6月25日にマイケル・ジャクソンが急逝した。
昨日、関東に住む甥が珍しく電話をしてきて、
「おばちゃん、マイコー死んだなあ。」
なんでわざわざそんなことのために電話してきたのかと
思ったら、私の持ってるミュージックビデオ集やCDで
マイケル・ジャクソンの存在を知った甥(22歳)にとって、
私はマイケルの伝道師であったらしい。
で、訃報を聞いて電話をかけてきてくれたのだった。
わざわざお悔やみを言われるほど熱心なファンじゃない
のだけど、まあ、それだけマイケル・ジャクソンを見た
ときの印象が鮮烈だったということだろう。
私自身のマイケル・ジャクソンにまつわる思い出という
と、高校3年のとき、学校帰りに友達の家に集まって
「ソニーミュージックTV」(たしか夜中に放送していた)
の録画を一生懸命見ていたこと。初めて「スリラー」
を見て、こんな面白いビデオクリップがあったのか、と
思った時の興奮は今も記憶に残っている。
あとは、長春で日本語教師をしていたとき、不意に教壇
に立つのが怖くてたまらなくなり、一歩も部屋から出ら
れない、という心理状態に陥ったとき、「今夜はビート・
イット」を聞いて勇気を鼓舞していた。
これからも、時を超え世代を越えて、彼の音楽はいろんな人の
人生の、たくさんの場面を彩っていくのだろうな。
昨日、関東に住む甥が珍しく電話をしてきて、
「おばちゃん、マイコー死んだなあ。」
なんでわざわざそんなことのために電話してきたのかと
思ったら、私の持ってるミュージックビデオ集やCDで
マイケル・ジャクソンの存在を知った甥(22歳)にとって、
私はマイケルの伝道師であったらしい。
で、訃報を聞いて電話をかけてきてくれたのだった。
わざわざお悔やみを言われるほど熱心なファンじゃない
のだけど、まあ、それだけマイケル・ジャクソンを見た
ときの印象が鮮烈だったということだろう。
私自身のマイケル・ジャクソンにまつわる思い出という
と、高校3年のとき、学校帰りに友達の家に集まって
「ソニーミュージックTV」(たしか夜中に放送していた)
の録画を一生懸命見ていたこと。初めて「スリラー」
を見て、こんな面白いビデオクリップがあったのか、と
思った時の興奮は今も記憶に残っている。
あとは、長春で日本語教師をしていたとき、不意に教壇
に立つのが怖くてたまらなくなり、一歩も部屋から出ら
れない、という心理状態に陥ったとき、「今夜はビート・
イット」を聞いて勇気を鼓舞していた。
これからも、時を超え世代を越えて、彼の音楽はいろんな人の
人生の、たくさんの場面を彩っていくのだろうな。