は200年が経つのですね
200年前、ここから見える富士山はどんなふうに見えたのでしょう